死への覚悟
アーケードから差す木漏れ日が、歩く足元に小さな斑点模様を作る。
夕暮れの商店街は、いつもより少しだけ人通りが多かった。いつもの下校時間よりも早いせいか、買い物帰りの主婦、仕事帰りのサラリーマンも入り混じっているようだ。
俺は一人、肩を落としながら無意識に歩幅を狭めていた。
心の奥に渦巻くのは、言葉にできない焦燥と虚無感。
彼女を失ったという絶望が、胸を締めつけた。
「俺は、俺は……」
何度も自問するが答えは出ない。
ただ家に帰るだけ道が、今は果てしなく遠く感じられた。
──なんだか騒がしい。
前方の人波がざわついている。
すると突然、ふらふらと揺れていた男が地面にうずくまった。
「大丈夫ですか!?」
思わず声を張り上げ、胸を押えながら呻く男性の肩を揺する。
しかし、その身体は人とは思えないほど冷たかった。
(なんだろう、胸騒ぎが──)
顔色を伺おうと顔を覗き込むと、男の瞳は、
すでに真っ黒に染まっていた。
「……ッ!!」
胸騒ぎの正体に気付いたころには、男は動物の鳴き声のような低い唸り声を漏らしながら、勢いよく飛びかかってきた。
「なっ……!」
間一髪、咄嗟に身をかわし、手で払いのける。──が、ひと息付く間もなく、男は自我を失ったように迫ってきた。
「くっそ、なんなんだよ……!」
逃げるように男の体の隙間をくぐり抜けると、肉が腐ったような生臭さが鼻をつく。
その生々しい臭いに、これが現実だとまざまざと思い知らされるようだった。
「や、やめ……っ!」
心臓が激しく脈打ち、呼吸は乱れ、背筋には冷たい汗が流れる。
逃げるように後ずさりすると、背中にトン、と硬いものが当たった。
それが壁だと気が付いたときには、男の顔は目と鼻の先に迫っていた。
(ごめん、皐月。俺もそっちに──)
ゆっくりと目を瞑り、体の力を抜いてそっと死の覚悟を決めた。
目前に迫った異形の男が俺の皮膚に触れようとしたその瞬間、脳裏に見慣れない光景が浮かんだ。
──雑然とした部屋。怒号。
止まない電話のベル。ここは……会社?
まるで自分がそこにいるかのような、そんな錯覚が胸を締めつける。
晃太郎は意味も分からず、ただその感情の重さに圧倒されていた。
「なんだ、今の……」
身に覚えのない記憶に狼狽えていると、目の前からは息の根を止められたような苦悶の声が漏れ始めた。
「…うぁ…がぁぁ……あぁぁあ……!」
男は息苦しそうに首を押さえながら、まるで全身を焼かれたかのようにのたうち回っている。
「え、俺まだ生きてん、の?」
確かめるように手のひらを何度か開閉すると、そこにあるのは、見慣れた”自分の手”だった。
瞬間──耳元で微かに感じる振動と目の前を横切る風。
「……折笠、無防備すぎるぞ」
その風の正体が旬祢くんだとわかったのは、俺が数回瞬きをしてからだった。
こちらを一瞥しただけで事態をすべて悟った様子の彼は、すぐさま俺の元に駆け寄ってくる。
「ここからは俺に任せろ。絶対死ぬなよ」
「そ、そんなの俺に言われても……」
「まあ安心しろ。お前が死んで祟りになったら、俺がお前を祓ってやる」
この恐ろしい状況下でも余裕そうに口角を上げると、すぐに目の前の異形──男に向き直った。
「大人しくしていたほうが痛みは少ないぞ」
素早く男の背後に回った旬祢くんが刀を突き刺すと、男の周囲で
すると叫び声を上げ、そのまま芯が抜けたように地面に崩れ落ちる男。
苦悶する表情で呻きとともにのたうつ体からは、瘴気が濁流のように吐き出されていく。
魂が抜けたように、男は乾いた痙攣を繰り返した。
「……折笠。お前は人を守りたいと思うか」
首だけをこちらに向けて、口元に付いた血を拭いながら発した一言が、俺の意識を現実へと引き戻した。
守れなかった後悔。救えなかった苦しみ。
また誰かを失うのは怖い。
でも何より──もう大切な人を失いたくない。
「……守りたい。今度こそ強くなって、自分で人を…守れるようになりたい」
「そうか。なら、俺についてこい」
旬祢くんはどこか満足気にふっ、と笑みをこぼすと、無言で背を向けた。
その背中を見つめながら、握りしめていた拳に再び力を入れ直す。
「自分もこの人のようになりたい」と──
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