第11話 酒の勢いも、たまには必要である。

 工房への帰路についたリーシャとちょうどすれ違うようなタイミングで、ウェイトレスが蜂蜜酒の入った新しいグラスを運んでくる。


「明日出発なんだ、深酒は無しだぞヘンリエッタ」


 そうヨアヒムが釘を刺すと「わぁってるよ」とヘンリエッタは少し口を尖らせた。二人グラスを掲げて軽く打ち、グラスを鳴らす。


「苦労してる先輩に」「うっせぇ」


 拗ねたような表情を見せたヘンリエッタは一気にグラスをあおった。ヨアヒムも軽く一口、口に含んだ。

 蜂蜜の甘い匂いが鼻に抜ける。飲み下すと喉が焼けるような感覚。やがて胃のあたりから熱が上がってくるように身体にしみていく。

 酒を飲むのもずいぶん久しぶりだな、と早くも一杯目を空にしたヘンリエッタを眺めながらヨアヒムは思う。

 もともと毎晩晩酌するようなタイプではなかった。

 酒の席に居合わせれば雰囲気を壊さない程度に付き合う程度のものだ。別段嫌いという訳ではない。強いかと訊かれれば、正直わからなかった。


「何ちびちびやってんだよ」


 早くもアルコールの匂いを放ちながらヘンリエッタがからかうような目でヨアヒムを見る。


「そういうお前はペース早いよ。それで、彼はどうなんだ?」


 ヨアヒムはこの騒がしい知己が愚痴を吐くきっかけを作ってやる。

 彼、というのはもちろんジョナサンの事だ。


「どうって言われてもなぁ、何が知りたいんだよ。アタイの下に付いてまだ一週間ほどしか経ってねぇんだ。アタイだって多くを知ってる訳じゃないぜ?」


 ウェイトレスが届けた二杯目に口をつけながらヘンリエッタが質問で返す。


「そうだな、例えば隊列でのポジションとか。そういう話できる雰囲気じゃなかったろ? 知っておいた方がいいことは先に知っておきたいかな」


 ヨアヒムも一口グラスをあおる。


「ポジションか、アタイの後ろ、中距離だな。投擲手スリンガーだからよ」


 なるほど投擲手スリンガーか。

 ヨアヒムは口元に手を当ててうなずいた。

 前衛のヘンリエッタに中距離のジョナサン、二人組ツーマンセルでも連携しやすい組み合わせだ。ベアトリーチェが組ませたのだからその辺りが考慮されているのは当然と言えば当然と言えた。


「何ていうかその、腕前はどうなんだ?」

「手先は器用だな、ナイフ投げさせりゃなかなか様になってはいるんじゃねぇか? 勘も良いし機転も効く、新人ルーキーにしてはそつなくやってるよ」


 片肘をテーブルにつき、グラスを弄びながらヘンリエッタはそうジョナサンを評価した。


「ヘンリエッタがそう言うなら安心だな」


 正直なところ、ヘンリエッタが新人をつれてくるという話は聞いていなかった。

 リーシャの安全を図りながら新人の面倒まで見るのは、あるいはたいそう骨の折れる話なのではないかと内心考えていたのだ。

 どうやらそれは杞憂に終わったらしい。ヨアヒムはほっと胸をなでおろして微笑んだ。


「正直アタイに教えられる事がねぇぐらいさ。姉御が何でアタイに面倒見させてるのかわかんねぇ」


 そんな心中を知ってか知らずか、ヘンリエッタは肩をすくめて見せる。手にしたグラスはもう三杯目だ。


「ベアトリーチェさんの事だ、何か考えがあるんだろ」


 ヨアヒムは隣で調子よく飲み続けるヘンリエッタにペースを崩されぬよう、注意を払いながらまた一口蜂蜜酒を味わった。


「お前は上手くやってるよなぁ、ちゃんと尊敬されて慕われてる。アタイはダメだぁ、やっぱ向いてねぇよ」


 珍しく愚痴っぽいヘンリエッタの顔は、もうすでに酒が回っているのか紅潮している。


「それがお前のためにもなるって事なんじゃないか? それにベアトリーチェさんが出来ないと思ったのならやらせたりしないだろ」

「そりゃぁ……そうなんだけどよ」


 酒のせいか弱気に見えるヘンリエッタはなんだかしおらしく、その姿はヨアヒムの目に新鮮に映る。だが悪い酒になりつつある気がする。


「いつもの自信はどこ行ったんだよヘンリエッタ」


 励ました方がいい気がして、気の利いた言葉を探したが、ヨアヒムの口を衝いて出てきたのはありふれた台詞だった。

 「でもよぉ」とテーブルに突っ伏して、駄々をこねるように言葉を漏らすヘンリエッタを、どうしたものかとヨアヒムが思案していると不意に背後から声がかかる。


「女連れに蜂蜜酒なんて飲ませて一体どういう魂胆なんだい? ヨアヒム先生」


 ヨアヒムが振り返って見た声の主はレイラだった。

 からかうような視線でヘンリエッタとヨアヒムを交互に見比べる。彼女が手にしたトレーにはヘンリエッタが追加注文した蜂蜜酒がある。


「魂胆もなにも、ソレを頼んだのはこいつですよ」


 トレーからグラスを取るとヨアヒムは自分が飲んで見せた。ヘンリエッタにこれ以上深酒させるのは良くない気がしたのだ。


「なんだ、部屋の空きを調べた方が良いのかと思ったのに、違うのかい?」

「あぁぁぁぁっ!」


 妙なことを言うな、とヨアヒムが怪訝な視線をレイラに向けていると唐突にヘンリエッタ立ち上がり奇声をあげた。


「いやっ、違うっ! アタイとヨアヒムはそんなんじゃねぇ! 断じて! 絶対に違う!」


 その慌てふためき振りにヨアヒムは一瞬呆気にとられる。だが、ヘンリエッタの様子と余計にニヤニヤし始めたレイラの表情を見ているうちに、彼女が言外に含んだ意味に気づいて狼狽する。


「え、あぁ、そういう? 違いますよ!」

「そうだ! 違う! あのえっとあれだ! 明日出発なんだし早く寝とかないとだよな! ?ごっそさんな! ヨアヒム!」

「お、おぅ、明日からよろしくな」


 矢継ぎ早に捲くし立てるようにそう言い残し、慌てた様子で荷物を担いで二階の客室に上がって行くヘンリエッタの背中に、ヨアヒムはなんとか返事を返した。


「あらあら、余計な口出しだったかい? 良い雰囲気に見えたんだけど」

「いや本当にそういうんじゃないんで、あ、お勘定してもらえます?」


 なおも関係を勘ぐるレイラに表情が引きつるのを感じながら、ヨアヒムは勘定を済ませて酒場を後にする。


「気持ちのいい食べっぷりのお連れさんだったね、またご贔屓に頼むよヨアヒム先生」


 とレイラはご満悦の様子だ。

 言い渡された食事代でヨアヒムは一気に酔いが覚める思いをする事になった。

 持ち合わせが足りない、なんてみっともない事にならずに済んだ事に心底ホッとする。その実結構ギリギリだったわけだが。

 酒場の喧騒を背にヨアヒムは帰路についた。夜も更けた"彷徨う街"に冷たい風が吹く。酔いで火照った身体が冷まされて心地よかった。

 帰る道すがら、そう言えばヘンリエッタと二人で酒を飲むなんて初めてかもしれないな、なんて今更思いながら、ヨアヒムはリーシャの待つ工房へと帰ったのだった。

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