第3話
「いつもここ来てるの?」
俺は黙って頷いた。
「いい場所知ってんだね。俺も今度から来よ〜」
「ここです。」
俺たちは小高い丘の上のベンチに腰掛けた。ここからの絶景はいつ見ても息を呑む。手前の草原と奥の住宅街、さらに奥に見える山々、そして満天の星空。この景色のおかげでいつも騒がしく波打つ心が凪いでいる。
「話せる範囲で大丈夫だよ。」
「…はい。」
俺は彼に悩みの種を全て打ち明けた。
俺はそれなりに裕福な家庭に生まれた。面倒見のいい母親と有名企業に勤める父親、聞こえだけならよさそうだが、問題は父親にあった。俺は父さんが大嫌いだった。人生のリベンジだかなんだか知らないが、俺の進学先、将来の進路、ついには部活動まで、口うるさく強制的に決めさせられてきた。俺が反抗するとすぐ暴力を振るわれた。父さんは言葉じゃなくて力が武器だった。有名企業とは言ったが、父さんが勤めていたのはその傘下にあたる企業。そこの窓際族…といったところ。普段なら五十過ぎで壮年期を迎え、それなりにいい給料をもらってくるはずなのに、母さんのパートで稼いだお金のほうが上回っていた。そんな父さんは地位も名誉もあったもんじゃないくせに力だけは無駄に有り余っていた。それで皆捻じ伏せることができたから。それでしか問題を解決できないから。どれだけお金がかかろうと、家族に何を言われようと、俺を操り人形にすることに躊躇いはなかった。力を使えば誰も何も言えなくなるから。母さんは飲食店のバイトのシフトを複数掛け持ちしており、昼も夜も働き詰めで俺を養う給料を稼いでくれていた。母さんの努力のおかげで毎日美味しいものをたくさん食べることができた。
俺は高校に入学した。県内でそこそこ偏差値の高い高校だった。父さんは俺に県内一の進学実績を誇る名門高校に通えと口うるさく言ってきたが、母さんが間に入りフォローしてくれたおかげで自分の行きたい高校に行くことができた。そんな父さんは俺を「顧問と知り合いだから」ってバレー部に強制入部させた。高校生になってもまだ父さんの言いなりだった。その時父さんは顧問にこう言ったらしい。「あなた方に住まいを貸しているのは誰でしたっけ…言われたとおりやらないとどうなるか、分かってますよね…?」って。どうやら顧問は父さんとコネがあり、父さんが運営していたマンションに特別料金で住ませてもらっていたらしく、県内一進学実績の良い高校に入学しなかった俺への腹いせに顧問に死ぬほど厳しく痛めつけてくれと言っていたそうだった。そこからの高校生活、ずっと地獄だった。大して体力がない俺に膨大な量のトレーニングを課した。全てこなせなければ罵声を浴びせられた。「嫌なら辞めていいんだぞ?」それが顧問の口癖だった一回だけ本気で辞めようと思ったことがあった。もともと母さんも俺が好きでバレーやってるわけじゃないって知ってたし、いつでも受け入れる準備はしてくれていた。しかし退部届を提出した夜、父さんは俺の目の前にくしゃくしゃになった退部届を突きつけ「顧問の先生からよぉ~く話は聞いたからな」と言われそれから殴る蹴る掴むの応酬。希望はない、そう悟った。顧問に唆されて、部内の奴らも俺に冷たくなった。練習ではわざと列を抜かされ、そんな言葉が同級生だけでなく、先輩からも浴びせられた。一人だけ、そんな部内の空気に喝を入れ正しく導こうとしてくれる先輩がいたけど、三年生だった為すぐ引退してしまった。OBとしてもちょくちょく来てくれていたが、受験が忙しいのか夏休み以降は全く来なくなった。部活が嫌で、学校に行かない日も少なくなかった。でもそういう日に限って父さんは仕事を休んで、部屋の外から一日中俺を怒鳴りつけた。
俺は、もううんざりだった。モラハラ顧問も、マウント取ってくる周りの奴らも、養育費も碌に家に入れてないくせに父親ヅラして俺を操り人形にしていい気になってる父さんも…全部うんざりだった。俺は今度は父さんに内緒でバレー部を辞めることにした。顧問はまともに話を聞いてくれないだろうと思い、教頭に退部届を提出した。そして今までの一部始終を証拠込みで教頭に伝えた。次の週から、なぜか顧問は学校に来なくなっていた。それから一週間、父さんからも何も言われなく穏便に過ごすことができた。うまくいった…そう安堵した。母さんに「何もしないのも味気なくない?」と言われ、別の部活に入ることにした。俺が行き着いた先は…演劇部だった。なぜ入ろうとしたのか、今でも分からない。でも、何となくそこには俺の知らない、新しい、幸せな世界が広がっているのだと、直感がそう言っていた。
母さんにその旨を話したらしっかり受け入れてくれたし、応援してくれた。部活に参加すると俺は早速照明を任せられた。機材の操作の仕方やプラン表の書き方など分からないことだらけだったが、部活の人たちが一つ一つ丁寧に教えてくれた。そして俺は、舞台の世界にどんどんのめり込んでいった。俺は演劇部の皆と一緒にいたい。一生舞台と関わっていたい。次第にそう思うようになった。本当に不思議なもんで、俺は役者としての才能も買われてしまった。どうやら俺は「感情演技」という演技に携わる人なら喉から手が出るほど欲しい技術を持っているらしく、自然な演技や迫力のある演技ができてすごいと皆に称賛された。今まで成功も何もなかった俺の人生に、一筋の光が差し込んできた。このまま役者として生きていくのもありかな、なんて思ったりすることもあった。父さんの言うがまま大学を目指し、苛立たせないようただ穏便にお利口に過ごしていた昔の自分には想像もできない姿だった。
二学期の終業式があった日の帰り、寒さに凍えながら駅の構内を歩いていると、母さんからラインがきた。
「父さんが今すぐ帰ってこいって。たぶんバレた」
突然俺の目の前に「不自由」、「強制」、「支配」、「理不尽」、「絶望」、今まで目を背けていた影となっていた部分が再び現れた。輝かしい日々の裏に隠された、恐ろしい現実。その元凶…俺は怒りと恐怖で全身がいっぱいになった。動悸が止まらない。俺はすぐにラインを閉じスマホゲームを開いた。
いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ。
無意識のうちに早足になっていた。いつもより五分早くバス停に着いた。
バス停に着いても動悸は収まらなかった。涙が止まらなくなった。いつの間にかバスは二本過ぎてしまったが、今はそれがありがたかった。
出来るだけ長く、家から離れていたかった。
Voyager エリーゼ @Izanaminomikoto
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