第一章[1]
炎天の季節も終盤に差し掛かり、出遅れたセミたちがジュワジュワと喚き散らして熱気を倍増させている。そんな空の下、僕は地図を片手に陽炎で揺れるアスファルト道を歩いていた。
最寄りの駅を出発してからかれこれ20分近く歩いている。そろそろ到着しても良さそうな頃合いだが、なかなか目的地にたどり着けない。どうにも地図の縮尺がおかしいようだ。
そもそもどうして僕自身の足で向かわなければならないのだろうか?
こういうのは普通、専用車で無理やりに連れていかれるものだと思っていたがこの国の法律は犯罪者に対する扱いが随分といい加減らしい。
地図と周囲を交互に見比べてこれからどうしようかと考えていると、不意に声をかけられた。
「あのー、どうかされましたか?」
声のした方へ振り向くとそこには学校の制服と思わしき恰好をした少女がいた。
はて? 今日は日曜日のはずだが何か催し物でもあるのだろうか。肩まで伸びたウェーブのかかった髪が印象的で、緩やかに垂れ下がった瞳に色白の肌からはなんとなく育ちの良さそうな感じがする。
「え? あぁ、ちょっと道に迷ってまして」
「どちらへ行くおつもりなんですか?」
彼女はそう言いながら一歩近づいて、僕が手に持っている地図を覗きこんでくる。
反射的に地図を遠ざけようとするのだけれども、すんでの所で思いとどまった。
人の親切を無碍にしないようには意識しているのだが、突然のこととなるとどういうわけか無意識的に拒絶してしまう。良くない癖だとは思うのだが治りそうにもない。
ちらりと目だけを動かして彼女の様子を伺うけれど不審に思われた様子はなく、早く目的地を見つけるのだと言わんばかりに地図を熱心に見ている。
その様子を見て安心した僕は今考えていたことをおくびにも出さないよう気を付けながら、ただ彼女の質問に答えるのだった。
「えぇと、この星印のついているところです。
「櫟奉仕員寮……」
彼女は少し首をかしげて顔を上向けながら、頭の中で単語を検索にかけているみたいだ。
あまり深く考え込まれたくもない話なのでやっぱり大丈夫と断ろうとしたが、先に口を開いたのは彼女の方だった。
「あぁ、そこならすぐ近くですよ。ほら、向こうにある白い建物が見えますか? 手前の建物で隠れてしまっていますが、アレがそうです」
「あぁ、見えます見えます。あの青い屋根の家の奥に見えている建物ですね。どうもありがとうございます」
「いえいえ」
親切に教えてくれた彼女だけれども、なんだかまだ何か言いたげな顔をしている。期待と不安が同居したその表情は先程までとは異なり、不思議な雰囲気を醸し出していた。
だがそんな顔をされても困る。多感な時期の女の子を楽しませられるような面白い話術など僕にはないのだ。
「それじゃあ僕はもう行きます。どうもありがとうございました」
軽く手を振って去ろうとしたその振り向きざまに彼女は口を開く。
「……お兄さんはどんな悪いことをしたんですか?」
そう彼女に言われた瞬間、僕の頭は真っ白になってしまった。
そりゃあ、これから向かう目的地がどんな場所であるかを知っていれば僕が社会的な罪を背負っていることも察せられるのだろう。でもだからって普通そんなことを出会ったばかりの人に聞くだろうか?
少しばかりの抗議の意思を込めて彼女の顔をにらんでみる。
だが対する彼女はまるで子供が悪戯をした時みたいに、やってやったと言わんばかりの無邪気な表情をしている。
何を考えているのかさっぱり分からなくて目まいがしそうだったが、ここは努めて冷静に落ち着いた口調で言葉を返す。
「……あんまり人に言えるようなことじゃないかな。いつか人に話せるようになればいいんだけど、今の僕にはちょっと難しいな」
そう答えると彼女はしまったというような顔をして、慌てて両手を振った。
「ご、ごめんなさい! 急に変なことを聞いてしまって。今の話は忘れてください! そ、それじゃあ失礼します。お気をつけて!」
そう言うと彼女は一瞬手を振って、さっさと走り去ってしまった。
……はぁ。なんだか不思議な子だったな。
彼女は高校生ぐらいに見えたけれど、どこか子供じみたところを感じずにはいられなかった。
思春期のそれとは違う気がする。大人と子供の中間というよりも、大人と子供が両極端で存在しているような印象だ。
彼女はおそらくこの地域に住んでいるだろうから、またいつの日か会うこともあるかもしれない。次に出会った時に同じ質問をされたとしたら、その時の僕はどう答えるのだろうか。
行き先を教わってから5分も経たないうちに、僕は目的地へとたどり着いた。
ブロック塀に囲われた建物の正面にはプレートが取り付いており、そこには大きな文字で『櫟奉仕員寮』と書いてある。ここが僕の新しい住まいなわけだ。
もっと陰鬱な雰囲気の建物を想像していたのだが意外にも清掃が行き届いており、建物の名前を記すプレートさえなければよくあるアパートと変わらない。外壁に多少のひび割れもあるが、経年劣化を考えれば十分適切に管理されていると言えるだろう。
建物の観察もそこそこに、僕は閉ざされた門の横にあるインターホンを押す。
するとやや間があって、しゃがれた声が返ってきた。
「はい、こちら櫟奉仕員寮です。ご用件はなんでしょうか?」
「すみません、本日入寮予定の小松と申します」
「あぁ、小松穂垂さんね。待ってましたよ。時間ぴったりだ。門のロックを解除しますのでそのまま入ってきてください」
カコン、という音で鍵が解除されたのを確認した僕はそのまま門をくぐる。
目の前には守衛室らしき部屋があり、そこから男の人がこちらを見ている。おそらく彼が先ほどの声の主なのだろう。そのまま真っすぐ歩くと、部屋の隣にある扉から入るようジェスチャーされた。
促されるまま部屋に入ると、今しがた案内してくれた彼がワンテンポ遅れて守衛室側の扉から部屋に入って来た。
それから今度は真ん中にあるソファに座るよう勧められ、彼もまた僕と対面になるようにしてソファに腰かけた。
年齢は50歳ぐらいだろうか? 僕たち奉仕員を取りまとめる更生監督が寮監を兼ねていると聞いていたからもっと強面の人を想像していたが、目元には笑い皺が刻まれていて随分と温和な人に見える。
「初めまして小松さん。私はこの寮で寮監をやっている藤多だ。それと更生監督もね。いやぁ、疲れたでしょう? ここは駅から離れているからね」
「え? あ、はい。そうですね。」
いきなり労いの言葉が出てくると思わなくて随分と素っ気ない返事をしてしまったが、寮監さんは構わず話し続ける。
「まぁまぁ、気を楽にして。君がどういった想像をしてこの寮に来たのかは分からないけれど、その顔を見るとたぶん予想と外れていたんだろう? 例えばもっと薄汚い、劣悪な環境を想像していたんじゃないかな」
「そんな、劣悪だなんて……」
「いやいや、正直に言ってくれて構わないんだよ? それとも私の話は間違っているかい?」
「あー……いえ、はい。寮監さんの言う通りです。実は元奉仕員だったっていう人の話とかをネットで読んでいたんですけれど、そこにはあまり良いことが書いてなくて」
「ハハハ、素直だね君は。でもまぁそう言うってことは、ここが思っていたよりも良い場所だったってことだ」
「すみません」
「なになに、謝ることじゃない。君は真面目そうだから気を楽にしろって言ったって中々難しいんだろうけど、それならそれでゆっくり慣れていけばいいさ。あとそれから私のことは藤多と呼んでくれて構わないよ。寮監さんっていう肩書で呼ばれるのはなんだか抵抗があってね」
「分かりました。色々と気を使ってもらってすみません」
「すみませんは口癖だな」
「あー、えーっと、はい……」
「ハハ、意地悪するつもりじゃなかったんだ。ごめんよ」
「いいえ、藤多さんは何も悪くありませんから……」
「他の寮生たちはもっと適当なやつばっかりなもんだから、ついついいつもの調子で話してしまった。君と話すときはもう少し慎重にせんといかんなぁ」
そう言うと藤多さんは立ち上がってコーヒーを作り始めた。
簡素な台所で作業を始める藤多さんの後ろ姿を眺めながら、彼の人となりを考えていた。
まだ出会って少ししか経たないけれど、この人はたぶん信頼してもよい人だと直感的に思う。
「砂糖とミルクは入れるかい?」
「あ、お願いします。それと申し訳ないんですが、砂糖を2杯入れてもらえますか?」
「君は甘党か。了解了解」
自分でコーヒーを入れる時はスプーンに4杯の砂糖を入れているのだけど、なんだかそう伝えるのは恥ずかしくてついつい見栄を張ってしまった。
いつもより苦いコーヒーを飲みつつ、藤多さんからこの寮に関する様々なルールについて説明を受ける。だがその内容は門限の時間やゴミの出し方、掃除当番であったりと、普通の暮らしに少しだけ制限がかかった程度のものでしかなかった。もっとも、これらの話は事前に配布されていた入寮の手引きという冊子で知ってはいたけれども。
「さて、これで寮の生活に関する説明は一通り終わったけれど、何か質問はあるかい?」
「いいえ、特には」
「ふむ、大抵の入寮者はお金の使い方に関する説明の時に随分と渋い顔をするのだけれど、君は何とも思わない?」
「もともと何かにお金をかけるという生活をしていませんでしたから特に不満というものはないですね。渋い顔をする人がいるというのも理解できますが」
「どうやら本当に大丈夫そうだね。説明していない細かいルールもあるんだけれど、その辺りは君の同居人から聞いてくれ。不文律みたいなものだよ」
「はい」
「それじゃあ今日の所はこれぐらいにしておこうか。奉仕員としての説明は明日の朝礼の後にやろう。荷物の整理もあるだろうから今日はもう自由にするといいよ。でも門限と夕食の時間は守るように」
「はい、色々とありがとうございます。これからよろしくお願いします」
そう言って退出しようとしたところで、思い出したように藤多さんに呼び止められた。
「あぁ、ちょっと待ってくれ、すっかり話し込んでしまって肝心なことを忘れていたよ」
藤多さんはいそいそと隣の部屋へ移動し小さな箱を持ってきた。中身を確認するとそこには腕時計のようなものが入っている。
「これは?」
「奉仕員になった人はこれを着けなきゃいけないんだ。一見するとデジタル式の腕時計なんだけど、GPSの機能が備わっていてね。まぁ、正直に言ってしまうと私みたいな更生監督が君たちの居場所を監視するためのものさ。とはいってもいつも監視しているわけじゃないよ。使うとすればせいぜい門限を過ぎても寮に帰ってこないときとかかな」
「あぁ、そういえば奉仕員の人たちはそういうものを着けているっていう話を聞いたことがありますね。でも、その人が取り外しちゃったら意味がないんじゃないですか?」
「そこはもちろん自由には取り外しできないようになっているよ。毎日朝礼の時間にみんなに着けてもらうんだけど、一度取り付けると私がロックを解除するまでは取り外せないようになっていてね。日中の間はそれぞれの奉仕活動に励んでもらって、また夕方になって寮に戻ってきたらロックを解除して次の日まで保管しておく。この腕時計は君が入ってきたあの門の鍵にもなっているからね。これを着けているときしか外には出られない仕組みになっているんだ」
「なるほど」
手にした腕時計をはめると微かにパチッとした音が聞こえて鍵がかかったことが分かる。
これで晴れて僕は犯罪者の身になったわけだ。晴れてというのもおかしな話だが、少しだけ気分が楽になったのは事実だ。
「それじゃあ今度こそ話はお終いだ。まずは荷物の整理があるだろうけど、その後は夕食の時間まで自由にしてもらって構わないよ。その腕時計があれば門のロックも解除できるから、街の様子でも見てくるといい」
「分かりました。18時までには戻ってこの時計を返却するようにします」
藤多さんに別れを告げると一旦外に出て、建物の外にある階段から自分の部屋である2階の部屋へと向かう。
寮はアルファベットのIの字のような形をしていて、2階建てになっている。
藤多さんから手渡された鍵には[205]と刻印がしてあった。スチール製の階段をカンカンと音を立てながら階段を上がり、そのまま廊下の一番奥へと進む。部屋のドアに『205』とプレートが張り付けられているのを確認して僕はドアを開いた。
殺風景な部屋だった。5メートル四方ほどの空間がそこにはあって、簡易的に備え付けられたカーテンで半分に区切られている。
2人1組の共同部屋を使うことになると聞いていたが、最低限のプライベートは確保できるようだ。手前半分の何もない空間が僕に与えられた部屋ということだろうか? 部屋の残り半分はカーテンで囲われていて見ることができない。
まずは同居人に挨拶するべきかと思って一声かけてみたのだけれど反応がない。ひょっとして外出中だろうか?
勝手に相手の部屋を覗くのもどうかと思ったけれど好奇心が勝ってしまって、ちょっとだけ遠慮しながらカーテンをめくって中の様子を見てみる。
目に飛び込んできたのは胸を強調したポーズをとった女性――のポスターだ。
部屋の中は小さなテレビや漫画で埋め尽くされた本棚、弦の切れたギターがなどが置いてあるけれどそこまで不潔な印象は感じなかった。服は綺麗に折りたたまれて棚に収納されていたし、床にはゴミ一つ落ちていないからだ。
そこでふと藤多さんに言われたことを思い出した。たしか抜き打ちで部屋の見回りがあるらしく、もしも部屋の清掃状況に問題ありと指摘されると様々なペナルティが課されるらしい。
ペナルティの具体的な内容というのは休日の外出禁止や寮の1週間掃除係などである。大したことではない気もするが、大の大人がそういったペナルティを受けるというのは恥ずかしいという羞恥心が働くのだろう。そういったところがうまい具合に抑止力として働いているのかもしれない。
視線を自分の部屋に戻し、僕は持参した荷物を開け広げることにした。
とはいえ荷物はほとんどない。何着かの衣類と数冊の本、それから日用品ぐらいのものだ。部屋に備え付けの棚へ荷物を片付けると、あっという間にすることがなくなってしまった。
手錠代わりの腕時計は午後3時半を表示していた。夕飯は寮の隣にある建物で他の奉仕員の人たちと一緒に18時から取るのが決まりとのことで、それまでには必ず寮の敷地内にいなければならない。逆に言うと今から2時間ほど自由な時間があるということだ。
初日にこんな自由な時間があると思っていなかった。特にあてもないので、街の雰囲気をつかむために周囲の散策でもしようか。
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