第2話    長く困難な旅 ― (2)

その旅が容易でないことは、ショウビジネスの世界へ足を踏み入れた瞬間から悟っていた。仲間もいない。金もない。権力も後ろ盾も存在しない。――その現実が、ジミーを毎夜押し潰していた。

 10年以上にわたるアンドロイド至上主義政権は、冷徹な規則を課した。AI技能を持たない純血種――イノセンス主義者たちは、カリフォルニアとネバダ州以外で芸能活動を禁じられたのだ。音楽も芝居も、そして夢すらも、彼らからは奪われていた。


 袋小路に追い込まれたとき、彼女が現れた。

 スザンナ・ミッシェル。名前だけで業界の裏層を知る者なら耳を傾ける。だが彼女は表舞台の光を避け、常に影に身を潜める女だった。


 「出身は東部?」

 極小エージェントのオフィス。閉ざされたブラインド越しに差し込む西日の中で、スザンナは淡々と訊いた。


 「いいえ、LAです」

 「東部のアクセントに聞こえる」

 「両親がニューヨーク出身です」

 「なるほど」


 彼女はラップトップから視線を外し、ジミーの顔を見据えた。

 冷たい。鋭利な刃物を突きつけられたような感覚。彼女の瞳は、氷山の裂け目のように冷え切っていた。


 「写真より色白ね」

 唇ひとつ動かさず、声だけが部屋の空気を切り裂く。

 「だが、その目は……強く、美しい」


 ジミーの背筋を緊張が走る。――なぜこの女は、初対面の青年をこうも見透かすのか。


 「なぜショウビジネスの世界に?」

 問いは淡々としている。しかし、背後には鋼鉄の圧力が潜んでいた。


 ジミーは数秒の沈黙を置いた。言葉を誤れば、ただの取引相手ではなく、自らの未来すらも失うと直感していた。

 「有名になりたいからです」


 スザンナは微動だにしない。

 「……」

 彼は呼吸を整え、さらに続けた。

 「有名になって、アメリカを変える。いや、世界を変えたいんです」


 氷山の影が迫る。彼は一歩も退かず、その目を見返した。

 「人の心を変えて行きたい」


 その瞬間、スザンナの表情がわずかに動いた。ラップトップへ視線を戻し、指先が静かに書類を押し出す。

 「ここにサインして」


 ジミーはペンを取った。心臓の鼓動が耳の奥で炸裂する。

 彼女が顔を上げる。冷徹な氷色の瞳が、青磁の器のような柔らかさを帯びていた。

 それは、同盟か裏切りかを告げる合図にも思えた。

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