第3話   長く困難な旅 ― (3)

「質問してもいいか?」

 ジミーは声を張った。だが、風切り音と砂漠を突き抜けるエンジンの轟きにかき消され、彼の言葉は虚空に吸い込まれた。


 サンダーバード・コンバーチブルのハンドルを握るスザンナは、まるで映画のワンシーンから抜け出たような姿だ。長いスカーフを頭からかぶり、首元で交差させ、巨人のような陽光の中を疾走している。大きすぎるサングラスの奥の瞳は、何を映しているのか読めなかった。


 ジミーは苛立ちを抑えきれず、スザンナの耳元に顔を寄せた。

「スザンナ、聞きたいことがある」

「何?」

 風に引き裂かれるような声が、スカーフの端から飛んでいく。


「君は事務所の代表だろ?」

「そうよ」


スカーフがはためく音が、彼女の返事を断片的に切り裂く。

“……そ……う……よ……”


「じゃあ、他のスタッフは?」

 沈黙。


 返事を待つ間に、ジミーは奇妙な寒気を覚えた。次の瞬間、車体が唐突に揺れる。スザンナがハンドルを切り、ネバダの砂漠へ飛び込んだのだ。


 砂煙が爆ぜ、車内に砂が流れ込む。ようやく、彼女の声が戻ってきた。

「いないわ」


「え? 何だって?」

 ジミーはわざと問い返した。

 自分でも気づかぬうちに、彼女を揺さぶろうとしていた。


「悪い、よく聞こえなかった。もう一度言ってくれないか?」

 挑発めいた響きを帯びた彼の声に、スザンナの表情が硬直する。初めて出会った時と同じ、氷の刃のような視線が突き刺さった。


「だから――誰もいないの。私ひとりよ。何度も言わせないで」


 短く、鋭い一言。その瞬間、ジミーは力を削がれたように息を吐く。だが同時に、この孤独な女が築いた事務所〈リゾネイト〉に拾われた幸運を思い、皮肉な安堵も感じていた。ラスベガスでの公演、それも一流ホテルの舞台に立てるなど、通常なら数年どころか十年の努力が必要だ。


「アセンシオ・ホテルのステージが決まったわ」

 淡々と告げられた言葉に、ジミーの胸が一瞬止まる。


 ラスベガスのアセンシオ。伝説的なエンターティナーが名を刻んできた舞台だ。自分がそこに立つ――信じられない。確かに実力には自信がある。だがそれを現実にしたのは、スザンナの不可解な人脈と、冷徹な計算に違いなかった。


 嫉妬と警戒が混じった思いが、ジミーの胸を締めつける。


 ホテルの駐車場に入ったとき、その緊張は臨界点に達した。

「さ、頑張って」


 スザンナは、巨大なサングラスを鼻先までずらしてそう言った。その声音は応援というより、命令に近かった。


「え? 君は来ないのか?」

 ジミーは振り返る。だが、彼女の唇は返答を拒んでいた。


「こんなデカい仕事を俺ひとりでやれってのか?」

「じきに迎えが来るわ」


 言い終えると、彼女は再びサングラスを戻した。


「迎えって……誰の?」


 問いは宙に漂ったまま、答えは返らない。


 スザンナはハンドルを切り、アクセルを踏む。

 タイヤがアスファルトを悲鳴のように鳴かせ、サンダーバードは出口へ向かう。


 “キュルキュル……”


 砂漠の風にかき消されそうなほど小さく、彼女の声が残った。

「――じゃあね」


 ジミーは立ち尽くした。眩暈のような不安と、見えない網の目に絡め取られていく感覚が、背筋を冷たく撫でていった。



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