4話
誠一の書斎は、異様な熱気に包まれていた。最新型のMacBook Proのデュアルディスプレイが放つ青白い光が、彼の鋭く尖った頬を冷酷に照らし出している。
メインモニターのブラウザ上では、YouTubeのライブ配信ダッシュボードが「スタンバイ」の状態で、数万人の視聴者の流入を待っていた。待機所にはすでに4,500人を超えるユーザーが集まり、チャット欄は滝のような速度で流れている。
『主さん、生きてる?』『いよいよ警察沙汰か』『日本のタブーが暴かれる瞬間を目撃せよ』――。
「(……いい。この熱量だ。これこそが僕が求めていた『力』だ)」
誠一は、マウスのホイールを回しながら、歪んだ全能感に酔いしれていた。彼にとって、この画面の向こうにいる群衆は、多田や山根といった旧時代の遺物を焼き払うための「デジタルの火炎瓶」だ。
「(準備は整った。あとは時間になるのを……)」
その時だった。
静寂を切り裂くように、玄関の引き戸が激しく叩かれた。
――ガラリ。
鍵をかけていなかった。いや、あえてかけていなかった。暴徒化した村人が押し入ってくるシーンさえ、彼は「撮る」つもりだったからだ。
だが、聞こえてきたのは怒号ではなく、震えるような、老婆の啜り泣きに近い声だった。
「佐伯さん……。佐伯誠一さん、お頼み申します。お話を、お話を聞いてくだされ……」
誠一は一瞬、眉をひそめた。予定していた「対決」のトーンと違う。彼は部屋の隅にカメラの録画スイッチを入れて設置すると、足早に玄関へと向かった。
玄関先に立っていたのは、村の重鎮である多田を筆頭に、山根、石井、そして普段は誠一を無視し続けていた20代から30代の若手衆、総勢7名だった。彼らは一様に、夜露に濡れた作業着のまま、誠一の家のタタキに膝をついていた。
「なんだ、藪から棒に。帰ってください」
誠一が冷たく言い放つと、多田が土間に額を擦りつけた。
「申し訳ございません。佐伯さん、本当に、我々が愚かだった。ゴミのことも、水のことも、夜中の騒音も……すべて、我々が仕組んだことです。謝って済むことではないのは百も承知。だが、どうか、今夜だけは……」
多田の背後で、若手の一人、誠一よりも一回り以上年下のはずの男が、嗚咽を漏らした。
「佐伯さん、俺たちも怖かったんだ。あんたが何かする度に村の空気が変わっていくのが分かって……。俺たちのやり方は間違ってた。あんたを追い出せば済むと思ってたんだ。でも、ネットに流されるのが一番怖い。村が、村じゃなくなるのが耐えられないんだ」
誠一は、その光景を冷徹な「プロデューサー」の目で見つめていた。
「謝罪なら警察で受け付けますよ。不法投棄に嫌がらせ、立派な犯罪だ」
「警察でもなんでも、明日になれば我々自ら出向きます。縛り首にでも何にでもしてくだされ!」
多田が顔を上げた。その瞳は血走り、目尻からは涙が溢れていた。
「ただ、今夜だけは、あの『放送』というやつを止めていただきたい。今、この村の恥部が外へ溢れ出せば、我々が何代もかけて守ってきた『均衡』が壊れる。そうなれば、あなた様や、奥様にまで、取り返しのつかない災いが……」
「災い? またオカルトですか。多田さん、あなたたちはいつもそうだ。論理的な対話から逃げて、そうやって非科学的な恐怖で人を支配しようとする。そんな古臭い手口、僕には通じませんよ」
誠一が鼻で笑うと、多田はさらに声を張り上げた。
「科学でも論理でもない! これは……これはこの土地の『ルール』なんです! 佐伯さん、あなたは都会の賢い人だ。だから分かるはずだ。均衡を失ったシステムがどうなるか。……お願いだ、今夜は一晩、話し合いの場を持ってはいただけませんか。隠し事はもうしない。この村がなぜこれほどまでに排他的だったのか、その全ての理由を話します。それで納得がいかなければ、明日、我々の首を撥ねる動画でも何でも流せばいい!」
多田の切実な訴えに、誠一の中にあった「合理性」が計算を始めた。
「(ここで突っぱねて配信を強行するのも手だが、あえて『和解の対談』という体で、彼らの口から直接『村の闇の正体』を自白させる映像を撮れたら……それは単なる告発動画を遥かに凌駕する、一級の歴史的資料になる)」
誠一はゆっくりと溜息をついた。
「……分かりました。そこまで言うなら、今夜のライブは中止しましょう。ただし、条件があります。僕が納得するまで、一分の隠し事もなく、村の全てを話してもらう。いいですね?」
「ありがとうございます……ありがとうございます!」
村人たちは、まるで地獄で仏に会ったかのような表情で、何度も、何度も床に頭を打ち付けた。その鈍い音を聞きながら、誠一は心の奥底で舌を出していた。
「(さあ、上がってください。君たちが自ら差し出す『村の命脈』、残さず全てデジタルデータに変換してやるよ)」
誠一は、彼らをリビングへと誘った。
その背後で、書斎のMacBookのモニターが、誰もいない部屋でひっそりと明滅していた。チャット欄には『中止?』『おいふざけんな』という怒号が流れていたが、誠一にとってそれは、次なる大爆発のための心地よいノイズに過ぎなかった。
誠一は、リビングの重厚な北欧デザインの椅子に深く腰掛け、向かい合う畳に正座した多田たちを見下ろした。隠したカメラは村人たちの卑屈な一挙手一投足を記録し続けている。
「さて。配信は中止にしました。視聴者からは非難轟々ですが……それに見合うだけの『面白い話』を聞かせてくれるんでしょうね、多田さん」
誠一の言葉に、多田は深々と頭を下げたまま、震える手で膝を撫でた。
「……ありがとうございます。まずは、この村の成り立ちからお話しないといけません。佐伯さん、あなたはここをただの『寂れた限界集落』だと思っておられるでしょうが、かつてここは、この県でも指折りの富を生む土地だったのです」
多田は語り始めた。
「戦後間もない頃、ここは養蚕の黄金郷でした。我々の先祖が育てる繭は、その白さと強靭さから『奥ノ沢の真珠』と称えられ、外貨を稼ぐ貴重な資源だった。当時の村には、今の静けさが嘘のような活気がありました。子供たちの声が山に響き、街道には絹を運ぶトラックが列をなしていたのです」
「へえ、意外ですね。でも、それがどうしてこんな有様に?」
誠一が鼻で笑うと、多田は苦渋に満ちた表情を浮かべた。
「高度経済成長の波です。国は、この村に大規模なダム建設と、山を貫くバイパス道路の計画を持ち込んできました。もしそれを受け入れていれば、村には巨額の補償金が入り、今頃は立派な観光地になっていたでしょう。しかし、当時の村人たちは……それを頑なに拒んだ」
多田の言葉を継ぐように、隣に座る山根が低く濁った声を出した。
「『道を通せば、土が汚れる。水が濁れば、声が聞こえなくなる』とね。俺たちは猛反対した。若かった俺たちは、文明の恩恵に預かりたかった。だが、村の決定は絶対だ。結果として道路計画は隣の町へ回り、この村は地図上の盲点のように取り残された」
「(なるほど、典型的な老害による衰退の歴史か)」
誠一は内心で冷笑した。カメラのフレームの中で、山根の悔しそうな表情が実にいい「味」を出していると思った。
「それからもチャンスはありました」と多田が続ける。「バブルの絶頂期、大手デベロッパーが奥ノ沢一帯を巨大なゴルフリゾートにする計画を持ってきた。村の負債をすべて肩代わりし、全世帯に一生遊んで暮らせるほどの金を出すという条件でした。我々世代は、今度こそ村を救えると思った。だが……」
「また、長老が反対したんですか?」
「いいえ。その時は、山そのものが拒んだのです」
多田の言葉に、誠一の眉がピクリと動いた。
「デベロッパーの調査チームが奥ノ沢の最深部、あの社がある場所へ入った翌日、現場の責任者が発狂しました。さらに数日後、建設予定地の斜面が、地震もないのに大規模な崩落を起こした。まるで、侵入者を拒絶するように。結局、計画は白紙。会社は倒産し、この村には『呪われた土地』という不名誉な噂と、さらなる孤立だけが残されたのです」
誠一は椅子から身を乗り出した。
「それで、その失敗続きの歴史を隠すために、あんな陰湿な村八分を? 外部の人間に土地を荒らされたくないから、ゴミを置いたり水を止めたりして追い出そうとした。そういうことですか?」
「半分は、そうです」
多田は、誠一の目を真っ直ぐに見つめた。その瞳の奥には、恐怖とも哀れみともつかない、形容しがたい色が混じっていた。
「我々は、発展を捨ててまで守らねばならないものを選んでしまった。いや、選ばされてしまったのです。佐伯さん、あなたが笑うのは自由だ。だが、この村がこれまで一度も、飢饉や災害で滅びなかったのはなぜか。それは、我々が文明の利器ではなく、もっと別の……『確実な指針』に従って生きてきたからなのです」
「確実な指針……?」
誠一の問いに、多田は応えなかった。代わりに、彼は背後で静かに水を飲み続けている奈緒へと、一瞬だけ鋭い視線を向けた。
「これまでの嫌がらせも、その『指針』を守るための焦りゆえのこと。外部の人間に不用意に土地を荒らされたくない一心で、あなたを追い出そうと恥ずべき真似をしました。ですが、もうそんなことは致しません。今夜、すべてを隠さずお話しして、明日からは誠一さんの活動に村を挙げて協力させていただきたい。それが、我々が今日ここへ伺った真意なのです」
多田の言葉はどこまでも低姿勢で、謝罪の誠実さに満ちていた
「『確実な指針』……。具体的にどういうことですか、多田さん。災害を予知でもしていると?」
誠一は、獲物の首筋に牙を立てる直前の肉食動物のような心持ちで問いかけた。
多田は膝の上で固く結んでいた手をゆっくりと解き、掌を上に向けて広げた。
「佐伯さん、この村には古くから伝わる『役目』があるのです。……特定の家系の女が、数世代に一度、この土地の『声』を預かるという役目です。我々はその声を、生きるための羅針盤としてきました」
「声? 予言者か何かだと言いたいんですか?」
「外の人間に説明するのは難しいのですが……」多田は言葉を選びながら続けた。「その女が語る言葉は、単なる未来予測ではありません。この山々、この水、この土がこれからどう動くのかを、彼女の喉を借りて吐き出させる。昭和の大火も、近隣の町を襲った豪雨災害も、我々は事前にそれを『聞き』、備えることができた。この村が貧しくとも、致命的な破滅を免れてきたのはそのためです」
誠一は鼻を鳴らし、わざとらしく大きなため息をついた。
「(カルトだ。完全にカルトの論理だ。最高じゃないか、この素材は!)」
しかし、多田の顔から余裕が消え、今までにない悲痛な色が浮かんだ。
「ですが、佐伯さん。我々が最も恐れているのは、その『声』そのものではなく、それが外へ漏れることなのです。村には古い予言が残っております。『言葉が垣根を越え、遠き衆目に晒される時、安らぎの地は潰え、土は毒を吐く』と。この村が静かに閉ざされている限り、我々は安らぎの中にいられる。……だからお願いです。今夜の配信だけでなく、この村で見たこと、聞いたこと、その全てをどうか、どうか公表しないでいただきたい」
山根も、若手たちも、一斉に畳に額を擦り付けた。
「頼みます、佐伯さん! ネットなんてところに流されたら、この村の『均衡』が壊れてしまう。俺たちの子供や、孫たちの代まで呪われることになる。あんたが納得いくまで謝るし、何でもする。だから、秘密だけは守ってくれ!」
誠一は、彼らの「必死さ」の根源を理解した。彼らは単にプライドを守りたいのではない。この非合理な「予言」という呪縛に、骨の髄まで支配されているのだ。
「……分かりました」
誠一は、深く椅子に寄りかかり、慈悲深い聖者のような微笑を浮かべた。
「皆さんの切実な思いは分かりました。ゴミや水の件は水に流しましょう。今夜のライブ配信も中止します。そして、僕がここで知った秘密も、他言しないと約束しますよ。僕はただ、この村でのんびり暮らしたいだけですからね」
「……本当ですか、佐伯さん! ありがとうございます、ありがとうございます!」
多田たちは涙を流して感謝し、何度も頭を下げながら帰っていった。
玄関を見送り、静寂が戻ったリビング。誠一の口角が、醜く吊り上がった。
「(馬鹿な奴らだ。『公表しないでくれ』だと? 隠せば隠すほど、情報の価値は上がるんだよ。安らぎ? 均衡? 知ったことか。そんなものは、僕の動画のエンゲージメントを高めるための最高の調味料だ)」
誠一は、隠したカメラを取り、狂喜に満ちた手つきでPCに接続した。
「(和解したふりをして懐に入り、奥ノ沢の社の正体も、その『声』の家系も、全て根こそぎ暴いてやる。今夜の配信中止なんて、壮大な前振りに過ぎない。次にアップする時は、この村を根底から破壊する『情報の核爆弾』を落としてやるんだ)」
誠一は、興奮を抑えきれずに画面を見つめた。
ふと、背後の暗がりに立つ奈緒に気づく。彼女は相変わらず井戸水を口に運び、不自然なほど透き通った瞳で誠一を見ていた。
「誠一さん。……『秘密』を食べているのは、あなただけじゃないのよ」
「ああ、そうだな、奈緒。明日からもっと面白くなるぞ。この村の連中が必死に隠したがっている『宝物』を、全部掘り出してやろう」
誠一は、奈緒の言葉の意味を深く考えず、キーボードを叩き始めた。
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