第8話 幕間 待ちぼうけのリーシャ
今日のリーシャは朝から何だか落ち着かない。
……いや、正確には昨日の夜からそうだった。
昨晩の夕食のときに、ヨアヒムが「明日あたりある人物がここ
友人であり姉妹のようでもある彼女がやってくる。その再会に胸が高なりっぱなしだった。
いやいやダメだ。目の前の作業に集中しなければ。
リーシャの座る作業台の前には鍋やナイフ、はたまた
みなマナが抜けて効果の落ちた
こういったマナを込め直すだけで修理できる魔法具の修理はもっぱらリーシャの仕事だった。
ほとんどがレイラの宿に掲載させてもらった魔法具修理の依頼品だ。
リーシャは気を取り直して目の前の作業に集中する。
右手に集めたマナを少し魔法具に流し込んでみれば刻印のありかがわかる。効果が弱ったり失われた魔法具の刻印はみんな薄ぼんやりとその存在を示すだけだ。
そんな刻印に向けてマナを少し強く流し込む。そうすると、刻印は青白い燐光を散らせてはっきりとその姿を示すようになる。そうなれば修理は完了だ。
自分で言うのも何だが幾分手慣れてきたように思う。
奥の一回り大きい作業台ではヨアヒムがギルドから請け負った未鑑定魔法具の鑑定作業をしている。
あの心配性の兄弟子がこちらを気にもしないのがその証拠だ。
リーシャに任せておいて大丈夫--。
そう思ってくれていることがリーシャはたまらなく嬉しかった。
自分の作業に没頭するヨアヒムの姿に思わず頬が緩む。
それでも、ふと気がつくと玄関扉を気にしてしまっている自分に気づく。
そんなことではいけないと頭ではわかっているのだが、そわそわと落ち着き無くリーシャはまた振り返ると玄関扉に目を向ける。
「そろそろ来るかな?」
今日何度目かわからない台詞がついつい口をついて出る。
「来るとしたら今日あたりだって言うだけで、来るとは限らないぞリーシャ。仮に来るとしても日暮れ頃だろう」
隣で鑑定作業をしている兄弟子がやや呆れ顔で苦笑いを浮かべた。
「わ、わかってるよ!」
リーシャはまた目の前の作業に集中しようとする。それでもやはり、玄関口が気になってしまうのだ。
短槍の男との一件から二日経っていた。
ヨアヒムと共に知恵を絞って考えた追跡用の細工は、短槍に"反響"の刻印を施すというものだ。
"反響"の刻印は対象の立てる音を増幅して鳴り響かせるのだと、ヨアヒムが教えてくれた。
"反響"が立てる音を犬笛の音色のように、人の耳に届かない音に調整したのだ。
持ち主に聞こえることはないが、持ち主が槍を振るえば、フォルマであるリーシャやエンバの耳にはその音が聞こえる。そういう仕掛けに仕上げた。
工房から逃亡した男の居場所を"反響"の刻印がリーシャに伝え続ける。
ヨアヒムが言った通り、男は"彷徨う街"の近くに潜んでいるようだった。
だが、今日になって"反響"が放つ音が一切聴こえなくなった。
おそらく夜のうちに二層を離れたのだろう--。とはヨアヒムの考えだがリーシャもそうだと思う。
慎重な兄弟子は男が戻ってきてもう一度口封じを試みる可能性を警戒していたが、ようやく一息つけたと言うわけだ。
リーシャが待っているのはヘンリエッタだ。
ヨアヒムの古馴染みの開拓者。出会ったのはほんの数ヶ月前だったが、もうずっと前から友達だったみたいに感じる。
豪快で人懐っこくて、少し騒がしくて、少しおっちょこちょいで目が離せない。歳はもちろん彼女の方がずいぶん上なのだが、姉のようでも妹のようでもある彼女がリーシャは大好きだった。
元々は別の用件で三層を目指すつもりだったヨアヒムが、ベアトリーチェを通してヘンリエッタに同行を打診していたのだと聞いた。
それを知ってからというもの、リーシャは彼女との再会をずっと心待ちにしている。実際のところは最後に顔を合わせてからひと月も経ってはいないのだが、もう随分会っていないような気がしていた。
結局日が傾き、西の空が茜色に染まりきってもヘンリエッタが扉口を叩くことはなかった。
リーシャは今日の作業を終えてしまった作業台に頬杖をついてため息をこぼした。
「やっぱり今日じゃ無いのかな……」
期待しすぎてしまったせいか、なんだか少し気落ちしている自分にリーシャは気づく。
所在なげに足を交互にパタパタと揺らす彼女の背中にヨアヒムの声がかかった。
「鑑定済みの品をコンラット商会に引き渡しに出るんだけど、リーシャも手伝ってくれないか?」
その声に振り返ると麻袋を背負子に縛り付けるヨアヒムの姿がある。麻袋は四つも積まれた背負子は運ぶのが大変そうに思えた。
「そっちの尺が長い物の束を運んでくれると助かるんだけど……」
と、兄弟子が視線を送る先には、
「いいよ、これもお仕事の内だもんね」
リーシャは気を取り直して立ち上がると、言われた通り刀剣の束を縛ってある紐を掴んで持ち上げようとした。だがなかなかに重い。持てなくは無いがレイラの宿まで歩いて運ぶのは結構大変そうに思えた。
「あぁ、そうだ……」
背負子を背負ったヨアヒムは棚から真新しいグローブを手にとって差し出す。
「これを使ってみてくれ、実は試作品のテストも兼ねてなんだ」
テスト? 試作品? ヨアヒムの言わんとするところはリーシャにはよくわからなかったが、差し出されたグローブに手を通す。
リーシャの手には少し大きかったが分厚くて丈夫そうなグローブだ。手首の部分を絞る金具にはやはりというか、刻印らしきものが見える。
物は試しとグローブへとマナを通わせてみる。リーシャの思った通り刻印が淡い燐光を放った。
だが特に何も変わった様子はない、手のひらを握ったり開いたりしてみても何か力が働いている実感は沸かなかった。
「もう一度持ち上げてみて」
小首を傾げてまじまじと両手を見るリーシャに、ヨアヒムは刀剣の束を視線で示す。なんだかわからないままに、リーシャは兄弟子の言うとおりに再び刀剣の束に手を伸ばした。
するとどうだろう。驚いたことに今度は簡単に持ち上がった。
「すごい! ぜんぜん重くない! ねぇヨアヒム、これなんの刻印?」
「"怪力"の刻印の複製品だよ。一時的に力を増幅してるやつ。……おっ、そっちは上手くいったみたいだな」
かく言うヨアヒムは背負った背負子を辛そうに担ぎ直していた。
「こっちのは失敗だな、"軽量化"の効力が弱い。まぁ持てなくはないし、ともかく運んでしまおう。そのグローブの刻印もどのぐらい効力が持つかわからない」
「えぇー……」
不穏なことを言うヨアヒムに、リーシャは思わず不満の声を上げる。
「そら、急げっ」
困り顔で立ち尽くすリーシャをよそにヨアヒムは小走りに玄関に向かう。
えっほ、えっほ、とコミカルな掛け声をつけて。扉を開けた玄関口で足踏みしながらヨアヒムが笑う。
「ほら、リーシャも早く!」
なんだかとても可笑しな光景だった。自然とリーシャの口元にも笑みがこぼれる。
「もう、待ってよヨアヒムってばぁ」
リーシャは掴み上げた刀剣の束を両手で胸の前に抱えると、パタパタとヨアヒムの後を追ったのだった。
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