第12話 連綿と続く知恵の継承こそが開拓者の力なのだ。
動く街をヨアヒム達一行が出発したのは夜明け前、二層の外壁の淵からようやく光が漏れ始めた頃だった。
空は茜色から群青へのグラデーションに染まっている。ひどく美しい朝焼けだった。
準備を澄ませてレイラの宿で落ち合い、それから外壁にぽっかりと空いた三層へと続く回廊に足を踏み入れた。
ジョナサンとヨアヒムが背負子を背負い野営具や当面の食料などを分担して運ぶ。
ヨアヒムとヘンリエッタが荷役に着く予定だったが、ジョナサンが鍛錬にもなるからと願い出たので彼と二人で運ぶ事になったのだ。
"軽量化"を施した背負子で背負っているとは言え、四人分の野営具や食料などの消耗品を運ぶのはなかなかに重労働だ。
長く続く階段を一歩一歩踏みしめながら、ヨアヒムは先頭を歩くヘンリエッタに声をかける。
「ヘンリエッタ、いつも通りペース配分任せて良いか? 昼までには開拓村に着きたい」
目標を伝えてペースを任せる事にする。
実際のところ、ヘンリエッタは優秀なペースキーパーだ。任せておけば予定通りに到着できる、少なくともヨアヒムはそう確信していた。
「あいよ、ジョン、リーシャもしっかりついてこいよ? 距離が稼げるところはペース上げて行くからキツかったら遠慮なく言えな」
ヘンリエッタが後ろを振り返りながら
「うっす、先輩」「うん、頑張る!」
各々に返事をしてヘンリエッタの後に続区二人の姿を、ヨアヒムは隊列の最後尾から眺める。
ジョナサンとリーシャは気があうようで、和気藹々と世間話をしながら歩みを進めていく。
昨日の酒場での一件が尾を引かないかと内心気がかりだったが、ことあの二人に関しては心配いらないようだ。ただジョナサンのヨアヒムに対しての態度は相変わらずだった。
「昨日は生意気言ってすんませんした」
と、朝顔を合わせて開口一番に謝罪は受けたものの、どうにもジョナサンはヨアヒムを避けているきらいがある。
原因に思いあたる節がない事が余計に、ヨアヒムの心にモヤモヤとした気持ちにさせた。
しかし隊での役割はきちんとこなす腹づもりらしく、荷を担ぎながらもセオリーどおり、隊列の二番目の位置で時折周囲に視線を送りきちんと警戒している。
そこは頭を切り替えると言うことなのだろう、ヨアヒムはそう解釈することにした。
特筆するほどのトラブルもなく道行きは進む。
小休止を三度はさみ二刻ほど登り続けると、単調だった登り階段に変化があらわれる。小さな広間に出たのだ。
広間の先には通路が三つ。その先は薄暗く見通しが悪い。
「ヨアヒム、"網目"に出た。一番近い出口でいいのか?」
と先頭のヘンリエッタが振り返り、ヨアヒムに判断を仰いだ。
「それで良い」
振り返るヘンリエッタにヨアヒムは頷き返す。
それぞれの通路の入り口には壁を削って書かれた記号がついている。ここを通る開拓者達がつけていった目印だ。
「明かりが必要だな」
ヘンリエッタがそう口にした頃には、ヨアヒムは背負った荷物からカンテラを取り出していた。
ジョナサンもそれにならって自分の背負った荷物からカンテラを取り出しこちらに持って来る。
「ヨアヒムさん、お願いします」
「あ、リーシャ出来るよ!」
伏せ目がちにジョナサンが差し出したカンテラに、割って入ったリーシャがその小さな手をかざしてみせた。
ガラス窓の中には"照明"の刻印が施された鉄球が仕込まれ、マナを送ればそれは辺りを明るく辺りを照らしはじめる。
二つのカンテラに明かりが灯ると、おぉ……とジョナサンが感嘆の声を漏らした。
「いつ見ても便利だよなぁ。火種も油もいらねぇなんて」
ヘンリエッタは明かりの灯ったカンテラを受け取り壁に彫られた記号を照らす。それを調べ、三つのうち中央の通路に進路を定めた。
壁には上向きの矢印、それに続いて数字で"1-3-2-1"と彫られているのが見える。
二層から三層への経路は一つではない。その入り口にしたって街が動く度に変わるのだからそれだけで経路は四つあることになる。
出口もまた一つではない。
小さな広間と細い通路を繰り返す構造が、三層の地下を蟻の巣のように張り巡らされていて、地上の様々なところに通じているのだ。
似通った単調な景色の連続な上、日の光がないこの"網目"では熟練の開拓者でも油断すれば容易く方角を見失う。
壁に彫られた記号は、過去に何度もここを行き来した開拓者達が自身が迷わぬため、あるいは後に来る者達のために残した目印なのだ。
「リーシャ、通路入り口の記号をよく覚えておくんだ。読み方を知っていれば迷わずに済む。
記号の一つ目の矢印はその先が登るのか降るのかを大まかに示している。その後に続く数字はこの先の順路を表してるんだ」
「数字は次に入る通路の番号なんだね?」
「そうだ、誰が決めたか定かじゃ無いけど、広間に入って左から順に番号を振るルールで書かれている。ただ完全じゃないから盲目的に信用するのは危険だ」
細い通路をカンテラで照らしながら一行は慎重に進む。
そう、この"網目"と呼ばれる迷路は決して安全では無い。
当然の事だが三層へ至る出口、それは言い換えれば二層へ至る入り口でもあると言うことだ。
そこをたどって地下の"網目"に足を踏み入れるのは何も開拓者だけに限ったことでは無い。
三層への道のりが開かれてから三百年近い時が経っても、未だに"網目"の全貌が明らかになったとは言い難い理由の一つに亜人達の存在がある。
彼らのうち"網目"を縄張りとした、主にゴブリンやコボルトといった者達が枝道を今も増やし続けているのだ。
暗く見通しが悪い"網目"の中で亜人達との遭遇戦はなるべくなら避けたかった。
多くの開拓者達よりも小柄な体躯の彼らは、この狭い通路の中にあっても俊敏に動き回る。
大きな荷物を抱えて移動する開拓者は身動きも満足に取れないまま蹂躙されることだってままある話だった。
幸いな事に、通路に刻まれた記号は正確で、道行きは緩やかに登り続けている。
ヨアヒムの経験からすれば、もうかなり地表に近いところまで登って来ているように思えた。
だが、最初に見た記号の通り、四つの通路と四つの広間を抜けてたどり着いた少し大きな広間には地上への出口は見当たらない。
それどころか、その広間にはいま入って来た通路以外に他の通路が無く袋小路になっていた。
「記号が間違ってたのか? やっぱあれだよ三つめの広間の通路、一つだけ新しく出来たみたいだったじゃないか?」
「可能性はあるな、そこまで戻って別のルートを……」
そう言いかけた時、エンバがピクリと耳を立て、今しがた入って来た通路を睨むように唸り声を上げた。その意味に気づいたヘンリエッタがリーシャの表情を伺う。
「リーシャ、なんか何か聞こえるか?」
「足音がいっぱい、それにこの臭い……」
リーシャは顔をしかめ袖で口元を覆う。
「どのぐらいの距離だ? 近づいているかどうかだけでもわかるか?」
ヨアヒムはつい早口になってしまったのを反省しながらリーシャに尋ねる。
「ごめんなさい、音がくぐもっててくわしくは……。でも近づいきてると思う。」
リーシャは目をつぶり懸命に何者かの足音を探っていた。
「どうするよ、ヨアヒム?」
「臭うってことは十中八九ゴブリンだろう。近ずいて来てるって事はこちらよりも数で勝ってるって事だ」
ヨアヒムは冷静さを欠かないよう努めながら状況を口に出して思考を整理してゆく。
「ルートを見失ってる以上、下手に動けば余計に迷う公算が高い。ここでやり過ごす、無理なら迎撃する」
ヨアヒムは方針を宣言すると背負子を下ろしリーシャを背にかばうように通路に向き直る。
ヘンリエッタも大楯を構えて通路に目を向けた。ヨアヒムはカンテラの明かりを絞り、息を殺して小声で指示を送る。
「相手がこちらに気づいていないならやり過ごす。音を立てないように気をつけて。リーシャどうだ?」
そばにしゃがんでリーシャの聞き耳の結果を確認する。ジョナサンも通路から一番遠い壁際に背負子を下ろすと腰に下げた投擲ナイフを構えた。リーシャはかぶりを振る。
「やっぱり近づいてる」
そうか、と頷くとヨアヒムはヘンリエッタとジョナサンに目配せして通路を見据えた。
覚悟を決めるしかない。
「--しょうがない、ここで迎え撃つ」
一瞬の逡巡の後、ヨアヒムは決意を口に出した。
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