帰り路の塔の魔法鍛冶師《マギアスミス》第二章 〜囚われの魔法鍛冶師〜

咲良風鎮

第1話 折れた刃からこそ学ぶべきものがある。

 爽やかな午前中の日差しが工房の窓辺に射す。

 柔らかな日差しに照らされた作業台に向かい、何やら作業をする少女が一人。

 狼のような耳と尻尾をそなえた少女の名はリーシャ。

 その足元で、大きな狼がまるでリーシャを守るように身を横たえている。リーシャの半身とも言えるその獣はエンバ。吠える魂ハウリングソウルと呼ばれる精霊の類だ。

 不意にエンバは外へと視線を向け耳をそばだてたかと思うと、鼻を鳴らしてリーシャを見上げてみせた。


「ヨアヒム、お客さんが来たみたい」


 エンバの様子に気づいたリーシャが少しばかり作業の手を止めて声をあげた。

 その声にヨアヒムもまた書き物台から顔を上げる。


 ややあってから、カランコロンと小気味好い音を立てて揺れたドアベルが、工房への来客を告げた。

 工房で鑑定や道具の修理の依頼を受ける様になってから、必要だろうとヨアヒムが玄関扉に取り付けたものだった。

 それはさておき、扉を開けて入って来たのは壮年の男だった。


「武具の修繕が頼めるって向かいの酒場で聞いてきたんだが」


 くたびれた外套に軽装の鎧、手に持っているのは身長より少し短い槍。短槍だ。だが先端から三分の一の辺りでひしゃげて曲がっている。


「見てもらえるか?」


 壮年の男は、片手で短槍を水平に持ち、玄関へと出迎えたヨアヒムの眼前にずいと差し出した。


「拝見します」


 ヨアヒムはそれを両手でそっと受け取る。

 ずいぶん重いな--。

 というのがヨアヒムの抱いた感想だった。ズシリと重量感のあるそれは、なるほど穂先も柄も金属でできている。

 だから折れずに曲がったのだろう。

 かなり使い込まれている様だが損傷した箇所以外はよく手入れされている様に見受けられる。

 ヨアヒムは短槍を作業台の上に置くと、穂先にかかった革製の穂鞘を抜き取り、そして思わず眉をひそめた。


「穂先が折れてますね……」


 刃渡りはおそらく十八セルトほど。その先端が五セルトほど欠け落ちていた。槍にしては穂先が随分と長い。

 穂先の断面は扁平な菱形、一般的な四角錐形よりは幅広の刀身で、槍と言うよりは鉾とでも言った方がしっくりくる形状だ。


「折れた先端はありますか?」


 折れた断面を検分しながらヨアヒムが問うと、男は「ここにある」と懐から布で巻いた金属片を取り出してみせた。


「三層でオークとやりあったんだ。馬鹿でかい棍棒で穂先は折られちまった。それからは逃げることばかり考えてたよ。そいつが曲がるだけで耐えてくれたおかげで命拾いしたんだ」


 折れた穂先を入念に調べながら、ヨアヒムは男の話に相槌を打つ。


「柄には"硬質化"の刻印があった様ですね。でもマナが抜けきってしまっている」


 刻印がある、それはつまりこの短槍が魔法具マギアだという事だ。

 ”硬質化“は文字通りその刻印が施された対象の材質と特性を変えないまま硬度を高めるもの。

 自然に摩耗したのでなければよほど強い力が加わったのか。今話を聞いた限りでは後者だろう。ヨアヒムはそう考えた。


「あぁ、一緒にいた若い魔法鍛冶師(マギアスミス)が手入れをしてくれてたんだが--。一度きちんと修理に出せって口すっぱく言われてたのにな。俺が聞き入れなかったばっかりにこのザマだ。あいつにゃ悪いことをしちまった。俺が言うこと聞いてりゃ死なせることもなかったかもしれん」


 男の言葉にヨアヒムはつい短槍を調べる手を止めてしまった。しかしすぐ、気を取り直したように検分を再開する。

 ここ帰り路の塔において、上層を目指す開拓者にとって死は身近な存在だ。

 危難に遭遇した経験ぐらいヨアヒムにだって幾らでもある。ヨアヒムが当たり障りの無い言葉を探しているうちにも男は話を続けた。


「おかげで得物を直すアテも無くなっちまってな。あんたが直してくれると助かる。他に魔法鍛冶師(マギアスミス)の顔見知りなんていなくてね」


 自嘲する様に力なく笑う男を尻目に、ヨアヒムは短槍を注意深く調べおえた。

 直せなくはない。

 そう判断出来る。

 だが修理の手間賃で新しいものが買えそうだなとヨアヒムは思った。

 その事を、どう切り出したものかと逡巡するヨアヒムの顔を、鑑定作業を終えたリーシャが覗き込んでいる。


「リーシャ、お客さんにお茶を入れてくれないか?」


 わかった。と頷くとリーシャは炊事場に駆けていく。


「失礼ですが、修理費用にあてはありますか? 曲がった柄の矯正と折れた穂先の打ち直し。折れたせいで欠損して機能しなくなっている穂先の"鋭利"と柄の"硬質化"の刻印の補修。そこそこ値は張りますよ?」


 仕事をするのだから相応の対価を求めるのは当然だ。そう頭ではわかっていても、無理を言っているような気がしてしまう。

 なんとも言えないきまりの悪さをヨアヒムは感じていた。

 それなんだが、と男はこのベルトから釣り下がった鞄を取り外すと作業台の上に中身をぶちまけた。


「それが今出せるもの全てだ、それでなんとかして貰う訳にはいかないか?」


 ヨアヒムは作業台の上に散らかった男の持ち物に目を向けた。

 硬貨の入った巾着と"繭(コクーン)"が三つ。それにマナ結晶の入った小瓶が二つ。巾着の方は銀貨の様だ。音からすると銅貨も混ざっているらしい。

 "繭(コクーン)"というのは開拓者がマナ中毒の予防に持ち歩く道具だ。精霊虫という微細な昆虫が作るもので、その形状から繭と呼ばれてはいるが実際には群れを作る精霊虫の巣だと最近の研究でわかっている。

 精霊虫はマナを好み、集めて巣に持ち帰る習性がある。その習性を利用して周囲のマナを薄めるのだ。その多くは開拓者ギルドが三層以上の上層に臨む開拓者に対して一人に一つ貸与している。

 それが三つ……。ヨアヒムが"繭(コクーン)"をつまみ上げ、怪訝な表情を作ると弁解するように男が言葉を続ける。


「一つは俺の、後の二つは死んだ仲間のもんだ。そのマナ結晶も死んだ魔法鍛冶師マギアスミスの持ち物だよ。なんとか拾ってきたんだ」


 そうですか--。

 と、ヨアヒムは巾着の中身を改める、銀貨が二十枚と銅貨十三枚。"コクーン"とマナ結晶を計算に入れても"親方マスター"に修理を依頼するには心許ない。


「足りねぇのは百も承知だ。それでもどうか頼む! 俺も結構歳だ。長年使い続けたこの槍が折れたら引退するつもりだった。でもな、あいつらの仇も打たずに俺だけのうのうと足洗って余生を過ごすなんできねぇんだ! その為にもう一度こいつが使えるようにしなきゃならねぇ。どうか。どうか頼む!この通りだ!」


 作業台に額を擦り付けんばかりに男は頭を下げて懇願した。

 仇討ちか--。

 と、ヨアヒムは独り言ちる。

 気は進まない。だが事情は人それぞれだ。

 その行為自体に必然性は無くとも、何かに区切りをつけ、再び前を向くために為さねばならない事--。

 そういったものがある事は理解できる。ヨアヒムは腕を組み顎を片手でさすりながらしばし考えた。男は頑なに頭を下げたままだ。


「あの、お茶を」


 と、声をかけようとしたリーシャが、割って入りづらい雰囲気を察して口をつぐんだ。


「ありがとうリーシャ、そこに置いておいて。すまないが玄関に"取り込み中"の札をかけてきてくれないか」


 ヨアヒムの言葉に男がハッと視線をあげる。

 じゃぁ--とだけ言葉を発し、男は腰は折ったままヨアヒムの様子を窺っている。引き受けてくれるのか? と、その視線が問うていた。

 ヨアヒムは工房の玄関に"取り込み中"の札をかけて部屋に入ってきたリーシャを手招きする。

 彼女はわずかに小首を傾げたが、呼ばれるままにヨアヒムの傍に並び立った。


「提案があります。この子はリーシャ。俺の妹弟子です。まだ"従弟アプレンティス"--まぁありていに言えば見習いです。この子に修理をやらせて見ても良いのであれば引き受けます」


 ヨアヒムの提案に、男はようやく身を起こすとリーシャに目を向けて唸る。


「仕上がりは"親方マスター”の俺が保証します。必要なら手も加えます。どうです?」


 男は目を瞑り、深く考え込んだ。もうひと押し、かな。とヨアヒムは思う。もう一歩譲歩して見るか。とも。


「お代はその"コクーン"とマナ結晶だけで結構です。また上層に挑むなら、そのための準備にもお金は必要でしょう」

「ありがてぇ話だが条件が良すぎる。無理を頼んでる俺がいう事じゃないかもしれないが、それであんたに何の得がある?」

「経験です。この子に経験を積ませてやれます。それはお金では買えない。違いますか?」


 ヨアヒムは、訝しむ男の顔をしっかり見据えて堂々と話す。こうゆう交渉事は迷いを見せると上手くいかないということをヨアヒムは経験上知っていた。

 男は厳しい表情でしばしヨアヒムを凝視していたが、やがて表情を崩した。


「とんだお人好しかなのかと思えば、あんたもなかなかに人が悪いな。俺の相棒はそこのお嬢ちゃんのって訳か」


 気を悪くしたかな……? ヨアヒムの脳裏にそんな考えがよぎる。


「ご不満ならこの話は……」

「いや、気に入ったよ。その条件で頼む」


 引き際も肝心だ、そう思って口にしかけた言葉を、男は遮るようにそう言った。


「路銀も心もとない、今更荷役まがいの仕事をするのは情けねぇ話だが、三日ほど運び屋でもして来るつもりだ。それまでになんとかなりそうか?」

「十分です。預かりの割り符を用意しますね」


 割り符の用意を待つ間に、すっかり冷めてしまったお茶を男は一気に飲み干しリーシャに声をかける。


「”従弟アプレンティス“のリーシャ、と言ったな。俺の相棒を頼む」

「頑張ります!」


 真剣な面持ちで返答したリーシャに男は満足げに頷く。


「それから、お茶ごちそうさん。美味かったよ」


 ニッと歯を見せて笑う男にリーシャもにっこりと笑って会釈でかえした。

 やがて用意ができた割り符を受け取って、男は工房を後にする。

 ヨアヒムは、改めて作業台の上の男が預けていった短槍に目を向けた。業物、と言うほどの逸品ではないが量産された数打ちと言う訳でもない様だ。

 ヨアヒムがまじまじと短槍を眺めていると、何か言いたげな視線をリーシャがヨアヒムに向けじっと見ていた。


「それ、リーシャが修理するの?」


 リーシャは見るからに不安そうだった。やった事もない事をやらせると今しがたヨアヒムが言ったのところなのだから当然と言えば当然だった。


「出来るところはやってもらうつもりだよ。

 冶金の方は全然教えてないから今回は見学だな。

 理由もなく仕事を安請け合いする訳にはいかなかったから。リーシャをダシに使ったみたいですまなかったな」


 ヨアヒムは言葉に、「ううん、いいの」とリーシャはかぶりを振った。


「でも意外だった」

「ん? 何が?」

「あの人、仇を討つって言ってた。槍を直してあげるってことは、敵討ちの手助けをするって事でしょ?」


 いつもの自分らしくない、とリーシャ言いたいのだろう。とヨアヒムは思った。

 どうだろうか、とヨアヒムは天井を仰ぎ見る。

 そこまで深く考えていなかった。と言うのが正直なところだとヨアヒムは思う。

 仲間との死別など、なんて事はない。

 どこにでもある話だ。長く塔に関われば一度や二度は誰しも経験することになる。そこまでいちいち感慨深くなれないと言うのが正直なところだった。


「俺はただこの槍の修理がリーシャの教練にちょうどいいと思っただけだよ。直った槍で敵討ちをするもしないもあの人の問題だ。他人の生き様をいちいち背負ってたんじゃ、武具の修理なんてやってられない。冷たいと思うか?」

「わからない。でもあの人まで死んじゃったら、って考えるとね。なんて言えばいいんだろう……」


 --モヤモヤする。小さな手を胸にあて、目を伏せながらリーシャはポツリと言葉をこぼす。


「優しいなリーシャは。その気持ちはきっと正しいよ。俺は慣れてしまったと言うか、少し鈍くなってしまってるのかも知れないな」


 そういった感傷から自然と目を背ける様になったのはいつからだろうか? ヨアヒムは自問してみる。

 思い返せば両親を亡くした時だったかも知れない。

 よくある事だと、自分に何度も言い聞かせた。そうとでも考えなければ一歩も前に踏み出せなかった。孤児院に引き取られ同じ境遇の子供達と共に暮らせば、それがありふれた運命だと妙に納得できた記憶がある。

 ヨアヒムが古い記憶に想いを馳せているとリーシャが不思議そうな表情で顔を覗き込んでいた。思ったよりもずいぶんと感傷に浸ってしまっていた様だ。


「とにかく、冶金をするなら離れの作業場じゃないとな。鍵の置き場所は変わってないのか?」

「壁掛け時計の中だよ。でもリーシャは触っちゃダメだって師匠に言われたよ?」

「扱いの難しい薬品とかも置いてあるからね。俺が一緒なら平気だろう」


 ヨアヒムが壁掛け時計の小窓を開くと古びた鍵が一つ掛かっている。昔と変わってないその光景にヨアヒムは懐かしさを感じて頬を緩めた。


「取り敢えず修理に取り掛かるのは昼飯をすませてからにしようか」

「今日は何作る?」

「ここの所サンドイッチ続きだから何か他のものが良いな。いっそレイラさんのところに行くか」


 「やった!」と小躍りするリーシャに、ヨアヒムは出かける用意をするように言いつけると、短槍を布で包み棚に収めておく。

 用意を終えて出てきたリーシャと合流すると、工房の扉にリーシャの可愛い字で『出掛けてます』と書いた立て札を掛け、二人はレイラの宿に向かった。

 小難しい話題はなりを潜め、昼食に何を食べるかで盛り上がりながら二人は"動く街"を連れ添って歩く。

 ヨアヒムとリーシャ、二人での共同生活を始めてから二週間ほどが経った、うららかな昼下がりの事だった。

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