第10話 正しさとは人の数だけあるものだ。

「ほぉーん、それで? 短槍にメッセージを残した魔法鍛冶師マギアスミスを助けに行くってのか?」


 ヘンリエッタはフォークにこれでもかとパスタを巻き取り、団子のようになったそれを頬張りながら聞き返した。

 モゴモゴと咀嚼しながら喋る姿は女性としてどうなんだろうか? などとヨアヒムがぼんやり考えていると、「エッタお行儀わるいよ!」と隣でリーシャが目くじらを立てて見せた。

 それにしてもよく食べる。ヘンリエッタの大食いは短くない付き合いでよく知っていたが、ヘンリエッタの隣で黙々と料理を平らげてゆくジョナサンもなかなかの大食いだ。

 呆れる、を通り越して最早清々しい程だった。思わず財布の中身が心配になり懐に手が伸びかけたが、奢ると言った手前流石にそれでは格好がつかないのでやめておいた。


 浅黒く日焼けした肌に短く刈り上げた黒髪、切れ長の目元に鋭く光る瞳。その瞳が獲物を追う獣のように見据えるのは大皿の上に一つだけ残った川魚のフライ。

 ヘンリエッタがフォークを突き立てるよりわずかに早くジョナサンが動く。

 ジョナサンが素早く皿ごと手前に引く。ヘンリエッタのフォークがテーブルを虚しく削った。


「ジョンてめぇっ!」


 ヘンリエッタががなりながらジョナサンを睨みつけるが、当のジョナサンは気に止める様子もなくひょいとフィッシュフライを摘み上げると口に放り込んだ。


「あぁっ! 最後に取っといた一個がっ!」

「いくら先輩でも譲れないもんがあるんす。良く食って良く鍛錬して良く寝る。先輩の教えっす」


 モゴモゴと咀嚼しながら喋る様は、隣で恨めしそうにジョナサンを睨む誰かさんに何処となく似ている。同門って似てくるもんなんだろうか?

 俺とリーシャもはたから見ればこんな風に見えていたりするんだろうか。

 ヨアヒムはそんなことを考えながら、川魚のフライをほお張ったまま、ヘンリエッタに締め上げられるジョナサンを眺めた。


「あの、質問があるんすけど、いいすか? えっと、ヨアヒム……さん」


 取り留めのない考えに耽るヨアヒムにとジョナサンが声をかける。

 呼び捨てにしようとしてやめた、そんな気がしたが気にするのはやめた。


「その捕まってるって人、なんで自分らで助けるんすか? そういうのって組合衛士ギルドナイツの仕事じゃないっすか」


 頬張ったフィッシュフライをようやく飲み下したジョナサンがそんなことを言う。


「それはまぁ、そうなんだけど」


 彼の言うとおり、普通はそう考えるのが妥当だとヨアヒム自身も思う。だから返事は否応なく歯切れの悪いものになってしまった。


 自分達で助ける理由、それを探せば、確かにそれはヨアヒムの中にある。真っ先に思い浮かぶのは、リーシャがそれを望んだから、と言うものだ。

 しかし、それをそのまま口にするのはどうにも主体性にかける気がした。

 ヨアヒムにとってはそれで十分なのだが、助っ人に駆り出される側からすればなんとも頼りない理由に聞こえるだろう。そう思うからだ。


「確かに自分の身は自分で守るってのが開拓者の流儀だしなぁ。顔見知りってんならともかくだぜ? 名前も知らないんだろう? そもそもどうやって探すんだよ」


 さっきまでフィッシュフライ一つで大騒ぎしていたとは思えない真面目な顔で、ヘンリエッタも口を挟んだ。

 追跡の方法が話題にのぼったのをいいことに、ヨアヒムはジョナサンの問いかけを誤魔化すように男の短槍に仕込んだ仕掛けについて二人に話して聞かせた。

 時折相槌を打ちながら神妙な顔で聞いていた二人だったが、追跡はリーシャの耳を頼りにしていると言った途端、ジョナサンがテーブルを叩くようにして立ち上がった。


「リーシャさんも連れて行くつもりなんすかっ!?」


 あまりの勢いにリーシャがビクリと身を震わせている様子が視界の端に映る。

 「そのつもりだけど?」とヨアヒムが怪訝な表情でジョナサンを見やると、彼の体はワナワナと震えていた。

 ヨアヒムは思わずヘンリエッタと顔を見合わせる。彼女は首を傾げながら肩をすくめてみせた。


「何考えてんすか? どう考えても危ないでしょ!? こんな小さい子連れて野盗退治とか正気じゃないっす」


 ジョナサンは拳を握りしめてそう力説する。

 にわかに身を震わせながらヨアヒムを見るその目は真剣そのものだ。

 きっと根がまっすぐなんだろう。ヨアヒムはそう思った。

 確かに危険はある、だが塔に関わり続ける以上、いつかは危難に遭遇する。その時幼いと言う理由で危難が自分達を避けて行ってはくれない。

 全く予測のつかない危難よりは準備して望める危難の方が訓練としては良い。ヨアヒムはそう考えている。


「これは訓練だからね、危険があるのはリーシャだって承知している」


 取り立てて取り繕うでもなく、ヨアヒムは平然と答えた。

 リーシャが隣でウンウンと頷いているのが見なくともヨアヒムにはわかる。だが、そんな様子を見てもなお、ジョナサンは食い下がった。


「やっぱりおかしいっすよ。なんで野盗退治なんすか? 三層にはゴブリンやコボルトだっているんすよ? 訓練ならまずそっちからじゃないっすか?」


 視界の片隅でヘンリエッタがピクリ眉尻を跳ねあげるのが見えた。


「ジョン、お前もう黙ってろよ」


 低くドスの効いた声にジョナサンは一瞬たじろいだが、日焼けした顔を紅潮させて今度はヘンリエッタに噛み付く。


「先輩までその人の肩持つんすか? 意味わかんないっすよ」

「意味がわからねぇのはおめぇの方だよジョン。ゴブリンやコボルトが野党より容易い相手だと思ってんならおめぇは三層に連れて行けねぇ。姉御んとこに帰りな。アタイにゃ面倒見きれねぇや」

「なっ……!?」


 怒鳴るわけでも、引っ叩くわけでもなく、ただ低い声で突き放すような台詞を吐くヘンリエッタにジョナサンは言葉を失った。


「おかしいっすよ、見ず知らずの開拓者一人助けるのに身内を、しかもこんな小さい子危険に晒すなんてどうかしてるっす……」


 ヘンリエッタに気圧されながらも吐き捨てるようにジョナサンは言い放つ。

 拳を固く握り締めてわなわなと震えるジョナサンに答えたのはリーシャだった。


「ジョンさん。リーシャは、自分が正しいと思うことをするのがおかしな事だとは思わないな」


 目を見開いて二の句を失ったジョナサンを尻目にリーシャは言葉を続ける。


「ひどい目にあってる人がいて、助けられるかもしれないのに自分が危ない目にあいたくないからってなにもしないのは変だよ」


 リーシャの言うことは至極正論だと思う反面、危うい考えだとヨアヒムは思う。だからこそ、ヨアヒムは彼女を、この賢く優しい妹弟子を守らなければならない。


「まぁ、危ない目に合わせないためにアタイ達に声がかかってるんだしなぁ。言い出しっぺはリーシャで段取りはヨアヒム、そうなんだろ? だったらアタイはこの話乗るぜ。お前はどうすんだよジョン」


 「自分は……」と言い淀んだジョナサンは僅かにうつむいた。だが意を決したように前を向く。


「先輩が行くんなら自分も行くっす」


 そう言ったっきりジョナサンは押し黙ってしまった。

 その様子を見るに、思うところがあるんだろうことは想像に難くない。しかし、ヨアヒムには取り決めておかなければならない事があった。


 主に取り分の話だ。難しい顔をして黙り込んだままのジョナサンを脇目において、ヨアヒムはヘンリエッタと話を詰めて行く。

 開拓者同士のこういった取り決めは、必ず交渉を経て出発前に決めるものだ。

 知人だろうが赤の他人だろうが関係はない。むしろ知人だからこそ、後々揉める要素がないよう話を詰めておくのが開拓者の常識だ。

 当初の予定は魔法具の捜索だったのが、今回それは二の次になってしまった。そこで単純に三層を捜索する間の護衛の依頼という形をとる事で話を進める。色々と話し合った結果、消耗品こちら持ち日当たり銀貨十五枚で話がついた。


「お前もそれでいいなジョン?」


 念を押すようなヘンリエッタの声にジョナサンは「はい」とだけ答えてまた押し黙る。しかしすぐにすっと立ち上がった。


「すんません、自分、頭冷やしてきます」


 そう言い残すとジョナサンは荷物を担いで一礼し足早にその場を離れた。

 ヨアヒムがその姿を目で追えば、カウンターでレイラと二、三言葉を交わして二階への階段に向かう姿が見えた。宿に取った一室に引っ込むようだ。


「すまねぇな、普段はもっと気のいいやつなんだけどよ。何ツンケンしてんだか」


 ヨアヒム同様、ジョナサンを目で追っていたヘンリエッタが、小さなため息を一つこぼし、バツの悪そうな素振りをみせる。


「お前も大変だな、ヘンリエッタ先輩?」

「茶化すなよ、アタイだって向いてねぇと思ってんだ。飲まなきゃやってらんねぇ。いいか?」


 ヘンリエッタは空のグラスをつまみあげて目の前でゆらゆらと揺らす。

 「程々にしろよ」とヨアヒムが苦笑を返すと、ヘンリエッタは給仕を呼び止めて蜂蜜酒を二つ頼んだ。

 付き合え、と言うことなのだろうと察してヨアヒムは小さく嘆息する。

 隣でスープを飲み干したリーシャが小さく「ご馳走様でした」とヤアル族流に手を合わせた。

 ポケットから出したハンカチで口元をぬぐい、またポケットにしまうと立ち上がる。


「リーシャ先に帰ってるね」


 いつもながら気の利いた事だとヨアヒムは思う。

 送ろうか? と問うヨアヒムにリーシャはかぶりを振った。


「エンバもいるし平気だよ。今日の宿題はなあに? ヨアヒム」


 そうだな……と、ヨアヒムは少し考える。


「明日からはしばらく野営が続くだろうから今日はよく寝ておく事、かな」

「わかった。エッタ、また明日ね!」


 屈託無く笑って手を振ると、リーシャはエンバを引き連れてレイラの宿を後にした。

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