天狗駅

 次に書きたいと思っていた小説の取材に、山に登ったときのことである。その山は私の最寄りの駅から一駅、その駅から乗り換えて一駅という場所にあった。

 山には複数ルートがあり、私は最も自然が豊かなルートを進んでいた。書こうとしている小説で山の植物について書きたかったからである。植物の実際の質感などを、触覚や視覚、嗅覚で知っておきたかったのだ。

 地図をきちんと持っていたし、立て看板もあった。しかし何故か迷ってしまった。私はスマートフォンで助けを求めようと画面を見たが、電波は圏外であり、途方に暮れるしかなかった。

 川を辿るといい、という話があったというおぼろげな記憶をもとに、川を探してみる。それも徒労に終わった。付近に川なんてなかったのだ。

 無駄に体力を使うわけにもいかず、私は木の下に座りこみ、ぼんやりとしていた。このまま死ぬのだろうな、と漠然と思っていた。

 ふいに強い風が吹いた。かぶっていた帽子が飛んでいってしまう。取ろうとした腕は空をかき、帽子はあっという間に彼方へと去ってしまった。

 意気消沈している間にも、風は強く吹いていた。台風にも及ぶ強さで、枝や落ちていたゴミや古い看板などが飛んでいる。私も飛ばされてしまいそうで、木にしがみついた。成人男性すら飛びそうになるだなんて、とんでもない風だと思った。

 どしん、と大きな音がした。重いものを高いところから落としたような音だ。それを合図にしたかのように風の強さが少しマシになる。まだまだ風は吹いたままではあるけれど。

 音の正体が気になった私は、うかつにも音の方向へと歩き始めた。しばらく草の茂った地面を歩けば、少し開けたところに出る。風が草木を歪めたことにより、無理矢理できた空間だった。

 その中心にそれはあった。大きな建物だった。

 二階建ての建屋で、二階部分には窓が二つある。一階部分にはかなり長い屋根のピロティがあった。二階の窓が目、ピロティの屋根が鼻のような形で、人の顔のような建物だった。だが鼻にあたるピロティが長すぎる。まるで天狗だ。

 天狗の鼻の下を覗くと、先には改札があった。なんとICカードが使えるものである。山奥にある施設、しかもおそらく無人らしい施設に不釣り合いに思えた。……人里離れた無人だからこその設備にも思えるが。

 改札の先はホームらしい。どこの駅にでもあるような電光掲示板があり、数メートル先の低くなった地面には線路があった。

 アナウンスがスピーカーから流れた。いきなりだったため、肩を揺らしてしまう。「各駅停車XX駅が参ります。黄色い線の内側にお並びください」

 古めかしい無機質な電子音声らしい女性の声は、山の麓の駅の名前を告げた。帰るために藁にもすがりたかった私は、急いで改札を抜ける。点字ブロックの内側に並び、電車を待った。

 電車はすぐにきた。ドアが開く。ざっと見た感じでは乗客はいなかった。私は車内に足を踏み入れた。

 複数の知らない駅を通りすぎ、終点に着く。改札を出れば、駅周辺の賑わいがあった。

 後ろを振り返る。そこには見知った近代的な駅があった。

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