第二章[4]
季節は流れ、私は高校生として最後の夏を迎えていました。
うだるような暑さの中、私は学校指定の夏服に身を包み、ボランティア活動の場である教会へと歩いています。
今日は日曜日ですから制服を着る必要なんてまったくないのですが、学生ボランティアという記号を纏うにはこの姿が便利なのです。
来年の初め頃には職業適性試験が控えているので、普通の学生なら勉強にもそろそろ真面目に着手しないといけない時期だと思います。ですがこういった課外活動も評価対象なので、私が今やっていることも決して無駄な時間ではありません。別に打算があってボランティアをしているわけじゃありませんけどね。
他愛もないことを考えていると、頭にジワリと汗が浮かんできます。こんなことで熱を上げるのも馬鹿らしいですから早く冷房の効いた涼しい教会へ向かいましょう。
そう心に決めたところで、ふと目線の先に男の人が立ち止まっているのが目に入りました。
日陰にも入らずに夏の強い日差しに照り付けられながら、地図を片手に何やら考え込んでいるようです。俯いて影になっているせいか、目元にクマが浮いていて不健康そうな見た目をしています。
とはいっても人相が悪いというわけではなく、雰囲気もどこか見知ったような錯覚を覚えました。でも彼とは一度も会ったことなどありませんから、これはいわゆるデジャヴと呼ばれるものなのでしょう。
……と、そんなことはどうでもよくて。
目の前で困っていそうな彼を放っておくのは気が引けますから思い切って声を掛けます。
彼は少し引いたような態度を見せますが、渋々といった感じでこの街にある施設の場所を尋ねてきました。
その場所は私も行ったことはありませんでしたが、この街に住んでいる人なら誰でも知っている奉仕員さんたちの更生施設のことでした。
幸いなことに施設のすぐ近くまで来ていたので、私はすでに見えかかっている施設を指差して彼に場所を伝えます。
人の役に立てて良かった良かったと思いつつ、私は彼自身のことが気になりました。更生施設に用事があるってどういうことなのでしょうか?
奉仕員であれば腕にそのことを示すデバイスを装着していると昔教わったことがあります。でも彼の腕には何もついていません。そもそも奉仕員の人が寮の場所を知らないはずがありませんし。
そうなると施設の用事で他所からやってきた役人さんでしょうか?
うーん、それも違うような気がします。お仕事で来ているような堅い服装ではありませんし、彼の手元には何やら荷物の詰まったスーツケースもあります。
となると考えられるのは……新しく奉仕員になった人でしょうか。えぇ、きっとそうです。失礼ですが彼から漂うネガティブな雰囲気が私の直感に自信を与えます。
他人の詮索なんてよせばいいのに、なぜか私は彼に興味を持ってしまいます。これも私の心が変質してしまったせいなのでしょうか?
それとも社会からのはみ出し者という烙印を押された彼に、私は何かを求めているのでしょうか?
いいえ、いいえ。興味の理由なんて本当は分かっているはずです。今の私を変えてくれるきっかけが欲しくてたまらないのでしょう。
「それじゃあ僕はもう行きます。どうもありがとうございました」
別れの挨拶を言って去ろうとする彼に、私はつい反射的に質問をしてしまいます。
「……お兄さんはどんな悪いことをしたんですか?」
普段の私ならこんなこと口に出して聞いたりしませんが、今はただ彼のことが知りたい一心で言葉を投げかけます。
「……あんまり人に言えるようなことじゃないかな。いつか人に話せるようになればいいんだけど、今の僕にはちょっと難しいな」
やや間を置いて、返ってきたのは至極真っ当な言葉でした。
「ご、ごめんなさい! 急に変なことを聞いてしまって。今の話は忘れてください! そ、それじゃあ失礼します。お気をつけて!」
あー、馬鹿馬鹿! いったい何を考えていたのでしょう! 急に恥ずかしくなった私は真っ赤になった顔を見られないようにそそくさと彼から逃げ出します。そりゃあいきなり出会った相手に自分がどんな罪を犯したかなんて言う人いませんよね。勝手に突っ走ってしまった10秒前の私が恨めしいです。
どうしてこんなことを口走ってしまったのでしょうか。自分で言うのもおかしな話ですが私らしくありません。彼に対する既視感が人と接する距離感を狂わせたのでしょうか?
でもそれにしたって相手が触れられたくないであろうところをつつくような真似なんて普通はしません。暑さで頭がおかしくなったのでしょうか?
顔に手を当ててみると、ぐっしょりと手に汗が付着します。あぁ、やはりこれは暑さのせいに違いありません。決して冷や汗などではないのです。
不可解な行動を取った自分への言い訳も、頬を伝う汗の理由もすべて夏の暑さのせいにしたおかげか、教会に辿り着く頃にはいつも通りの私に戻っていました。
今日のボランティア活動は勉強の手伝いと遊び時間の引率が主な内容です。
勉強の手伝いでは子供たちの宿題のサポートをしたり、授業で分からなかった箇所の解説をすることが主な役割です。
その日のボランティアさんの人数にもよりますが、基本的には1対1の形式で教えることになります。
今日私が教えるのは低学年の子で、その子は算数の宿題を解いているようです。
質問が来たらいつでも答えられるように脳内で説明のデモンストレーションをしているのですが、当人はスイスイと解き進めていて出番がありません。
なんだか拍子抜けしてしまい、退屈さを感じていると不意に横から『おねえちゃーん』と声を掛けられました。
声のした方に顔を向けるとそこには同じく勉強中の男の子と桜ちゃんがいました。
「コラッ、ちょっかい掛けないの!」
すかさず桜ちゃんが注意しますが、彼は言うことを聞かずに退屈しているようでした。
「んー? どうしたのかな? 何か分からないところがあるの?」
「つまんなぁい」
「あはは。つまんないか」
「遊ぼ―」
「それじゃあ遊んじゃおっか」
私の発言に桜ちゃんはギョッとして目を大きくします。まぁまぁ慌てずに。
「いいの?」
「いいよ。でも今遊んじゃうのはお勧めしないなぁ」
「どうして?」
「だって他のみんなは誰も遊べないから、今だと君一人っきりで遊ぶことになっちゃうよ。それに今の勉強時間が終わったらみんなが遊ぶけれど、その時君は一人で勉強しなくちゃいけないの。そうじゃないと不公平だからね。それでも君は今遊びたい?」
「……後でいい」
「そっか。それじゃあ今は桜おねえちゃんと一緒に頑張って宿題を片付けちゃおうね」
「うん」
よし、上手くいきました。少し心が痛みますが、わざと一人ぼっちになる姿を想像させれば大抵の子供たちはそれが恐ろしいことだと考えて大人しくなりますからね。
「手慣れてるわね」
「そう? いつもと同じように話したつもりだけど」
そっと耳打ちしてくる桜ちゃんですが、さすがに今考えていたことを正直に話す気にはなれませんから、私は謙虚さを装って答えました。
「私には無理ね。普通に叱る以外のことなんか考えなかったわよ」
「はは、それはもうちょっと考えた方がいいかな」
「まぁなんにせよ雅鯉朱がいてくれて助かったわ。やっぱり雅鯉朱はこういったこと向いてるわね。なんだかすごく自然に子供を誘導する能力がある感じ」
「ふふ、ありがと」
今のが自然にできた? とんでもない! ただ子供の性格を考えて、少し脅してしまえばすぐに従うだろうという卑怯な手を使っただけなのですから。
桜ちゃんはきっと純粋な気持ちで褒めてくれているのでしょうが、私はなんだか罪悪感を感じてしまいました。
確かに先ほどの私の行いは少し子供を怖がらせてしまったかもしれませんが、そのことについて罪悪感を感じているわけではありません。結果的に言えばその子にとっても桜ちゃんにとっても良いことだったと思いますし、その過程で怖がらせることは必要なことだったと思いますから。
私が罪悪感を感じているのは、結果的に良い展開になると予想できていたことです。私はそこにわざとらしさを感じてしまい、桜ちゃんからの感謝を素直に受け取れないのです。周囲の人に喜ばれることは嬉しいけれど、だからといって自らが予想できていた展開で感謝されることを嬉しいと思うことはできません。
この虚しさはなんなのでしょうか。
私にとっての幸福はいつだって相手に喜ばれることでした。だけどいつしか相手が喜ぶように事を運ぶことに長けてしまったようです。一旦そうなってしまうと、今度は相手に喜んでもらっても最初から自分で仕組んだみたいに感じてしまいます。
すると胸の内に蘇るのは、『あるべき姿は持つべきでない』という遠い過去の日に心に刻まれてしまった言葉。
相手に喜んでもらいたいと考えない状態で不意に相手から感謝されたのであれば、私は幸福を純粋な気持ちで感じることができたでしょう。ですが私のあるべき姿は相手に喜んでもらうことですから、不意に感謝されることなど滅多にないのです。
なんだかおかしなロジックです。私は今だって間違ったことはしていないと信じています。少なくとも私の幸福を求める生き方の中で自身の不幸を呪ったことは一度だってありません。でも、不幸がないというだけでは幸福になり得ないのです。となると、この生き方の延長線上に私の幸福は存在し得ないということにもなるのでしょうか?
「――雅鯉朱? 雅鯉朱ってば!」
ふと私の名前を呼ぶ声に思考が中断されます。
「ん、桜ちゃんどうしたの?」
「どうしたのって、それはこっちのセリフよ。さっきから呼びかけても全然返事しなかったじゃない」
「えっ、ほんと? ごめん、ちょっと考え事してて」
「そんなことだろうと思った。まったく、最近そうやってボーっとしてること多いんだから。そのうち事故ったりしないか心配よ」
「はは、ありがとね。気を付けるよ」
「頼むわよ。じゃあさっさとご飯にしない? 午前の予定はもう済んだし、午後からの活動に向けてさっさと休憩しましょ」
「うん」
子供たちの勉強時間が終わっていたことに気付かないぐらい思考の迷路に没頭していたようです。再び迷ってしまわないように、私は慌てて桜ちゃんの後を追いかけたのでした。
昼食の後、午後のプログラムに移り、手の空いている職員さんや他のボランティアさんたちと一緒に今後の予定の打合せをしていました。
すると外から何やら騒がしい気配を感じ取りました。それは周りの人たちも同じらしく、何かあったのかとお互い目を合わせています。
それから間もなくして、外遊びの班にいた桜ちゃんが慌てたようにドアをバンッと開けて入ってきました。
「みんな大変! りく君が迷子になってしまったみたいです。急いで手分けして捜索をお願いします!」
端的に事態を説明する桜ちゃんの言葉に一瞬ザワザワと混乱するような空気が広がります。けれどもさすがにこのままだとまずい事態に発展しかねないと理解したのか、間もなく落ち着きを取り戻しました。それからすぐに職員の方の指示で捜索班と待機班に分かれることになりました。
ジッと待っていると落ち着かないだろうと考えた私は捜索を申し出ましたが、他の人たちも捜索に立候補する人たちが多く、結局私は待機班となってしまいました。
大人たちが不安になっていると子供たちにもその空気が伝染してしまいますから、全員を捜索に割けないのは仕方のないことと割り切ります。
私は私にできることとして、りく君の無事を祈りながら他の子供たちがいつも通り過ごせるように振舞うしかありません。
他のボランティアの方たちも冷静に行動しているおかげか、施設にいる子供たちはりく君が迷子になっていることには気が付いていないみたいです。でもそんな穏やかな雰囲気とは裏腹に、私の頭の中は不安がグルグルと渦巻いています。
りく君は半年前に施設の一員に加わった子で、公的に保護者と呼べるような親族が彼にはいません。おそらくこの国のどこかには彼の両親が存在しているのでしょうが、さすがにそういった情報は機密事項扱いとなります。私たち一般ボランティアに知らされているのはあくまで両親がいないことと、そしてその事実には触れるべきでないということだけです。
彼には極度に人見知りなところがあり、円滑なコミュニケーションを取ることが難しい性格でした。でもその一方でひとたび懐くとなかなかその人から離れたがらず、甘えたような仕草を見せるところもあります。施設に来る前の彼がどのような経験をしてきたのかは想像するしかありませんが、おそらく彼の両親は彼に関心を持って接することがなかったのだと思います。
彼の性格からして見知らぬ人に付いていったとは考えにくいですが、まだ幼い彼が一人で外を歩くというだけでも幾つもの重大な事態が頭を過ります。
発見の連絡がないまま15分ほど時間が過ぎ、警察への連絡も視野に入れてきたところで桜ちゃんからの着信がありました。
祈るような気持ちで電話を受け取り、無事にりく君を発見したとの報告を聞いてホッと胸を撫で下ろします。
話を聞くところによると、助けてくれた人は名前も言わずに去ってしまったものの、りく君と随分打ち解けていたようでした。
私は正直、意外なこともあるのだなと思いました。りく君と仲良くするのに熟練のボランティアの人たちも手を焼いていた記憶しかないからです。
桜ちゃんはそのことに気が付いていなかったみたいなので冗談交じりにその話をすると、怒られて通話を切られてしまいました。あとで謝らないといけませんね。
一時はどうなることかと心配しましたが、兎にも角にもこれで一件落着です。
それにしても、りく君を連れてきてくれたという人はいったいどんな人だったのでしょうか? 初対面でもりく君と打ち解けて、その後何を求めるでもなく颯爽と立ち去ったとのことですが、そんな人こそ私の憧れる理想像と言えるでしょう。
もしもその人に私の悩みを打ち明けることができたとしたら、どんな答えが返ってくるのでしょうか?
その答えは私を安心させるものなのか、もしそうでなくても、私にとって深く意味のある答えを示してくれるのではないかという予感がするのです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます