第2話 何気ない日常こそが、人の心を強く結びつけるのだ

 リーシャと工房での共同生活を始めてから二週間。

 ヨアヒムは、二人で生計を立てるための準備に追われた。

 手始めに向かいのレイラの宿に出入りしている行商人をレイラに紹介してもらった。

 宿宛の荷物を届けるついでにギルド本部からの荷物を工房に届けてもらえるようにお願いするためだ。


 開拓者ギルド所属のメッセンジャーと契約できれば手っ取り早いのだが、費用の都合で断念したので替わりの流通手段が必要だった。

 紹介してもらったコンラットと名乗った行商人は、荷役一人分の荷物なら銀貨十枚で配達を請け負うと言ってくれた。

 世の中意外と狭いものだ。

 彼は少し前に“縦穴”から彷徨う街ベイグラントまでの道を同道したあの壮年の行商人だった。

 リーシャをずいぶんと気に入っていた彼は、リーシャの顔を見るやあっという間に割り符手形を作って取引の準備を進めてくれた。


 ギルド本部と工房を結ぶ流通ルートが確保できたことで、ギルド斡旋の鑑定の仕事が安定して受けられるようになったのは大きな成果と言えた。

 一度に運んでもらえる品数は、内容にもよるが十品から二十品。斡旋に手数料を取られて一品あたりの鑑定料は銀貨五枚程度。それが少なくとも十品あれば銀貨五十枚、配達に二往復して貰う事になるから流通コストは銀貨二十枚。十分に採算がとれる計算だ。

 それでも常に鑑定依頼があるとは限らない。手待ちになる時のために、自分たちでも客を探さなければならなかった。


 そこでヨアヒムは、レイラの宿に張り紙をさせて貰うことにしたのだ。

 そちらも今のところ順調だ、なにしろレイラが事あるごとに宣伝してくれているのだから。

 舞い込む依頼はもっぱら日用品の刻印の補修だったが、それらはリーシャのいい練習台になった。


 リーシャの上達は目を見張るものがある。

 扱いの難しい刻印でなければ、もう目を離しても一人で補修できるほどだ。

 兄弟子であるヨアヒムとしては、そろそろリーシャに次のステップを、と考え始めた矢先だった。

 思いがけず舞い込んだ短槍修理の依頼は、まさに渡りに船だった。

 昼食を済ませて工房に戻ると、ヨアヒムはリーシャを離れの作業場に連れて行く。


 離れの扉には大きな錠前が掛かっている。

 鍵の回し方にちょっとしたコツがいるそれは、ヨアヒムがまだ工房で暮らしていた頃と変わりなく、どこか懐かしさを覚えた。


 鍵を錠前の鍵穴に差し込むと、ヨアヒムは鍵へとマナを送り込む。

 鍵を手で回さないのがミソなのだ。仕掛けを知らずにうっかり鍵を回せば、錠前に仕込まれたシリンダーが回り"発火"の刻印が活性化する仕組みなのだ。捻くれ者のグラハムらしい防犯装置というわけだ。

 ヨアヒムが指先から送り込んだマナに呼応するように、鍵は独りでに回りガチャリと音を立てて錠前が外れた。

 立て付けが悪く、ギシギシと軋む扉をヨアヒムは押し開く。積もった埃の匂いが鼻をつき、ヨアヒムは思わず顔をしかめた。


「これはまた……。まずは掃除からかな」


 ヨアヒムは、袖で口元を押さえながら中を見渡す。


「この中を見るの初めて。すごい埃だね……」


 押し開かれた扉とヨアヒムの隙間から顔を出し、部屋の中を覗き込んだリーシャもまた、そのかわいらしい眉間にしわを寄せた。

 リーシャが入っていないとすると、少なくとも二ヶ月は放置されていたのだ、埃をかぶるぐらいは当然だがちょっと度を越している。もうずいぶん長い間、師匠もここに入っていなかったのだろう。


「しょうがないな、リーシャ手桶に水を汲んできてくれ、あと布巾をたくさん」

「わかった! 行こっかエンバ」


 エンバを引き連れて井戸に向かうリーシャの後ろ姿を見送ると、ヨアヒムは離れの中を改めて確認する。

 壁に二つある縦に引き上げる形の窓を蜘蛛の巣を払いながら開き、空気を入れ替える。綿ぼこりが風に舞い、思わずむせ返った。


「道具は一式揃ってるかな……」


 ヨアヒムは、独りごちながら棚に並ぶ様々な道具を確認する。皆一様に埃をかぶってはいるが、使うのに支障はなさそうだった。種類も揃っている。


「あとは錬成炉だな」


 そう口に出すと、ヨアヒムは部屋の中央に設えてあるレンガ作りの錬成炉に目をやる。

 床より一段低い土間の上に壁からせり出すようにあるそれは、高さが膝より少し高い程度。

 薬剤を流し込む溝と下から火にかける窯のような構造を持ち、壁を伝う煙突に繋がっている。周囲には厳重に封のされた瓶がいくつも並ぶ。

 折れた刀身の打ち直しには必須の設備だった。

 こちらも他と同様埃をかぶってはいるが、痛みはないようだ。


「お水。汲んできたよヨアヒム」


 錬成炉のそばにしゃがみ込んで不備がないか確かめるヨアヒムの背中にリーシャの声が掛けられる。


「ありがとう、じゃぁ埃退治といこうか」


 ヨアヒムは立ち上がり、リーシャに向き直ると大掃除の開始を告げた。

 リーシャに持って来てもらった布巾で口元を覆い、腕まくりしてよしっと意気込む。リーシャの方はと言えば、三角巾を被り、箒を片手に準備万端だ。水汲みついでに工房から取ってきたのだろう。


「じゃぁ動かせるものは一度外に出してはたきで埃を落とそう。運び出すのは俺がやるよ。リーシャは物がなくなったところの埃を落としてくれ」

「わかった!」


 かくしてリーシャとヨアヒムの、埃と蜘蛛の巣との格闘が始まった。

 ヨアヒムは、リーシャに告げた手順通りに、動かせるものは片っ端から表に運び出した。それをリーシャが懸命にハタキで埃を落としている。そばにいるエンバが埃を吸ったのか、時折くしゃみをして二人の笑いを誘った。

 全身埃まみれになりながら、内容物が減ってややスッキリした部屋の中から埃をハタキ出す。

 離れの戸口からは埃をたっぷり含んだ空気ががモワモワと溢れ出した。これには堪らず、新鮮な空気を求めて二人して部屋の外に逃げ出した。

 ふと顔を見合わせてみれば、埃で汚れた顔は酷いもので二人は思わず吹き出してしまう。


「あーあー、酷い顔だなリーシャ」

「ヨアヒムだって顔真っ黒だよ。それに髪に蜘蛛の巣ついてる」

「えぇっ、どこ?」


 ヨアヒムが慌ててかぶりを振りながら髪を手で払うと、リーシャはコロコロと弾むように笑った。


 埃っぽい部屋から出ると、午後の柔らかな風が吹き実に清々しい。鼻に残るむず痒さを水浴びでもして洗い流したい思いに駆られはしたが、どうせまた汚れることを思うと億劫だった。

 舞い上がった埃に煙る部屋が落ち着くまでしばし待ってからまた掃除を再開する。デッキブラシを片手に床に水を撒いて磨く。リーシャは雑巾と手桶を手に、部屋の隅々まで水拭きして回った。ヨアヒムもそうだがリーシャもなかなかに几帳面だ。小さな汚れも余さず丁寧に作業を進めていく。

 部屋の整理整頓に無頓着な師匠に代わって、工房の掃除に精を出した幼い頃の自分の姿を、ヨアヒムは目の前の妹弟子に重ねて見た。

 二年ぶりに工房に訪れた時、部屋が整然としていた事に驚いたのをふと思い出す。リーシャのおかげで保たれていたのだな--と、鼻歌交じりにせっせと棚を磨くリーシャの後ろ姿を見てヨアヒムは一人納得したのだった。


「師匠が片付けするようになったのかと思ってたけど、リーシャが掃除してくれてたんだな」

「そうだよー。師匠ってばリーシャが片付けてもすぐお部屋を散らかしちゃうんだから」


 窓の桟を磨く手を止めて振り返ったリーシャは腰に手を当て、わずかに眉尻をあげ怒ったような困ったような表情を作る。

 ヨアヒムの記憶によればグラハムは部屋が片付けられない人種だった。いや、本人に言わせれば片付いていたらしいのだが。


「いいか小僧、これは散らかっているのではない。必要なものが必要な時に、手の届くところに置いてあるのだ」


 ヨアヒムは、ふと思い出したグラハムの苦しい言い訳を、記憶の中にあるグラハムの口調を精一杯真似て言葉に出してみる。

 表情の読みにくい厳しい顔を真似、そこに髭があるかのように、髭を撫でる仕草まで再現した。

 突然のヨアヒムの奇行にリーシャはキョトンとした表情を浮かべる。あれ、外したかな? とヨアヒムがわずかに焦りを感じていると、リーシャがプルプルと肩を震わせ始め、やがて堪え切れなくなって堰を切ったように声を上げて笑い出す。


「ぷっっ、あはは、あはははは、そう! そう! いっつもそう言って片付けないの! て言うかヨアヒムってば、師匠そっくり! ダメっお腹痛い、あはっあははは」


 お腹を抱えて悶えながら笑い声をあげるリーシャをヨアヒムは満足げに眺めた。きっと得意げな顔しちゃってるだろうな、などと考えながら作業に戻る。

 リーシャも時折思い出し笑いしつつも拭き掃除に戻った。


「でも珍しいね、ヨアヒムがそんな風におふざけするなんて」

「いやぁ、ふと思い出しちゃって。思えばこんな風に師匠の話をする相手も今までいなかったしね」


 互いに手を動かしながら、背中越しに言葉を交わす。言われてみればらしくなかったかもしれない。ヨアヒムはそう思う。

 笑いをとって会話を盛り上げたりするのは苦手だった。ここに至って自分らしさというものが、外から見た自分のイメージを守ろうとした結果でしかなかった事にヨアヒムは思い至った。

 リーシャの前ではそう意識している訳ではないが、そんな自分らしさの演出をせずにいられるような気がした。本当に妹がいればこんな感じだろうか? ヨアヒムの胸中をそんな取り留めもない考えがよぎったその時。


「ホントのお兄ちゃんがいたら、こんな感じだったのかな?」


 ポツリとこぼしたリーシャの言葉が胸を打つ。

 それは誰かへの問いかけと言うよりは、ただの独り言だったようにも思える。

 感じ方まで似ているんだな、とヨアヒムは心の奥底で通じ合ったような感覚を味わった。


 部屋内の掃除が一段落すると、ヨアヒムは運び出した荷物を元の位置に戻していく。

 ついつい棚や道具のレイアウトに熱が入ってしまい、あーでもないこーでもないと部屋の中をゴソゴソと何度もいじくりまわしてはリーシャに呆れ顔をされたのだった。

 

 結局、凝り性な二人が納得のいくまで離れの片付けをやり終えた頃には、日は西に傾き稜線のような町の外壁に引きずられるように、その向こう側に沈んでいこうとしていた。薄青から薄紫を経てオレンジにグラデーションする西の空を、離れを片付け切ったちょっとした達成感に浸りながら二人眺める。


「もう日が暮れちゃうね」

「思ったより時間かかっちゃったな。修理はまた明日にしうおう。取り敢えず今は体を洗ってサッパリしたいな。だろ?」

「お風呂!」


 リーシャの表情がパァッと華やぐ。


「うん、今日はお湯を沸かそうか」

「じゃぁお水いっぱい汲まなきゃっ! エンバも手伝ってっ!」


 薪はまだあったかな……。とヨアヒムが思案しているうちにリーシャは井戸へと軽快な足取りで駆け出していく。


「じゃぁ俺は火をおこすか」


 レバー式のポンプを懸命に操作して水を汲む、小さな後ろ姿を微笑ましく思いながら、ヨアヒムは独りごちる。

 西の空は茜色から濃い紫を経て群青へと続くグラデーションへと変化していた。

 夕食は何を作ろうか? ヨアヒムはそんなたわいないことを考えながら窯に薪を焚べたのだった。

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