第6話 正しい行いは時として危険を孕むこともある
エルフ語辞典と件の金属板を前に、ヨアヒムはリーシャと二人して難しい顔を突き合わせる。
単語だけ拾って解読した結果はこうだ。
"罪人、逃げる、囚われ人、直す、私、無理強い、逃げる、あなた、早く"
エルフ語の文法を把握していないヨアヒム達にこれ以上の解読は出来そうになかった。
"囚われ人"だの"無理強い"だのと、どうにも不穏な単語が混ざっていることが、ヨアヒムの心をざわつかせる。
「ねぇヨアヒム、これどういう意味だろう?」
リーシャがいつもの考え事ポーズをとりながらヨアヒムを見上げた。
「エルフ語の文法に詳しいわけじゃないけど、どうも警告文に見えるな」
"逃げる""罪人"は逃亡中の犯罪者と受け取れる。
"塔"を取り巻く問題の一つに、身を隠す場所として"塔"内部を選ぶ犯罪者の存在があるのは事実だった。
いかなる国家の支配も受けない"塔"は各々の国を追われたものにとっては格好の潜伏場所だからだ。
最後の三つの単語は明らかに"逃げろ"と警告している。それもこのメッセージを読む可能性のある者、つまり
先入観を持って完全ではない翻訳を読み解くのは早計なのではないか? そんな考えがヨアヒムの脳裏をよぎった。
だが、ここまでを踏まえて意訳するならば『私は犯罪者に囚われて修理を無理強いされている。あなたは早く逃げなさい。』と読める。
唸りながら押し黙ってしまったヨアヒムに、リーシャは不安げな表情を作った。
ヨアヒムは、ここに来て槍を置いていった男に不審な点がなかったか思い返してみる。
改めて男とのやり取りを一つ一つ検証すると、一つだけ気がかりな点が思い浮んだ。
「リーシャ、この槍を置いていった開拓者。どんな話をしたか覚えてるか?」
「え? えぇとね、三層で一緒にいた人達が死んじゃったって言ってたよ」
突然の質問にリーシャは面食らったようだがすぐに記憶をたぐりはじめる。
リーシャの記憶力は信頼するに足りる。ヨアヒムの気掛かりに合致する答えが返って来た。
「俺の聞き間違いかと思ったけど違うんだな、三層で、と言った。間違いないよな?」
「そう言ったと思うよ? 三層でオークと戦って槍が折れたって」
何故気付かなかったのだろう? そんなはずがないのだ。ヨアヒムはそれと意識せずに頭を掻き毟りながら唸る。
「そう、オークと戦った--と言った。やっぱりあの開拓者怪しい」
リーシャはヨアヒムが言わんとする事の意味を探しているようだ。
「良いかいリーシャ。オークは体も大きくかなり高度な文化レベルを持った亜人族だ。社会性を持ち身分という概念も持っている。身分の高いコミュニティは主に六層、そこから階層を下る毎に身分は低くなって四層にいるのが最も身分の低いレッサーオークのコミュニティだ。彼らは明確な縄張りを定めて活動する、つまり……」
リーシャは黙って頷く。ゴクリと唾を吞み下す。
「三層にオークは居ないんだ」
失態だな--。
そうヨアヒムは思う。
短槍の中に隠されたメッセージを信用するならば、まんまと騙されて短槍の修理を格安で引き受けたと言うことになる。
それともあの開拓者の演技力を評価するべきだろうか?
そうと見破れなかった事を悔いる気持ちがヨアヒムの胸中に湧き上がった。
だが、過ぎてしまったことだ--。
そう言い聞かせるようにして、ヨアヒムは思考の方向性を切り替える。問題はこの短槍を明日あの開拓者が引き取りに来てしまうと言うことだ。
取り敢えず、短槍の修理はリーシャと二人で日が西に傾く頃までには済ませた。
彼がお尋ね者だった場合短槍が直っていなければ何をされるかわからない。
あの開拓者の言を鵜呑みにするのも危険だが、彼は"
疑っていると相手に悟られれば、口封じを強行する可能性もある。
なんにしてもリーシャに危険が及ぶような事は出来ない。
槍の修理を強いられたらしき
当然仲間がいると考えるべきだ。
彼らの素性はわからないが、身を隠さねばならない立場なら頻繁に街に降りるのは相当にリスキーな行為と言える。
ならば自給自足する上で魔法具の補修が可能な人材は貴重なはずだ。囚われているのが
"塔"に逃げ込んだ犯罪者を捜索捕縛する為にギルドも対策を講じてはいる。その一つが
すでに二人は手にかけた可能性がある以上、すでに追っ手がかかっていてもおかしくない。ギルドが懸賞金をかけて開拓者に捕縛を要請している可能性もある。
どうする? と、ヨアヒムは作業台の上の短槍に視線を落としながら自分に問いかける。
何も知らないふりをして直った短槍を引き渡し、さっさとお引き取り願うのが無難だ。そう結論付ける。
「やっぱり、無難に短槍を引き渡してやり過ごそう」
アレコレと考えあぐねた末に、ヨアヒムがそう切り出したのは夕食を囲んでいる時だった。リーシャはキョトンとした顔をヨアヒムに向けた。
「確かに怪しい取引だと思うけど、わざわざ危険を冒す必要はない。"塔"に潜伏する犯罪者の逮捕は俺たちの仕事じゃない。
その為に
「……捕まってる
リーシャの真っ直ぐな言葉がヨアヒムの言葉を遮る。
向けられたリーシャの視線は、見捨てるのか? と問うているようだ。ヨアヒムとて、もちろん気が引けない訳ではない。しかし--。
「それも
リーシャの真摯な視線から目を背けるように、ヨアヒムは目を伏せ冷たく言い放つ。
「でもっ!」
「リーシャを危ない目に合わせる訳にはいかないんだ。聞き分けてくれ」
食い下がるリーシャに、思わず語気が強まってしまったのをヨアヒムは少し悔いた。
「なんか、やだよ、ひどい目にあってるかもしれないのに。知ってるのに何もしないなんて!」
「だからっ! その為にリーシャに怪我でもさせたらどうするんだよ!」
「リーシャを言い訳にしないでよ! そんなのヨアヒムらしくないよっ!」
リーシャを言い訳に? 臆病風に吹かれて何もしない理由にリーシャを使っているとでも?
そんな考えが脳裏をよぎる。だがすぐにそれを打ち消した。
いいや、そうじゃない。リーシャの言いたいことはわかっている。
「リーシャは正しい事がしたいの! 間違った事に目を瞑るのは正しくないって師匠言ってたもん!」
ヨアヒムがこんなにも苛立つのはリーシャの言わんとすることが理解できるが故だ。それでも。
「また師匠の言葉か、なんと言おうと今回はダメだ。俺が臆病者だと思うならそれでもいい」
うぅーとリーシャは頬を膨らませて唸る。
「そんな事言ってないもん! リーシャわかるもん、ヨアヒムが捕まってる人なんとか助けられないかって考えてること。でもリーシャがいるから諦めようとしてる、そうなんでしょ!?」
ヨアヒムは思わず返す言葉に詰まって目を見開いた。やっと十を数えたばかりの妹弟子にそこまで見透かされているとは思わなかった。
ヨアヒムは「はぁ……」と深く嘆息する。睨むようなリーシャの視線からは目をそらし呼吸を整える。
「言いたい事はわかったよ。でも短槍は引き渡して帰す」
「でもっ!」
「最後まで聞くんだリーシャ。短槍を取りに来た男をその場でどうにかしたとして、どうやって捕まってる人を探すんだ?」
それは……とリーシャは目を泳がせる。
何かしなくては、間違いがあるならば正さなければ、というリーシャのその感じ方は間違っていないと思う。兄弟子として誇らしい程だ。
だが無計画に動くのはただの短慮だ。だから考える。しばしの沈黙が夕食を囲んだテーブルを包む。
素性の怪しいの開拓者、囚われの
様々な考えが浮かんでは消える。それでも、考えは一つの方向へとまとまっていくのを感じる。
「--あの短槍に細工をしようと思う」
少しだけ目をつぶり思考をまとめると、ヨアヒムはそう切り出した。
「跡をつけられるように何か目印を付けてあの男に短槍を返す。その上で根城にしている場所まで案内させるんだ。闇雲に探すよりはよっぽど見つけやすいはずだ」
憤然と目をつぶって聞いていたリーシャは、ヨアヒムが考えを変えたことがわかるとハッと目を見開きその方策に食いついてくる。
「どんな目印をつけるの?」
「それは今から考える。持ち主に気付かれず、遠く離れても見つけられる目印となると結構難しい。一緒に考えてくれるかリーシャ?」
努めて落ち着いた声で尋ねたヨアヒムに「もちろんだよ!」とリーシャは朗らかに頷いた。
「そうと決まればさっさと夕食を済ませてしまおう。明日までに適当な細工を考えて仕込まなきゃならない」
「うん!」
少し冷めてしまった夕食を胃袋に流し込むと二人揃って書斎に篭る。
どうにも面倒事からは逃れられない自分の運命を、ヨアヒムは少しばかり呪いながら明日に備えたのだった。
翌朝、ヨアヒムは朝食を済ませると早々に身支度を整えて工房を後にした。
近所の宿屋の女店主レイラに事情を話しリーシャを宿の一室に匿ってもらうためだ。話を聞いたレイラはそんな男を紹介した事をひどく気に病んだ様子だった。
ヨアヒム自身、短槍に隠されたメッセージを見るまであの男の言を信じていたのだ。どうしてレイラを責められるだろう。
狼狽するレイラをなんとかなだめると、もし宿に例の男が来ても素知らぬふりを通してもらえるようにお願いした。
ヨアヒムは一度工房に戻り、リーシャを迎えに戻る。
自分でも随分回りくどい事をしている事をヨアヒムは自覚していた。だがあの男がレイラの宿に宿泊している可能性も捨てきれなかった。二度手間な感は否めないが安全を確認してから連れて行かなくては意味がないと考えた結果だ。
「ねぇやっぱり、リーシャも残っちゃダメ?」
「ダメだ。すまないけどこれだけは聞き分けてくれ」
昨夜、二人で書斎に篭って行った作戦会議で何度も繰り返した問答を、工房の玄関でまた繰り返す。
「心配してくれてるのはわかるよ。でも、こう見えても上層にだって探索に行った開拓者の端くれだ。最悪の場合でも身の守り方ぐらいは心得てるよ」
努めて穏やかに、余裕のある風に言って聞かせる。
顔が引きつっていなければ良いけど。
内心そんなことを思うヨアヒムをよそに「うん……」と言葉少なく頷いたリーシャは不満顔だった。
だがこればかりは譲れないのだ。相手の出方がわからない以上、危険からは遠ざけておきたい。
渋々といった体ではあったがリーシャは納得してくれた。ならばせめてと、エンバを護衛に残すことを条件に。
「リーシャの代わりにヨアヒムを守ってね」
リーシャはエンバをぎゅっと抱きしめてそう言い残し、レイラの宿へと足を向けた。
そんな訳で、暇つぶしという訳でもないが鑑定作業に勤しむヨアヒムの傍らにはエンバが悠然と寝そべっている。
思い返せばエンバとの初対面は酷いものだったが、リーシャの信頼を得た今ではエンバもまたヨアヒムをそれなりに群の一員という程度には認めてくれているようだ。
もう随分日は高く、居間の壁掛け時計は十時を回ったあたりであることを示している。
三日後に、とは取り決めたものの時間までは細かく定めなかったのが悔やまれた。いつ来るかわからない男を、ヨアヒムはやきもきしながら待つ羽目になる。
妙に構えていても怪しまれてしまいかねない。
(普段通りに、平常心、平常心だ)
ヨアヒムは自分に何度もそう言い聞かせてはみたものの、どうにも落ち着けずもう何杯目かわからないお茶すすろうとカップを口に運ぶ。だがカップはおろかポットの中も空っぽだ。
平常心ね……なんて体たらくだ--。
どうにも自分が思うよりも落ち着きを失くしている自身に、ヨアヒムは自嘲するように口角を上げ、小さく嘆息すると立ち上がる。
「……お茶を入れ直すかな。エンバも山羊ミルクでもどうだ?」
リーシャの言いつけ通り、ヨアヒムのそばを離れず足元に陣取っている頼もしい用心棒へとヨアヒムが声を掛けたその刹那。
エンバがその首をもたげる。耳をしきりにヒクつかせて視線を送るその先は工房の外。
ヨアヒムは全身に緊張が走るのを感じた。
その時が来たのだ--。
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