第9話 特別って言葉にしなくても
杉見未希
第9話 特別って言葉にしなくても
静かな喫茶店のあと、ふたりはいつもの帰り道を歩く。
いつもの甘い缶コーヒー、いつもの裏道。
でも、心の中は昨日とは少し違っていて──
特別って、言葉にしなくても分かる瞬間がある。
喫茶店を出ると、夜の空気が少しひんやりしていた。
街灯がぽつぽつと灯り、昼間よりも静かな裏道を歩く。
美羽は、さっきまでの喫茶店の音楽を思い出していた。
レコードの針が落ちる小さな音、アナログのやわらかな歌声。
そのすべてが、今でも胸に残っている。
拓真が、ゆっくり歩調を合わせて隣にいる。
その存在が、不思議と落ち着かせてくれた。
「……片下さん、今日は大丈夫でしたか?」
「うん……思ってたより、平気だった」
「よかった。人が多いと疲れちゃうよね」
「そう……でも、今日はそんなに疲れてない。
三浦さんが一緒だったから、かな」
思わず口にした言葉に、自分で少し驚いて、顔が熱くなる。
拓真は少しだけ目を丸くしたあと、ほんの小さな声で返した。
「僕もです。片下さんといると……落ち着くんです」
歩みが止まり、ふたりは小さな自販機の前で立ち止まった。
いつものように甘い缶コーヒーを選ぶ。
缶を受け取るとき、指先が少し触れた。
その一瞬のぬくもりが、やけに長く感じられた。
「……片下さん」
「なに?」
「特別って、言葉にしなくても分かることってあるんですね」
美羽は、彼の言葉の意味をゆっくり考えた。
すぐに答えは出せないけれど、心の奥がじんわりとあたたかくなるのを感じた。
「……うん。分かる、かも」
二人の間に、ふわりと静かな空気が流れた。
恋人です、なんてはっきり言わなくてもいい。
でも、もうきっと──お互いに特別な存在だと分かっている。
夜風がそっと吹き、街灯の下に並ぶふたりの影が、少しだけ寄り添っていた。
第9話 特別って言葉にしなくても 杉見未希 @simamiki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます