第5話 ー 遼
水袋の奥から、自分自身の声が幾重にも重なって響く。
低くも高くもない、しかし拒めない圧力をもった音。
遼は、体の芯を鷲掴みにされるような感覚に襲われ、膝が震えた。
「聞いちゃいかん!」
嶋崎老人が叫び、祠に掛けられた古びた注連縄を握りしめる。
だが縄は湿りきり、老人の手の中で崩れ落ちた。
「封じは……もう持たねぇ……!」
水巾着は、祠の下から膨れ上がるように広がり始めた。
畳一枚ほどの袋状の膨らみが脈打ち、やがてそれは遼の影と繋がっていることに気づく。
――影が、水の中で揺らいでいる。
遼が動くたび、水袋の奥でも同じ影が蠢き、呼応するように泡を吐く。
「お前は……選ばれちまったんだ」
老人の声は震えていた。
「水巾着は、外から来た者を媒介に、袋を開こうとする。……その媒介が、お前だ。」
遼の耳元で、再び声が囁いた。
それは母だけではない。亡くなった祖父の声、子どもの頃の友人の声、そして未来の自分の声さえも混じっていた。
「戻ってこい……一緒に眠ろう……袋の中は、やさしい……」
祠全体が湿気を孕み、板壁から水が滴り落ちる。
町の外では突然、鐘の音が響いた。
それは町に古くから伝わる「水籠めの鐘」だった。
誰が鳴らしたのかは分からない。だがその低い音は、袋の膨張を一瞬ためらわせた。
嶋崎老人は、最後の力を振り絞って遼の肩を掴む。
「遼、ここで逃げるか、囚われるかだ。……お前が選べ。」
袋の中の「もうひとりの遼」は、笑っていた。
その笑みは、この世のどんな人間よりも安らかに見えた。
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