第9話 再会は常に驚きに満ちているものだ。


 レイラの宿はここ"彷徨う街"では有名な店だ。

 女店主のレイラはこの宿を、昼間は定食屋、夜は宿屋兼酒場と手広く商っている。なかなかやり手の経営者だ。

 なんでも元開拓者で、上層で行方不明になった旦那を待つために情報収集も兼ねて酒場を構えたのがこの宿の起こりだとか。

 一層の"動かない街"に比べ、二層の"彷徨う街"は小さい。居住区などもなくは無いがそのほとんどは、街の設備を運営するために定住している者の住居として使われている。

 三層より上を目指す開拓者達はこの"彷徨う街"で最後の支度を整え旅立つ事になる。そうなれば食事と寝床が必要だ。その二つを提供するこのレイラの宿が繁盛しないわけがなかった。

 日用品の大部分を一層から、食料品の多くを三層の開拓村からの供給に頼るこの街は、当然行商たちも集まる。人が集まれば情報も集まるというのがこの世の常だ。

 ここは開拓者や行商人達の情報交換の場でもあり、様々な取引の場でもあった。その窓口としての役割も、この宿が担っているのだ。

 無論、宿がこの"彷徨う街"にレイラの宿しかないわけでは無い。だが多くの人々がこの宿に集まるのは、女店主レイラの人柄によるものが大きいのだろう。


 ヨアヒム達はギルドへ送る鑑定済みの魔法具を、輸送を請け負ってくれた壮年の行商コンラットが率いるコンラット商会に引き渡すために宿を訪れていた。

 日の沈もうとしているこの時間から、レイラの宿は多様な人々が集まり活気に満ちている。


 夕餉を楽しむ街の住人達、早くも酒を酌み交わす開拓者たち、テーブルを囲んで商談に勤しむ行商人達。寝床を求めてカウンターに並ぶ者、酔いが回ってウェイトレスにちょっかいを出しあしらわれる者、酒の勢いで武勇伝を語り出す者。

 慌ただしく注文を取って料理を運ぶ給仕達、酒場の片隅で弦楽器を奏でる者、それに合わせて唄う者、その歌声に歓声をあげる者。


 そんな喧騒に包まれたレイラの宿の食堂の片隅、商談になどのために仕切り板の立てられた半個室でヨアヒム達はコンラットと顔を突き合わせていた。



「それにしても野盗に襲われたと聞いて心配しましたよ」


 荷物の引渡しと代金の支払いなど、事務的な仕事をテキパキと済ませるとヨアヒムはそう切り出す。


「いやはや、まさか二層で襲われるとは、このコンラット一生の不覚、まったく油断しましたわい」


 シワの多い顔を更にしわくちゃにしてコンラットは笑う。


「あなたも荷物も無事で何よりでした」


 ヨアヒムの労いの言葉に、「本当に」とコンラットは目を細めて頷いてみせる。


「しかし、妙な賊でしたなぁ。護衛に付けていた開拓者殿をあっという間に倒してしまった時には、この命尽きる日が来たかと覚悟したもんですが。荷にもわたくしどもにも目もくれず、食料と野営具だけ持ち去ったのですよ」


 コンラットが大げさな身振り手振りで話すのを、リーシャと顔を見合わせて聞いた。そうでなければ良いと思っていたのだが、危惧した通りあの男に仕業であるように思えたからだ。


「倒された開拓者殿も気絶させられただけで大した怪我も負いませんでした。えぇ、もちろんわたくしも荷役の者らもですよ。話が大げさに伝わったようで、ご心配おかけして心苦しい限りです」


 コンラットはやはり大袈裟に恐縮してみせる。芝居掛かった物言いと仕草は染み付いてしまった商人の性なのだろうか。


「そう言えば聞きましたぞ、物取りの類を撃退されたとか」

「あはは……なんとか追い返しただけですよ」


 コンラットは真剣な表情を作って話題を変えた。情報に敏感な商人だけあって流石に耳が早い。と言ってもそれほど大きくない街だ、噂が流れるのも早い。


「ヨアヒム先生もリーシャ殿もお怪我はなかったんで?」

「平気だよ、ヨアヒムがくれたお守りしてたもの!」


 リーシャがお守りと言ったのは、彼女を凶刃から守った"防壁"入りのチョーカーの事だ。


「ほぅ、お守りですか! “親方マスター”ヨアヒム手製のお守り、実に興味深いですなぁ!」


 すっかり商人の目になって身を乗り出すコンラットにヨアヒムはまぁまぁと諸手を挙げて制する。


「ご商売をお考えなら販路は是非我がコンラット商会を良しなにお願いしますよ、先生」


 商魂たくましいコンラットにヨアヒムが気圧されていると、宿の入り口の方から聞き覚えのある声が聞こえた。隣でリーシャの耳がピクピクと反応し、喜色満面にヨアヒムを見上げる。


「おっと、後ろ通るよ、はいはいゴメンよー」


 賑わう座席の間をすり抜け、慌ただしく走り回るウェイトレス達を避けながらカウンターに向かっている二人組がいる。一人はヘンリエッタだ。連れの方には見覚えがない。

 カウンターでレイラといくつか言葉を交わすと、レイラが指差した先に視線を向け、やがてこちらに気づく。


「ほら見ろジョン! アタイの言った通りこっちに居ただろ?」

「そうっすね。先輩」


 連れと何やら話しながら近づいてくるヘンリエッタをリーシャが飛びつくように出迎える。


「エッタ! 会いたかったっ!」

「おー! リーシャ! アタイも会いたかったぜー!」


 ヘンリエッタは担いでいた荷物をドスンと床に落とすと、飛び込んでくるリーシャをしっかりキャッチしてそのままハグする。


「リーシャ、ちょっと見ないうちにでかくなったんじゃねーか?」

「そんなすぐに伸び縮みする訳ないでしょ、もうエッタったら」


 ヨアヒムは、はしゃぐ二人をしばし眺めていたが、やって来たのが知己だと察したコンラットが「お邪魔をしては申し訳ないのでわたくしはここで」とさりげなく耳打ちして席を立つ彼に礼を述べて見送った。

 ヨアヒムが二人に視線を戻せば互いの近況を伝えたりと会話を楽しんでいるようだった。

 それにしても、いつの間にやら随分仲良しになったものだと思う。初めて会った頃にはヘンリエッタの冗談に付いて行けず、タジタジとするばかりだったのが嘘のようだ。

 たった二週間ほどしか経ってはいないのに、大袈裟に再会を喜びあう二人を、ヨアヒムが苦笑しながら眺めていると連れの男と目が合う。

 彼は一瞬目を泳がせた後再びこちらを見て、軽く頭を下げた。つられて会釈したがやはり面識はない、向こうの反応も初対面な印象を受けた。


「元気そうだなヨアヒム。工房の方、うまくいってるみたいじゃないか」


 リーシャを抱きしめたままヘンリエッタがヨアヒムに視線を向ける。

 リーシャはヘンリエッタの腕の中でご機嫌にしている。猫だったらゴロゴロと喉を鳴らしそうな雰囲気で微笑ましい。


「おかげさまで、それより、急に呼び出して悪かったな」

「なに水臭いこと言ってんだよ。まぁ、こっちの都合もあっての事でさ。ちょうど都合が良かったから来たまでさ」


 リーシャの頭を撫でながらヘンリエッタはいつも通り気さくに話す。


「なら良いんだが。ところで……」


 とそこまで口に出したヨアヒムの視線に気づいたヘンリエッタはあぁそうだった、とようやく連れを紹介する。


「あぁ、そうだった。こいつはジョンだ! 姉御の言いつけで今アタイが面倒見てる。ジョン、この二人がよく話してる魔法鍛冶師マギアスミスのヨアヒムとリーシャだ」

「リーシャだよ。ジョンさん? 初めまして!」


 ヘンリエッタとの再会にご機嫌なリーシャはにこやかに細身の青年に手を伸ばした。


「先輩から聞いてるっす。すごいな、ホントにその歳で"従弟アプレンティス"なんすね。ジョナサン・ヴィストっす。ジョンでいいっすよ」


 長身な彼は少し腰をかがめ、視線を合わせてリーシャの手を取りにこやかに握手する。なかなか好青年に思える。


「あー、俺はヨアヒム、よろしく頼むよジョン」


 ジョナサンはチラリとこちらを一瞥すると真顔に戻る。


「どうも、っす」


 彼は近くに歩み寄るとただ一言そう告げた。

 椅子に座っているヨアヒムは、そばに立った上背のあるジョナサンに見下ろされる格好になる。

 敢えて呼び名を訂正されたのも何か釈然としない。なんだか妙に距離を取られたような。そんな印象を受ける。

 と言うか、リーシャへの対応との差はなんだ?


「ジョン! てめぇ! その態度はなんだ!」


 ヨアヒムが心の中で好青年の評価を取り消していると、ヘンリエッタがジョナサンの後頭部をスパーンと引っ叩きヨアヒムの心の声を代弁した。


「痛いっす先輩」


 後頭部をさすりながら悪びれる様子もない。なんとも変わった子だ。


「痛いっす、じゃねぇだろ!」


 眉を釣り上げて怒るヘンリエッタに、ただ一言「すんません」とだけボソリとジョナサンは答えた。


「礼儀がなってなくて悪りぃな。いつもはこうじゃねぇんだが」


 ヘンリエッタが枯葉色のくせ毛をくしゃくしゃにかきむしりながらバツの悪そうな表情を作り、ヨアヒムの隣にどかっと座る。


「ま、まぁ初対面だし、多少は」


 我ながら的外れなフォローをしているなと感じながらも、ヨアヒムはその場を取り繕う。初対面なのは事実なのだから、些細なことに目くじらを立てて角を立てることも無いと、ヨアヒムはそう思った。


「お前がそんなだと示しがつかねぇだろうがよぉ」


 テーブルに片肘をつき頭を預けるようにしてこちらを恨めしそうに見つめながらヘンリエッタが肩を小突いてくる。

 「ガラじゃないよ」と苦笑を浮かべるヨアヒムに「そう言うと思ったけどよ」とヘンリエッタはニヘラっと笑った。


 そんな様子に、リーシャと談笑していたジョナサンが何故か憮然とした視線を送っていることに気がついた。

 その理由にまったく心当たりの無いヨアヒムは敢えて触れないことにする。

 理由は見当もつかないが、嫌われてるのかもしれないな。と思いながら。


「で、今回はお宝探しが目的だっけか?」


 ヘンリエッタが三層を目指す目的を問う。確かに手紙を書いた時点ではそのつもりだったのだが、事情が変わったことを彼女に話さねばならなかった。「それなんだが……」とヨアヒムは真剣な表情を作りながら言葉を選び始める。


 「ちょっとばかり事情が変わってね」


 この数日の出来事をどこから説明したものかと思案する。だが、その前に。


「夕食まだだろ? 何か頼もう、事情を説明するとちょっと長くなるんだ。ここはからさ。」

「お、良いのか? ジョンもなんか頼め! ヨアヒムのおごりだってよ!」


 そう言ったが早いか、すぐさま給仕の女性を呼び止めヘンリエッタとジョナサンが料理を注文して行く。次々と注文されて行く料理の数々に、ヨアヒムは表情を引き攣らせていく。


「覚悟しとけよヨアヒム、アタイの辞書に遠慮って言葉は乗ってねぇからなっ!」


 満面の笑みでそう宣言するヘンリエッタに、どうやらはやまったらしい事をヨアヒムは悟ったのだった。

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