第3話 ー 封じられた袋

嶋崎老人は、ゆっくりと井戸の縁に腰を下ろした。

その声は、潮の満ち引きに合わせるように、途切れながらも重く響いた。


「水巾着は、昔からあったわけじゃねぇ。……いや、正確には“形”を持つようになったのは、百年ほど前だ。」


遼は息を呑む。老人は続ける。


「この町は元々、海と川に挟まれた袋地だった。逃げ場のない場所にな……。あるとき、洪水が来た。村ごと水に沈み、多くの者が溺れ死んだ。

だが死者の怨念は消えなかった。水は形を欲しがり、人を呑んで袋と化した。……それが“水巾着”よ。」


老人の瞳は、遠い過去を映していた。

「人々は恐れ、巫女を呼んで封じを行った。井戸に注連縄をかけ、神棚を祀り、表向きには“守り神”にした。だが本当は、“食う袋”を眠らせるためだったんだ。」


遼は、井戸の水面を覗いた。

そこには相変わらず、自分の顔を模した「もうひとりの遼」が、袋の奥で押し潰されそうに膨らんでいる。

それが幻なのか、実体なのか分からない。だが息苦しさは現実のものだった。


「なぜ……今になってまた動き出したんですか」

遼が問うと、老人はしばらく黙り込んだ。


やがて絞り出すように答える。

「町が縮んでいるからだ。若い者が出て行き、家は空っぽになり、残るのは古い血ばかり。……袋は空虚を嫌う。だから新しい肉を欲しがる。

今のお前さんみたいな、外から来た血をな。」


その瞬間、井戸の水面が大きく膨張した。

まるで巨大な水袋が内側から裂け、息を求めて破れる瞬間のように。

遼と老人は、とっさに身を引いた。


水面の奥で、無数の声が囁いた。

それは助けを求める声でもあり、誘う歌でもあった。


「おいで。柔らかいよ。眠れるよ。」


遼の耳に、確かに自分の母の声が混じっていた。

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