第4話 異文化ではなく、私たちの文化

 村の広場が、ざわついていた。


 私とアトルが見に行くと、中央に旅人らしき男が立っていた。灰色の上衣に、肩から提げた革鞄。どことなく、よそ行きの言葉を話している。


「この村は、まだ“祝福の儀”なんてものを信じているのか?」


 旅人の声が、大きく響いた。


「時代錯誤にもほどがある。神託? 果実を割って結婚? ははっ、どれだけ迷信深いんだ」


(うわあ……)


 最悪だ、と思った。


 私もかつて“形式的儀式”だと誤解していた。けれど今は違う。


 それが彼らにとってどれほど大事で、心の軸になっているのか、少しずつ分かってきた。


 ──その文化を、あんなふうに“笑い飛ばす”人が現れるなんて。


 アトルは、旅人の前に静かに立った。


「我らの風習に、不快を覚えたか?」


「いや、驚いただけだよ。まさか本気でやってるとはね。俺は各地の村を回って“伝承の残滓”を記録してる。研究者ってやつさ。……まあ、学者気取り、って言われたこともあるが」


「ならば聞くが、なぜ笑った?」


「“再現”だろう? 古くなった儀式を見せ物みたいに保ってるだけ。真剣にやってるふりをして、実際には形骸化してる村なんて山ほどある。ここもそうだと思っただけだ」


 その瞬間、アトルの目がわずかに揺れた。


 だが、怒るでも、言い返すでもない。ただ、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「ふりではない。今も“誓い”として行っている。……たとえ外の者には理解されずとも」


 旅人は鼻で笑った。


「へえ、それでこの人が“妻”かい?」


 私の方を見て、揶揄するように笑う。


「随分と無理があるように見えるけどなあ。なあ、あなたも“演技”でしょ? 本気で信じてるわけじゃ──」


「──失礼します」


 私の声が、思ったより大きく響いた。


 周囲が、静まる。


「確かに、私は最初、この文化を誤解してました。形式的な模倣だと。でも、それは私の勉強不足でしかなかった」


「……は?」


「あなたが他の村で何を見てきたかは知りません。でも、ここの人たちは──アトルは、真剣に生きてます。文化を守ろうとしてます。それを、笑っていい理由にはならない」


 自分でも、こんなに強い口調になるとは思っていなかった。


 アトルがちらとこちらを見る。その目が、わずかに驚いていた。


 でも、次の瞬間には、あの静かな笑みが戻っていた。


「ここは、旅人を拒まぬ村だ。だが、敬意を持たぬ者には、何も見せるものはない」


 旅人はしばらく黙っていたが、やがて小さく肩をすくめた。


「悪かったな。研究者ってやつはつい、他人の信じてるものを“標本”にしがちで」


 そう言って、踵を返す。


「次の村に行くよ。……アンタらが、形式だけじゃないって証拠、いつか論文で見せてくれ」


 そして、彼は去っていった。





 その夜。私たちはふたり、焚き火の前にいた。


「怒ってないの?」


 私が尋ねると、アトルは首を横に振った。


「外の者に、我らの文化の重みがわからぬのは当然だ。だが、お前が“我らの側”に立ってくれた。それが、何より嬉しかった」


 その言葉に、胸が熱くなる。


 私は気づいた。


 これはもう、単なる研究ではない。私はこの文化を、そして彼を、心のどこかで「守りたい」と思ってしまっている。


 この村に来た意味が、ようやく見えてきた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る