第7話 一手の備えが万事を制することもある。
カラン、コロン、とドアベルが来客を告げる。
「邪魔するよ」
そう言いながら玄関扉を潜ったのは見覚えのある男。
ヨアヒムは作業台の前に座ったまま、首だけを向けて玄関を見やる。あたかも普段どおりに作業をしていたという体を装うのを忘れない。
「あぁ、あなたですか。そろそろ来る頃だと思ってましたよ」
意識して平静に、落ち着いて話す。
そう意識しすぎて逆に不自然にならないように、ヨアヒムは心を砕きながら言葉を選ぶ。「どうぞ中に」と招きいれた男は、小さく会釈すると部屋の中へと足を踏み入れ、周りを一通り見渡した。
「今日はあのお嬢さんはいないんで?」
リーシャの姿がない事に気が付いたのだろう。男はそう尋ねた。
意図があって探っている風ではないように思える。ヨアヒムは、この男なりに世間話のつもりなのだろうと踏んで適当に相手をすることにした。
「少し使いに出しているんですよ」
当たり障りのない受け答えをするヨアヒムに、男は「そうですかい」とさして興味なさげに返した。
そんな様子に内心胸をなでおろしながら作業台の前から立ち上がると、ヨアヒムは棚にしまった短槍を手に取る。ゆっくりと振り返り、改めて男を見た。
外見的にはやはりどこにでもいる開拓者に見える。だが最初から疑ってかかれば気になる点があることにヨアヒムは気づく。
それは荷物の少なさだ。
男は当面の路銀を稼ぐために荷役の仕事をして来ると言っていた。一層との往復に三日ほどかかると。それは辻褄の合う話だが、少なくとも一泊は"縦穴"あたりで野営をしたはずだ。にも関わらず、男は荷袋一つ担いではいない。
レイラの宿に荷物を置いて来た――と言う可能性もない。今日、男が顔を出したら使いをもらえるように、リーシャを預けた際に頼んでおいたからだ。ついでに言えばこの三日間レイラの宿にいなかった事もレイラに確認してある。
つまり、街の外には出たが少なくとも野営が必要な場所までは出ていない。あるいは……現地調達したか。
やはり、脛傷者なのだ。腰元を見れば前に来た時にはなかった短剣を二本差しているのもヨアヒムの心持をざわつかせた。
「どうかしたんで?」
男が発する訝しむような言葉に、ヨアヒムは自分がつい考え込んでしまっていたことに気づく。
「え? あぁいえ、ご依頼の品はこちらです。どうぞ検めてください」
麻布に包んだ短槍を男に差し出しながら、ヨアヒムは自身の動揺が態度に表れてはいないかと肝を冷やす。
そんなヨアヒムの心中を知ってか知らずか、男の興味はすでに手中の短槍に移っているようだった。
男が包みを解くと抜き身の短槍が姿をあらわす。
男は、ほぉ、と声を漏らしした。それから打ち直した穂先を角度を変えながらまじまじと眺めた。
今度は短槍を水平に構え顔を柄に近づけて穂先を覗き込む。全体の歪みを見ているのだとヨアヒムにはわかる。
男が満足げに頷くそぶりを見せたところを見れば、納得のいく仕上がりになっているということなのだろう。
最後に男はおもむろに両手で大上段に構えると、勢いよく正眼の位置まで振り下ろし一歩踏み込むと虚空に向かって鋭い突きを放って見せた。男の操る短槍がビョゥッと空を切る音を立てる。
修練を積んだ手練れの動きだった。その矛先があるいは自分に向くかもしれないと思うとヨアヒムの背筋を冷たいものが伝う。
「その短槍、穂先が一般的なものより長くて重い様です。重心が穂先に偏りすぎていた様なので石突に少し手を加えて重くしたんですがいかがですか? 使い心地も変わったと思うんですが……」
どこをどう直したか、それを依頼主に説明するのは通常業務だ。
男が槍を振りかざした時には少し肝が冷えたが、ヨアヒムはなんとか平静を保って
「元の石突も取ってあるのでお気に召さなければ元に戻しますよ」
「いや、悪くねぇ。振り抜きが前よりブレなくなった。いい腕してるよあんた」
男はヨアヒムに向き直るとニッと歯を見せて笑った。
「気に召して良かった。穂鞘は傷んでいたので新しいものを作りました。これはサービスしときますよ」
そう言って、ヨアヒムは木を削り出して作った穂鞘を手渡す。なめし革を鋲で打って表面を補強したそれは我ながら上出来だった。
「ただでさえ安く引き受けてもらったってのに、ここまで良くしてもらって良いんですかい?」
男は恐縮してみせる。これが演技だと言うのだから本当に驚かされる。
本心を偽っているのはヨアヒムとて同じだが、演技ができると言うことは人の言動に現れる印象に敏感だと言うことだ。
こちらの演技が見抜かれはしないかとヨアヒムの肝は冷えっぱなしだった。
「問題なければ割り符と引き換えにお納めください」
男は今しがた手渡した穂鞘を穂先に被せると、懐から割り符を取り出して差し出す。
「良い
男はにこやかに話しながら短槍の太刀打に紐を掛けて背に背負うと、踵を返して玄関に向かった。
どうにか何事もなくお引き取り願えそうだ、ヨアヒムがほっと胸を撫で下ろそうとしたその時だった。
不意に玄関のドアベルが激しく鳴り響く。
「ヨアヒム! コンラットさんが昨日"縦穴"の先で野盗に襲われたって!」
知己が襲われたという一報を告げながら、息を切らして飛び込んで来たのはリーシャだ。
だがそれよりもヨアヒムの目を奪ったのは、帰ろうとしていた男の表情だった。
ニヤリと、心底愉快だとでも言うように口元を歪ませたのだ。声こそ上げはしないが、それは我が意を得たりと言わんばかりの会心の笑みだった。
外から押し開く形の玄関扉の陰に隠れて、リーシャからは男が見えていない。
「リーシャ! なんで戻ってきたっ!」
どう考えても不味い。最悪のタイミングだ。
男が手早く腰から短剣を抜くのが見えたかと思うと、目にも留まらぬ動きでリーシャを背後から捕らえた。
「え、なにっ? 嫌っ!」
予期せぬ事態に思わず声を上げるリーシャを、彼女の首筋に当てがわれた短剣が押し黙らせる。
「しーっ、しーっ、お嬢ちゃんいい子だ。騒ぐんじゃぁない。俺はそこの
男は後ろ手で玄関扉をそっと閉めながら、リーシャの耳元で囁く。
リーシャはコクコクと頷くことしかできない。まんまとリーシャを人質に取られてしまったかたちになったヨアヒムは、全身から汗が噴出すのを感じていた。
足元ではエンバが激しく唸り声を上げているが、人質を取られている状況を理解しているのか動けずにいるようだ。
「あまり驚いてないな、やっぱり何か感ずいていたか? まぁそんなことはどうでもいい。用が済んだら口封じするつもりだったんだが……あんたの腕前は惜しくなっちまった」
男は値踏みするような不快な視線を投げかける。
「俺を連れて行きたいのか? 何をさせる気かは見当はつくが俺が加担するとでも?」
冷静さを保つのに精神を擦り減らしがらも、ヨアヒムはなんとか言葉を絞り出す。
「するさ、このお嬢ちゃんの可愛い顔に傷の一つでも付けりゃあんたの方から懇願してくることになる。なぁそうだろ?」
男は野卑た笑みを浮かべ勝ち誇ったようになおも語る。
「別にこの嬢ちゃんだけ連れてってもいい、そうすればあんたをここで使い続けられる。ここは設備もいいみたいだしなぁ?」
リーシャを人質に自分を飼い殺すつもりか--。
男の言わんとするところに気づきヨアヒムは歯噛みした。下衆な発想に苛立ちが募った。
ヨアヒムはリーシャを見る。幼い妹弟子は明らかに怯えている。それでも懸命にこちらをしっかりと見ている。ヨアヒムより肝がすわってるかも知れない。
焦るな、備えがないわけじゃない--。
ヨアヒムは自身に言い聞かせる。事実備えはあるのだ。一瞬でいい、キッカケさえあれば。
「リーシャ、大丈夫だ。なんとかする」
ヨアヒムは意を決してリーシャに声をかける。リーシャは気丈に目配せに応じる。
「勇ましいな兄ちゃん。だがろくに戦う術もない
顎をしゃくって揶揄するように男は笑う。絶対的な優位を確信している。
チャンスは一度だ。
ヨアヒムは深呼吸して息を整え、おもむろに腰ベルトに繋いだ道具袋に手を差し入れた。
「妙な動きするんじゃねぇよ兄ちゃん」
リーシャの首筋に添えた短剣を誇示しながら男が吠える。
道具袋の中の物の手応えを手の平で確認すると、ヨアヒムは道具袋から右手を出してみせる。
「そうだ、大人しくして……」
「リーシャ使え!!」「うん!」
「何をっ……!?」
ヨアヒムは叫ぶと同時に一気に男との距離を詰める。一瞬狼狽えた男だったがすぐに吐き捨てるように怒鳴り返す。
「お前がやらせたんだっ! 後悔するなよっ!」
男の腕が、その手にある短剣が、リーシャの首元を素早く引き喉笛を掻き切ろうとする。
だが凶刃がリーシャを傷付ける事は無い。それどころか刃は弾かれ男の体が開く。
胸元でマナの燐光が煌めかせたリーシャがその場を素早く離れた。リーシャを守るようにすかさずエンバが前に出て唸り声を上げる。
「刻印……!?"防壁"かっ!?」
目に見えて狼狽える男と駆け出したヨアヒムとの距離はすでに半歩ほど。ヨアヒムは右手に握った金属片にマナを送り活性化し、移動の加速を乗せた拳を叩き込む。
男も手練れだ、突進するヨアヒムに視線を戻すと咄嗟に腕ごと弾かれた短剣を引き戻し、刃で受ける。
ヨアヒムの拳が短剣を捉える。
男は笑おうとした。素手で刃を殴るというその愚行を。
だが弾け散ったのは血飛沫ではなく、砕かれた短剣の方だった。
「そんなバカなことがっ!?」
砕け散る短剣の破片に頰を裂かれながら、殺しきれなかった打撃の衝撃で玄関脇の柱に叩きつけられた男が呻く。
ヨアヒムは右手の中の色を失ったように煤けた金属片を床に投げ捨てると、再び道具袋に手を差し入れる。また金属片を取り出してしっかり握ると、構え直す。
腰を落とし右肘を軽く曲げて拳を前に、左手は脇を締めて腰の高さに軽く握る。息は浅く吸い深く吐く。鋭い眼光が男を捉える。
「なんだよそりゃぁ、
「ただの真似事だ、でも
ヨアヒムは低く落ち着いた声を心がける。これはハッタリだ、この男に自分が不利だと思いこまさなければならない。
男は気圧されたように周囲を見渡す。リーシャの傍らではエンバが今にも飛びかからん勢いで唸り声を上げ、リーシャの号令を待っている。
低い位置から攻めかかる獣がどれほどの脅威か、手練れのこの男にわからないはずがなかった。二対一、得物の短剣は今しがたヨアヒムが砕いて見せた。残るはもう一本の短剣と短槍。
本来の目的は短槍の修理だったはずだ、それが成った上で
ならば、逃げるだろう。それはそうあってくれというヨアヒムの願望でもあった。
何せさっきの技は使い捨てなのだから。
修羅場に慣れた相手に、何度も通用する手ではない事をヨアヒムは理解している。
「欲をかかなければ黙って返すつもりだったのに、失策だったな」
状況を利用して精神的な追い込みをかける。こちらが優位だとそう思わせなければならない。
状況は相当に悪いと言うのに男は落ち着きを取り戻しつつある。やはり修羅場に慣れているのだ。野卑た笑みもその顔から消え失せ、表情からその意思は読み取れない。
間隙を縫うような一瞬の均衡。その場に張り詰めた緊張に耐えられなかったのはリーシャだった。
「エンバ! 行って!」
エンバに号令を発してしまった。ヨアヒムも止む無く攻めの構えを取る。
エンバの牙が男を捉える瞬間、男が動いた。エンバ並みに低い姿勢で飛び出すとエンバとヨアヒムの間をすり抜け、工房の窓に飛び込んだのだ。
逃げるとしたら背にした玄関からだろうと踏んでいたヨアヒムは反応が遅れる。
反応できたのはエンバだけだ。
ガラスが割れ散り、木枠が折れる派手な音を立てて男は工房の外へと飛び出して行く。当然無傷ではないだろう。すり抜ける一瞬の間にエンバが男の脹脛に噛みつき少しの衣服と肉を食いちぎっていた。
だが片足を引きずりながらもあっという間に男は街の外へと姿を消す。本当にただの野盗の類なのだろうか? そんな疑問がヨアヒムの脳裏をよぎった。
だがリーシャの大音声が意識を工房の中へと向かわせる。
「あーー! エンバ! ぺっしなさい! そんなの食べちゃダメっ!」
リーシャがエンバの後頭部をペシペシと叩いて吐き出させようとしていた。
なんとも気の抜ける光景だった。
最終的には嫌がるエンバの口に手を突っ込んで中のものを引っ張り出した。が、我に帰ったのか汚物を触ってしまったかのような表情でリーシャはヨアヒムを見上げた。
手には男の血染めの衣服の切れ端。
「どうしようこれ……」
「エンバに匂いで追ってもらえるかもしれない。気持ち悪いと思うけど取っておこう」
ヨアヒムは作業台の棚から油紙を取り出してその上に受け取る。
「これは俺が預かっておくよ」
折りたたんで作業台に置くとリーシャに振り返った。
「怖い思いしたな、大丈夫か?」
膝をついてリーシャに視線を合わせる。よく見ればその小さな手はまだわずかに震えていた。
然もありなん、明確な害意を向けられたことなど生まれて初めてだっただろう。そっと抱き寄せて背中を軽くあやすように叩いた。
「ヨアヒムこそ、手は平気なの?」
「まぁあれはインチキだからね」
ヨアヒムは頰を掻きながら答える。手品のタネ明かしのようでなんだか恥ずかしい。
「インチキって?」
キョトンとした顔で尋ねる妹弟子に、これだよ、とヨアヒムは金属片を見せた。
「刻印が彫ってあったんだね。"衝撃"?」
「そう、短剣に拳が触れる前に活性化したんだ。だから直接触ってもいない。この通り平気だよ」
右手のひらをリーシャの目の前でヒラヒラとさせて見せる。
「ヨアヒムすごい! そんなこともできるんだね!」
「ま、まぁ日頃の研究の成果ってとこだな」
目を輝かせて見上げるリーシャに、ヨアヒムは複雑な気分を味わった。
使い捨ての刻印はヨアヒムの研究の成果の一つだ。
複製した刻印が不安定で一度しか使えない欠陥品なのだが今は役に立った。
妹弟子の尊敬を集めて悪い気がしないのは確かなのだが、どうにも褒められ慣れていないらしく奇妙な居心地の悪さをヨアヒムは感じた。
要するに照れ臭いのだ。そう悟られることもまたなんとも恥ずかしく、ヨアヒムはその場を誤魔化すように話題を変えた。
「とにかく、予想外のアクシデントもあったけど当初の目的は達成できたな。リーシャ、ちゃんと聞こえているか?」
ヨアヒムの意味深な問いに、リーシャは一度目をつぶると耳をピクピクとさせて頷いた。
「うん、上手くいってるみたい。エンバも聞こえてるみたいだよ」
そう返事するリーシャの足元ではエンバも耳を立てて割れた窓の外に視線を送っていた。首尾は上々なようだ。
「よし、ひとまず作戦成功だ。取り敢えず今は……」
とヨアヒムは散らかってしまった工房を見渡す。
「後片付けだな、窓も直さないと」
「すぐに追いかけなくて平気かなぁ?」
リーシャが不安そうにヨアヒムを見上げる。
「短槍に仕込んだ細工は一週間は持つ。今は追っ手を警戒しているだろうからすぐに根城には戻らないだろう。それに、エンバを数に入れても三人で三層に登るのは無謀だよ」
「じゃぁどうするの?」
そう問いかけるリーシャに、ヨアヒムは人差し指を立てて見せた。
「ヒントは一昨日描いてた手紙」
小首を傾げたリーシャが、あっ! と表情を綻ばすのにそう時間はかからなかった。
その様子を微笑ましく思いながら、ヨアヒムは取り敢えず割れたガラスを拾い始める。この先の計画に思いを巡らせながら。
また賑やかな日々が訪れる予感がした。
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