喫茶ボナセーラ その後
『……前向性健忘?』
『はい。新しいことなどが覚えられなくなる記憶障害です。……メメントという映画を観たことは? あちらでも主人公は前向性健忘として描かれていましたよね』
『……それで、過去の記憶が失われる事はあるのでしょうか』
『前向性健忘という障害が示すのは先の記憶だけですが、記憶というのは過去も今も揃って組み上げられるものです。先の記憶が失われる場合、過去が孤立し次第に曖昧になってゆくのも臨床の場では観測されています』
『そうですか……』
喫茶ボナセーラに女性議員と秘書がやってきていた。以前に秘書が店主と女性議員の関係性を探った際に、秘書は店主に聞くだけでは埒が明かないと思い、女性議員に事の顛末を話していた。女性議員は店主との関係は紛れもなく夫婦である事と、店主の抱えている記憶障害について説明した。
「そういうことだったんですね」
秘書が納得したかの様にうなずく。
「あれ見せてよ」
女性議員が店主の胸ポケットからメモを取り上げた。
『すいようび だんせい ひとり こーひー しんぶん』
「こういうことよ」
そこには、これまで来店した客の記録がくまなくメモされていた。店主は女性議員と決めた事で、メモにより記憶障害の対策をとっていた。すると店主が、
「……ミカコか」
「喋った!?」
驚く秘書に女性議員が呆れた声で、
「ああ……無口は元からよ」
白猫がにゃーんと鳴いた。少し空いたボナセーラの玄関から、また新しい風が吹いていた。
静かな喫茶ボナセーラ 加瀬あずみ @qqrcx
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