祓師の世界

 木陰の下、俺は力なく木の幹に身体を預けていた。


 言いようのない虚無感。

 絶望なのか、怒りなのか、自分でもよく分からなかった。


 そんな俺に、旬祢くんは好機だとでも言うように語りかけてきた。


祓師はらいし。祟りを祓い、封じる者のことだ」

「は、らいし?」

「ああ。その中でも己の肉体や精神の一部を差し出すことで欠位けついとなって、常人を超える力を得るものもいる。俺のようにな」


 含みのある言葉を呟くと、彼はおもむろに左目の眼帯に指をかけ、するりと解いた。


 その下にあったのは──


 


「……は?左目が、ない?」


 恐怖から思わず後ずさる。

 旬祢くんはそんな俺を冷静に見つめたまま、左目の窪みを労わるように指先でなぞった。


「これは強さを得るための対価だ。左目と引き換えに、常人には見えないものを見る力を得た」

「目を失うくらいで皐月を救えるなら、俺は、いくらでも──!」


 その瞬間、木々のざわめきは消え、空気が張り詰めるのを肌で感じた。


「……ナメるな」


 低く、抑えきれない怒気を孕んだ声が俺の耳を打つ。


「いくらでも? だったら今すぐ、その目をえぐってみろ。代償も知らずに、生半可な覚悟で理想を語るな」


 旬祢くんの言葉には、単なる怒りだけではなく、底深い後悔と悲しみが滲んでいた。


「ここで忘れることもできる。お前に責任はない。だが、知ってしまった以上は、関わることを強いられるかもしれない」

「……答えは一つ、ってこと?」

「ああ。お前は祟りに。そして、祟りもお前を


 怖い。信じたくない。

 このまま平穏だった日々に戻れたら。

 また、二人で笑い合えたなら、どれだけ幸せだっただろう。


(皐月のいない世界に、意味なんてあるのか?)


「お前は多分、もう選ばれてる。あの惨状を目の当たりにして、心を折られなかった時点でな」


 はっきりと言い切るから彼から気後れするように目を逸らし、肩をすくめて目を伏せる。


「……そんな力、俺にはない。実際、何もできなかった。皐月を、救えなかった」


(結局、「守る」なんて口だけで──)


「旬祢くんが助けに来てくれなきゃ、俺だって……みんなと同じように死ぬ運命だった」


 少し呆れたようにため息をつくと、壁に寄りかかりながら、挑発するような視線を俺に向けた。


「じゃあ、このまま何もできないお前のままでいいんだな?それで、萱島に胸張って顔向けできるのか?」


 その言葉に、ふと屋上での会話が蘇る。


 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「俺、一生皐月のこと守るから」

「ほんとに?ふふっ、頼りにしてるよ。私のこと、ちゃんと守ってね?」

「あったりまえだ!任せろ!」


 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


 そう言って胸を叩いた過去の自分の浅はかさに、心底腹が立つ。

 ああ、もう何も考えたくない──


「くっそ……俺だって意味わかんねぇんだよ!この状況が!祟りだの祓師だの、じゃあ俺は、何を!どうすればいいんだよ!?」

「それはお前の意思で決めることだ」


 散々現実を直視させておきながら急に突き放すような一言に、俺は肩を震わせながら俯いた。


「もう、いい。もう、全部……わけわかんねぇ。今の状況も、お前の言うことも」


 怒りを押し殺して、下を向きながらただ力なく呟いた。

 視界に入った自分の足元はふらついている。


 そんな身体を支えようと伸ばされた手を、俺は振り払った。


「一人にしてくれ。今は……誰とも話したくない」


 おぼつかない足取りで歩き去っていく俺の背中を、旬祢くんがじっと見つめていたことは、知る由もない。

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