◇取材記録:頭上の“笑い声”

■取材記録:頭上の“笑い声”


【取材日】平成三十年十一月

【聞き取り対象】M氏(二九歳・兵庫県丹波市在住)


 M氏は、兵庫県中部の山間地域、丹波市の小さな集落に生まれ育った。神戸や大阪から電車で二時間足らずとは思えないほどの深山で、昼間でも木陰が濃く、夜になれば闇がすぐ足元までせり出してくる土地である。

 証言は、集落近くの地元商店を改装した喫茶店で行われた。物静かな口調の彼は、あの夜の体験を、温かい番茶を前にしながら静かに語り始めた。


 「夜の11時ごろだったと思います。駅から実家まで、林の縁を抜ける道を歩くんですけど、その日もいつも通りだったんです。イヤホンで音楽を流しながら歩いてて、ふと外したら――後ろから“笑い声”が聞こえたんです」


 最初は、風の音か自分の勘違いだと思ったという。だが、音は次第に輪郭を持ちはじめた。


 「若い女の子たちがふざけて笑ってるような声でした。“クスクス”って、ちょっと楽しそうで、でも同時に自分をからかってるような……そんな感じ。珍しいな、と思って、ちょっと振り返ったんですけど、誰もいない。月明かりもあったし、見通しは良かったはずなのに」


 その笑い声は、M氏の歩く速さに合わせてついてきた。


 「速度を上げても“クスクス”は後ろからついてくる。やがて、それが頭の上のほう、木の枝あたりから聞こえてきたんです。……もうダメだと思って、道を外れて一気に走って帰りました」


 笑い声は、帰宅する頃にはようやく聞こえなくなっていたという。


 「家に着いて、祖母に話したんですよ。『なんか変な笑い声が聞こえて……』って。そしたら、“ああ、それは狸囃子やろ”って、あっさり言われて。『あの道はな、昔からよう聞こえるんや』って。囃子ではないと思うんですけど」



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 この証言に登場する「笑い声」は、古典的な狸囃子の音楽的要素とは一線を画しつつ、明確にその系譜に連なる現代的表現といえる。狸囃子は、笛や太鼓といった楽器の音に限らず、ときに「声」そのもの――とくに笑いや掛け声――として聞かれることがある。


 とりわけ、M氏が聞いたような「ふわっとした若い女の声」は、不安と親しみが入り混じる典型的な“化かしの声”である。ユーモラスで軽妙なはずの笑いが、ひとたび“誰に向けられたものか分からない”とき、人間にとってそれはもっとも不気味な音へと変質する。


 また、笑い声が「頭上から聞こえてくる」という構造にも注目したい。狸は古くから「木の上」や「屋根の上」に現れるとされ、目の届かない高所に姿を見せる存在として伝承されてきた。人の視界の“死角”に潜むことで、視覚ではなく聴覚による化かしを成立させる。それは、狸が「そこにいる」のではなく、「そこにいたかもしれない」という気配を残すことによって作用する、極めて精巧な幻術の一形態である。


 このように、笑いと恐怖のあわいに立つ“音”としての狸囃子は、現代においてもなお、人間の情緒と論理の境界を巧みに攪乱し続けている。滑稽なはずの笑いが、ある瞬間に死の気配へと転じる。その感情の反転そのものが、狸の真骨頂なのだ。

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