第4話 配属

 デパートの4階、レディースコーナーの奥にある下着売り場。

 普段なら絶対に足を踏み入れないはずの空間に、悠馬はそっと歩を進めた。


 そこは――色とりどりのレースやフリルが咲き乱れる、まさに秘密の花園。

 課長から渡されたシンプルな下着とはまるで別世界で、目移りしてしまうほど眩しい。


(……試験抜きでも欲しいかも)


 自分でも意外な感情に戸惑いながらも、ここまで美容室も化粧品売り場も乗り切ってきた自信が背中を押した。

 悠馬は勇気を振り絞り、店員に声をかける。


「あ、あの……サイズ測定お願いします」


 にこやかに案内され、試着室に通される。

 店員が手際よくメジャーをあてがいながら、ぽつりとつぶやいた。


「細いのに……肩幅が意外としっかりされてますね。それに、くびれも控えめで、お尻の丸みも少なめですね」


 心臓が跳ねた。

 冷や汗が首筋を伝う。バレた――?


 スリムな体形を維持するよう気をつけてはいるが、骨格だけはどうにもならない。

 ごまかしようのない現実に唇を噛みそうになった瞬間、店員はにっこりと笑った。


「でも大丈夫です。最近は補正下着でラインを整える方が多いんですよ。こちらのシリーズなんて、肩幅を華奢に見せつつウエストをきゅっと引き締めてくびれを作って、ヒップもふっくら見せられます」


 店員が取り出したのは、レースがあしらわれた華奢なインナー。

 説明を聞きながら、悠馬は全身の力が抜けるような安堵を覚えた。


(……まだ、バレてない)


 だが同時に、差し出された補正下着を手にした瞬間、これを買う自分の姿に妙な現実感が生まれた。

――女性秘書としてやっていけるかもしれない。

そんな期待が胸の奥で膨らみ、鼓動をさらに速めていった。


◇ ◇ ◇


 課題をクリアした悠馬は滝川課長の元へ戻り、最終試験の結果を報告した。


「ふ~ん、村瀬さんはこんなのが好みなのね」


 課長は真っ赤なブラジャーを指でつまみ、意味ありげに笑う。他にも紫や黒のランジェリーがデスクにずらりと並んでいて、どう見ても社内の光景ではなかった。


「し、知らないようだから教えておくけど……下着の色選びはね、透けるかどうかも大事なの」

「えっ!?」


 思わぬ視点に、悠馬は思わず声を裏返らせる。


「まあ、透けてくれた方が専務は喜ぶでしょうけど」


 ニヤリと笑った課長は「試験は合格よ」と告げた。胸をなでおろしたのもつかの間、彼女はさっそく内線に手を伸ばす。


「他の秘書メンバーを呼んだから、紹介するわね」


 口角を上げたその表情は、「新人秘書・村瀬優」として振る舞え、という無言の合図だった。


 やがて現れた三人の女性秘書。黒髪ロングの松林かおり、紺のワンピースを着た竹田詩乃、茶髪ボブの梅川沙希――。三人三様に華やかで、その一挙手一投足に気品が宿っていた。


「専務の秘書として配属になりました、村瀬優です」


 自己紹介を終えるや否や、三人はぐっと距離を詰めてくる。


「きゃー、かわいい!」

「仕事で困ったらいつでも相談してね」

「ライン交換しよ。なんでも聞いてあげるから」


 一気にスマホを取り出され、流れるようにグループに組み込まれる悠馬。勢いに押されながらも、歓迎ムードにひとまず安堵する。


 だが彼女たちが去った後の課長の言葉で、その裏事情を知ることになる。


「専務秘書が空席のままだと、あの三人の誰かが行くことになる。だから村瀬さんが来てくれて大助かりなのよ」


 優しい笑顔の奥に潜む真実に愕然とする悠馬。

――じゃあ、結城専務って一体どんな人なんだ?


 答えはすぐに明らかになった。

 

「早速、専務に挨拶に行きましょ」


 課長につられて向かったのは、同じフロアにある専務室。

 ノックをして、恐る恐るドアを先に待っていた結城専務は思い描いていたタヌキ腹の中年オヤジとは正反対で、黒髪がきらめき、香水のように甘い香りを漂わせている女優のような人だった。

 

 皮張りの椅子から立ち上がり、悠馬の近くにやってくるとその白い指先が悠馬の顎をそっとなぞる。


「かわいい子ね」


 艶やかな声に体が固まる。悠馬は「よろしくお願いいたします」と緊張気味に答えるしかできなかった。


 部屋を辞したあと、廊下で小声をもらす。


「専務が……女性だなんて、聞いてませんよ」


 課長は悪びれもなく肩をすくめる。


「自分の会社の役員ぐらい把握しておきなさいよ」


 工場勤務の地域枠社員にとって本部の役員たちは雲の上の存在。顔どころか名前すら知らない社員も多い。


 課長は部屋に戻ると、これまでの経緯を教えてくれた。


「結城専務は女性だからこそ、体を触ったり出張で同室を希望しても“女性同士”で片付けられるの。しかも地位が上がるにつれて、その度合いは増す一方」


 次々に秘書が辞めた理由に、悠馬は背筋を冷たくする。


「だから、村瀬さんを呼んだの。男なら一度くらい美女に言い寄られたいでしょ?」

「……まあ、なくはないですけど」

「よかったじゃない。でも、専務は男が嫌いだからバレないようにね。」


 楽しそうに語る課長の横で、悠馬は青ざめる。


 ――待って。それってつまり、バレないように女を演じながら、専務のアプローチもかわして、なおかつ仕事も完璧に?

 ……二重どころか三重苦じゃないか!


 思わず心の中で叫びつつ、新人秘書「村瀬優」の本当の試練が幕を開けたのだった。

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