俺たちの作戦は、シンプルだった。


リナはジャーナリストとして、佐藤を社会的に告発するための記事を準備する。


俺の役割は、プログラム内部から証拠を掴み、同時に、まだ魂を完全に喰われていない参加者を一人でも多く目覚めさせることだった。


ターゲットは、工藤という男に絞った。


彼は、初級コースで「故郷の子供たちのために、最新の技術を学べる塾を作りたい」と、熱く語っていた。


数日後、俺はプログラムの交流会で、工藤に接触した。


「子供たちの、笑い声が聞こえませんか」


「……何の話だ」


「あなたが塾を開いた時に、聞こえるはずだった声です。あなたが、本当に欲しかったものじゃないんですか」


工藤の瞳が、わずかに揺らいだ。


「……少し、混乱している。君と、二人だけで話がしたい。今夜、サテライトオフィスで待っている」


手応えがあった。希望の光が見えた。


その夜、指定されたオフィスの一室へ向かう。


ドアを開けると、そこに立っていたのは、工藤だけではなかった。


部屋の中央のソファに、佐藤ケンジが、まるで王のように座っていた。


「ようこそ、田中君。工藤君の思考回路(OS)が、君との対話によって発生した『感情的ノイズ』をエラーとして報告してくれてね。実に優秀なセキュリティ機能だ」


工藤は、申し訳なさそうに、しかし一切の迷いなく、俺から視線を逸した。


俺の試みは、最初から摂理(システム)に筒抜けだったのだ。


「君は、まだ分かっていないようだね」


佐藤が、ゆっくりと立ち上がる。


彼は、俺の目の前に立った。


逃げられない。身体が、金縛りにあったように動かない。


佐藤は、俺の額に、そっと人差し指を触れさせた。


氷よりも冷たい、絶対零度の指先。


「少しだけ、お試しと行こうか」


その瞬間、頭蓋骨の内側で、何かが引き千切られる感覚があった。


佐藤が、愉しむように呟く。


「ほう、これは……。壊れたガラクタを直す、静かな喜びか。実に素朴で、純粋なエネルギーだ。だが、成功者には不要な感傷だな」


俺の魂の、ある一部分が、指先から根こそぎ吸い出されていく。


脳裏に、古いラジオの回路図がフラッシュバックした。ハンダの匂い。


壊れたものが、再び命を吹き返す瞬間の、あの静かな喜び。


それが、雑音(ノイズ)混じりの映像のように乱れ、そして、完全に消去された。


「……あ……」


声にならない声が、喉から漏れる。


佐藤は、指を離した。


「どうかな。少しは、軽くなっただろう?」


彼は、工藤に命じた。


「彼は、成功のプレッシャーに耐えられず、少し精神のバランスを崩してしまったようだ。コミュニティの皆に、そう伝えておきなさい。しばらく、休ませてあげよう、とね」


俺は、ふらつく足で、オフィスを後にした。


自宅に戻り、机の上の、壊れたままになっていた腕時計を手に取った。


自分の指先を見る。


かつては、どんな複雑な機械の内部構造も、指が覚えていた。


だが今、この手は、ただの肉塊だった。


俺は、俺の一部を、この手の中から失ってしまったのだ。


胸に、ぽっかりと穴が空いている。


そこには、かつて、大切な何かがあったはずだ。


だが、それが何だったのか、もう、思い出すことさえできない。


勝てるわけがない。

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