第5話 運命の岐路は偶然の中に潜むものである。
「さて、まずは分解するところからだ」
離れの作業小屋でヨアヒムのいつもの講釈が始まる。
昨日の大掃除の甲斐あって、作業小屋の中は朝の清々しい空気に満たされていた。火を入れた練成炉が熱を放ち、部屋の温度を上げていく。
朝食を済ませてすぐに、ヨアヒムはリーシャと二人短槍の修理に取り掛かった。
手慣れた手つきで短槍を分解しながらも、リーシャの後学のためを考えて、解説を挟むことにも余念はない。
「穂先と柄をつなぐ部分を太刀打と言うんだ。この槍の場合はなめし革を巻いた上から麻紐を縒ったもので縛って固定してるみたいだな。柄が曲がったことで緩んでしまっているね」
と、ヨアヒムは太刀打に巻かれた麻紐をクルクルと巻き取って解いて行く。やがて露わになったなめし革を取り払うと、手早く目釘を抜いて穂先を外してみせる。
「刻印の施された品物、つまり魔法具の修理をするには、まずやらなければいけないことがある。それが刻印を"抜く"という作業だ」
リーシャが耳をピクピクさせて聞き入っている。こういう時のリーシャの集中力は目を見張るものがある。
「刻印にはそれぞれ固有の効果がある。でもそれとは別に全ての刻印に共通した効果があることは知ってたか?」
「知らなかった! そうなんだ!」
ヨアヒムの問いかけにリーシャは目を輝かせて応じた。ある意味期待通りの反応をしてみせたリーシャに、ヨアヒムは少しばかり講義っぽく言葉を続ける。
「今現在の状態を維持しようとする力、それを"不偏"の効力と言う」
そう、この力が働いているが故に、少なくとも五百年以上前から存在するはずの魔法具達がその姿形を現在まで維持しているのだ。
「魔法具が壊れにくいのはこの"不偏"の効力によるものなんだ。だけど、厄介なのは"不偏"の効力が維持するのは現在の姿だという点だ。それがどういう意味かわかるかいリーシャ?」
突然のヨアヒムの問いかけに、リーシャは一瞬キョトンとした表情を見せる。だが、すぐに質問の意味を考え始めた。
下唇に人差し指を当て小首を傾げるポーズはリーシャが考え事をするときの癖だ。ちょっぴりへの字に曲がった口元が愛らしい。
うーん、と可愛らしく唸る妹弟子が答えを導くのをヨアヒムはしばし待った。やがて何か閃いたらしく、リーシャは「あっ!」と声を上げる。
「壊れた形のままでいようとするって事?」
リーシャの答えにヨアヒムは満足げに頷く。
「そう、正解。だから刻印が施された状態では、破損した魔法具をそのまま直すことはできないんだ」
「だから刻印を"抜く"んだね? でもどうやって?」
まぁまぁ、と話の先を急ぐリーシャをヨアヒムはやんわりと制止すると、「そこでこれの出番だ」と練成炉の脇に並べられた
「それ、掃除の時触っちゃダメって言ってた?」
「そうだ。この中には扱いの難しい物が入っているからね。棚から陶器製の柄杓を取ってくれないか?」
ヨアヒムは手渡された柄杓で中身をすくってみせる。柄杓にすくいだされるのはドロリとした液体、と言うよりはゲル状の粘液だ。
「なんていうか……。ちょっと気持ち悪いね……」
リーシャの耳がへにゃんと垂れる。確かに柄杓の中の黒っぽく濁った粘液は、生理的な嫌悪感を抱かせる。
これが生き物だということをリーシャには言わないほうがいいか……とヨアヒムは頭の片隅で考えた。だがそんな考えを振り払う。知らなくてはならないのだ。学問とは知ることなのだから。
「これはいわゆる粘性生物、スライムの一種だ。ヴォイドスライムって言ってね、その分泌液をヴォイドリキッドと呼んでる」
リーシャの顔が見るからに引きつった。
「絶対に素手で触っちゃダメだ。ヴォイドスライムはマナを"喰う"。身体中のマナを吸われて虚脱状態になってしまうからね」
「う、うん」
「"不偏"の効力も魔法である以上マナを原動力としているから、このヴォイドリキッドの性質を利用してマナを抜き去るんだ。やってみせるからよく観察して」
ヨアヒムは練成炉の上に穂先と折れた欠片を並べ、甕(かめ)からすくったヴォイドリキッドを少量垂らす。
「この時刻印が消えないように保護する必要がある。刻印の形状を詳細にイメージして自分のオドで包むんだ」
肘まで覆う冶金用の“保護”のグローブを履いた右手で刻印をなぞりその輪郭をオドで包んでいく。
ヴォイドリキッドに触れたオドが喰われていく感覚が、ヨアヒムの背筋にゾワゾワと這い回るような不快感を伝える。
わずかに表情を歪めながらも、ヨアヒムは集中を切らさぬように慎重にそのまま右手を穂先から離していく。
すると刻印の根の部分までが穂先から離れ、右手の中で安定していく。刻印が抜けた穂先の方はといえば、まるで生気が抜けたように色を失っていった。
すかさずヨアヒムは足元のフイゴを踏む。勢い良く空気を送り込まれた練成炉が、うなるように火の粉を散らして熱を放つ。
「ヴォイドスライムは熱に弱い。その分泌液も同様だ。刻印を抜き取ったら炉に火をくべてヴォイドリキッドを蒸発させるんだ」
ジュウジュウと鼻をつく刺激臭を放ってヴォイドリキッドが蒸発していく。練成炉の上には赤く焼かれた穂先と折れた切っ先だけが残った。
右手に残った刻印をヨアヒムはリーシャの眼前に掲げて見せる。
「マナ結晶みたい……」
「言い得てるな。この形状にマナ結晶を作ることで、自由に刻印の複製を作る研究をちょうどしてるんだ。まぁそれはまた別の機会に。そこの保管瓶を取ってくれ。“保護”と“隔離”の刻印が入ったやつだ、わかるかい?」
うん、と頷くとリーシャは棚から大きなガラス製の瓶を持ってくる。ヨアヒムはその中にそっと結晶の様になった刻印を入れた。瓶の中で刻印は中に浮くように漂っている。
「マナ結晶に近い構造だけど、器物に定着していない刻印は不安定ですごく脆いんだ。だから"保護"と"隔離"の刻印で宙に浮かせてるんだよ」
リーシャがガラス瓶を覗き込む。
「きれい……」
スライムを見たときの表情も何処へやら。見惚れるように瓶の中を漂う刻印を眺めては、ほぅっとため息を漏らす。
「あとは穂先を打ち直すだけだけど、今度は別の薬剤を使う」
「うぅ、またドロドロ?」
「今度はスライムじゃないよ」
あからさまにげんなりした表情で尋ねたリーシャに、ヨアヒムは思わず笑いを漏らしながら、別の
「これは万能融解剤。製法は……まだ早いかな。これは師匠が作ったものだけどいずれ製法も教えるよ。今は使い方だけ教える」
「なんだっけ……本で読んだよ、水銀? ってこんなのじゃなかった?」
リーシャの鋭い指摘にヨアヒムは唸りながらも解説を続ける。
「液体の金属という点では似ているかな。万能融解剤はその名の通り何でも溶かす。そのものの性質を変えることなく、ここが重要だ」
柄杓ですくった万能融解剤をほんの少し、練成炉の上の穂先に垂らす。その刹那ジュワジュワと音を立てて穂先が輪郭を失っていく。リーシャが目を丸くしてその様子を観察している。
「元の形を強くイメージするんだ、オドで鋳型を作るように溶けた素材を包む」
ヨアヒムは、溶け出して小さな水溜りのようになった穂先に両手をかざす。
「"保護"の刻印の力でオドの鋳型を補強するんだ。万能融解剤も高熱にさらすと蒸発する。フイゴで炉の温度を上げていけば溶けた素材だけが残る。万能融解剤の効果が消えれば、素材は元に戻っていくんだ」
ヨアヒムはまた勢い良くフイゴを踏んだ。練成炉の上の穂先が瞬く間に炎に包まれ、鼻を衝く臭いと共に万能融解剤が水蒸気の様な靄となって煙突へと流れてゆく。
練成路の周りには熱気が立ち込め、ヨアヒムは思わず額の汗をぬぐった。
炎の勢いが収まると、炉の上には折れた切っ先が穂先に接着された姿がある。炉で焼かれて真っ赤に染まった穂先は、ジリジリと熱を放っていた。
ヨアヒムはやっとこで穂先の
穂先が水に触れた途端、「ジュッ!」と音を立てて蒸気がたちのぼる。
水桶から取り出した穂先はいまだ蒸気を纏い、熱を発している。
しかし、再び炉に戻した穂先は本来の姿を取り戻していた。
「あとは刻印を戻して定着させればいい。やってみるか?」
「う、うん」
炉のそばから立ち上がって場所を譲ったヨアヒムに、リーシャは緊張した面持ちで頷くと、ヨアヒムと同じように冶金用の"保護"のグローブを履き、刻印が入った保管瓶に手を差し入れる。
「そっと、そぉっとだ。グローブの“保護”の刻印に余分にマナを送れば全く触れずに取り出せる」
保管瓶の中から取り出された刻印はリーシャの小さな両手の中で揺蕩っていた。
「まだ熱いから気をつけるんだぞ」
リーシャはこくんと頷くと喉を鳴らして唾を飲み込んだ。手の中の刻印を穂先の上へと導くと、ゆっくりと慎重に近づけていく。
「熱い……ね。」
「そのグローブは“耐熱”の刻印も入った冶金用だ、意識して効果を強めればマシになるよ」
リーシャは、身を屈めて耳元で助言するヨアヒムの言葉に頷きながら作業を進めてゆく。
刻印の根が穂先に触れると燐光を放ちながらスルスルと穂先の中に沈んでいった。
「うん、上手くいったな。あとは鑑定の時と同じように刻印を活性化するんだ。やり方はわかるだろう?」
リーシャは耳をヒクつかせると無言で頷く、集中しているのだ。
リーシャの小さな手が刻印に触れる。マナの燐光を放ちながら刻印がその姿を鮮明にして行く。
すると穂先自体にも変化が現れる。
色を失ったように燻んだ灰色だった穂先が金属質な光沢を取り戻していく。
やがてマナの輝きが収まると、リーシャが大きく息をついてこちらの表情を伺うように覗き込んだ。出来栄えが気になるのだろう。
まだ熱を帯びた穂先を再びやっとこで摑んで水桶に通して冷ます。
水桶から引き上げた穂先は鋭利な輝きを取り戻していた。仕上がった穂先を入念に観察しながら頷く。
「上出来だな。初めてとは思えないぐらいだ。頑張ったな」
リーシャの表情がパァッと華やぐのをヨアヒムは微笑みながら眺めた。
「次は柄の修理だけど、一息入れようか」
「あ、じゃぁお茶入れるね!」
頼むよ、と離れを後にする背中にヨアヒムは声をかける。
やがてティーセットを携えて戻ったリーシャと一服入れながら、先の作業の復習をした。
特に薬剤の取り扱いについては入念に再確認する。
だがいつもよりもリーシャの注意力がそれていることにヨアヒムは気付く。
ふわふわの尻尾が落ち着きなくソワソワしているし、何度もチラチラと柄の方を視線が泳いでいた。
好奇心旺盛な妹弟子はどうやら続きが気になるらしい。
ヨアヒムはこみ上げる笑いを堪えながら早々にお茶を飲み干すと作業の続きに取り掛かる事にした。
曲がってしまった柄を手にとってリーシャに見せる。
「柄が四つの部品で出来ているのがわかるかい?」
リーシャが顔を近づけて柄を観察する。芯とそれを包む円筒状の金属が縦に三分割されたもの、その四つで構成されているのがわかるはずだ。
「うん、芯は木なのかな?」
「そうだ、柄がしなるように芯材には柔軟な木材がよく使われる。だけどそれだと強度に不安があるから金属で覆いをして補っているんだ。その辺は“壁”の外の物と変わらない」
ヨアヒムは柄の構造を説明しながら、柄にいくつか巻かれた金属の留め金を外してゆく。
竹を割ったように柄が芯材と補強の金属板に別れる。三枚の金属板は芯に沿うように円弧を描いていた。三枚あわせれば円筒になるのだが柄そのものが曲がったせいで上手く重ならなくなっている。
芯になっている木材は留め金を外した時点で曲がった所から二つに折れてしまった。中で砕けてしまったのだろう。
残りの金属板はそれぞれに刻印が施されているようだったので、リーシャと手分けして一つ一つ調べていく。
ヨアヒムが調べた一つは最初に見た時と同じ"硬質化"の刻印が施されていた。だがやはりマナが抜け落ち機能しなくなっている。
だがヨアヒムは奇妙な違和感を感じた。その違和感の正体探ろうとしていると隣でリーシャが声を上げる。
「ねぇヨアヒム。これって……」
目を向ければリーシャは細長い金属板の裏側に視線を落としている。
「何か書いてあるよ? これ刻印じゃない」
リーシャは困惑した表情を作る。ヨアヒムも顔を近ずけて目を凝らす。確かになにか書いてあった。
塔には多様な種族が集まっている。当然言語も多種多様だ。それらが円滑に意思を疎通するためにギルドは共用語を定めた。一番数の多いヒト種のそれに準じたものだ。
リーシャが見つけた文字列は刻印でもなければ共用語でもなかった。
全ての文字が一つの線でつながったような文字列、これは確か……。ヨアヒムは記憶の引き出しを引っ掻き回して思い当たる何かを探した。
「エルフの文字だ、気になるな。リーシャ、書斎から辞典を探してきてくれないか?なんとか読んでみよう」
わかった! とリーシャは駆け出す。その背を見送りながらヨアヒムは考える。文字列からマナは感じなかった。刻印がある以上"不偏"の効力が発揮された金属板にマナも込めずに文字が彫れるだろうか? それに彫られてそれほど時が経っていないように見える。
穂先を修理した時には感じなかった違和感の正体も気になった。なにか嫌な感じだと、ヨアヒムは思う。
彼の意識が思考の海に沈んで行こうとするのをリーシャの声が引き戻す。
「あったよ! エルフ語辞典!」
ヨアヒムは息を切らして戻って来たリーシャから辞典を受け取ると、謎の文字列に意識を向ける。
「よし、調べてみよう」
予期せず眼前に現れた謎解きに、ヨアヒムは少しワクワクしていた。自分と同様に、好奇心に目を輝かせて辞典を開くリーシャの姿に、少し不謹慎かもしれないな、とそうも思う。
この奇妙な一文がヨアヒム達を冒険へと誘う招待状になるとは、まだ知る由も無かった。
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