第27話 再会と継承

 遺跡の地下工房で宝珠の調整をしていたジョルジュの手が、ふと止まった。


(もう三年か……)


 五人で始めたギルドの活動だが、少しずつ形になってきた。宝珠は、より精度と安定性が向上し、一般に出回っているものとは一線を画したものとなっている。イリヤは、その宝珠技術を医術用の魔導具に組み込んで、月の半分は各地を回っている。


 昨年末、ガンドが炉を完成させた。換気の問題で地上へ作ることになったが、リズが隠匿魔法を上手く拡張してくれた。「100年くらいは持つかもね」リズはさらっと言っていたが、やはりエルフの魔法は凄まじい。そのリズも、様々な古代魔法やエルフ独自の魔法の知識を教えてくれる。


 ダリオも行商の合間に情報収集してくれて、信用できる仲間も増やしてくれた。今では総勢十数人になり、この工房も手狭になってきた。


「どうしたの?」


 隣で古文書を整理していたリズが顔を上げる。ゆるく三つ編みにした銀灰の髪を、後ろに回した。


「いや……なんでもない」


 ジョルジュが首を振って作業に戻ろうとした時、ダリオの足音が工房の入り口から響いてきた。


「おーい、みんな。帰ったぞ」


 ダリオは荷物を下ろしながら、いつものように各地の情報を報告し始めた。帝都の新しい建造物の話、商人たちの噂話、そして──


「そうそう、オルヴェル先生のことなんだけど」


 ジョルジュの手が再び止まった。


「体調があまり良くないらしい。館長の激務で疲れが溜まってるって話だ。高齢でもあるしな」


 工房の空気が静まった。新しく仲間に加わった若い技術者たちも、ジョルジュと師匠の関係を知っている。


「そうなんだ……」


 ジョルジュの声は小さかった。


 その夜、ジョルジュは一人で工房の外に出た。満天の星空を見上げながら、師匠の顔を思い浮かべる。あの優しい笑顔。「技術は人のためにある」と教えてくれた、厳しくも温かい声。


(会いたい……)


 心の奥から湧き上がる想いを、ジョルジュは抑えきれなかった。


 翌朝、ガンドが作業台でジョルジュの様子を見ていた。


「昨夜から上の空だな」


「すみません」


「師匠のことを考えているのか?」


 ジョルジュは頷いた。


「……会いに行きたいんです」


 ガンドは髭を撫でながら考え込んだ。


「危険だぞ。お前は死んだことになっている」


「分かっています。でも……」


「でも?」


「お礼を言いたいんです。師匠がいなければ、今の俺はない。技術者として、人として、師匠に育ててもらった」


 ガンドの表情が和らいだ。


「人として当然の想いだ」


 そこへリズがやってきた。


「話は聞いていたわ」


 彼女はジョルジュの肩に手を置いた。


「短い時間なら、顔を変える魔法が使えるわよ」


「え?」


「エルフの古い魔法。完璧ではないけれど、数時間程度なら別人に見える」


 ジョルジュの目に希望の光が宿った。


「本当?」


「師匠に会いたい気持ち、私にも分かる」


 リズは微笑んだ。


「大切な人との絆は、どんなことよりも価値があるものよ」



 三日後、ジョルジュとリズは、ダリオの行商に同行する形で帝都への道を歩いていた。わずか半日の道のりが、この数年、はてしなく遠かった。


 帝都の門が見えてきた時、ジョルジュの胸は複雑な想いで満たされた。懐かしさと、ほんの少しの不安と、そして師匠への愛情と。


「変わったな……」


 門をくぐりながら、ジョルジュが呟いた。街並みは以前より華やかになり、建物も立派になっている。しかしそれでも、ジョルジュの心は師匠のことでいっぱいだった。


「師匠の新しい屋敷はどこ?」


「中心街の一角だ。立派な屋敷なんだ」


 ダリオが案内する中、ジョルジュは街の変化をぼんやりと眺めていた。職人街は「帝国技術区」と改名され、以前よりも整然としている。しかし、あの素朴で自由闊達だった雰囲気が失われているような気もした。


「あれが先生の屋敷だ」


 ダリオが指差した先に、立派な屋敷が見えた。白い石造りの壁に、手入れの行き届いた庭。帝国技術資料館館長にふさわしい屋敷だった。


 しかし、ジョルジュは複雑な気持ちになった。師匠がこんな立派な屋敷に住んでいることは嬉しいが、同時に、あの温かい工房での日々が遠く感じられた。


「夕方になったら、使用人の出入りが少なくなる」


 ダリオが偵察した情報を報告した。


「裏口から入れそうだ」


「ありがとう、ダリオ」


 リズがジョルジュに向き直った。


「準備はいい?」


 ジョルジュは深く息を吸い、頷いた。


 変身魔法は不思議な感覚だった。手鏡に映る自分の顔が、まったく別人になっている。髪の色も、目の色も、骨格さえも違って見えた。


「どうかしら?」


「すげえな……まったく分からない」


 ダリオが感心している。


「ただし、魔法が持続するのは数時間よ」


 リズが念を押した。


「それまでに戻ってきて」


 夕闇が降りる頃、ジョルジュは師匠の屋敷に向かった。



 屋敷の裏口は、予想通り警備が手薄だった。使用人の一人に話しかけ、「オルヴェル様に政府より火急の報告がある」と告げると、すんなりと中に通してもらえた。


 屋敷の中は、確かに立派だった。大理石の床、美しい装飾、高価な調度品。しかし、どこか冷たい印象もあった。


「館長は二階の寝室におられます」


 使用人に案内されながら、ジョルジュの心臓は激しく鼓動していた。


 寝室の扉の前で、使用人は去っていった。ジョルジュは静かに扉をノックした。


「どなたですか?」


 聞き慣れた声が中から聞こえた。しかし、以前より弱々しく聞こえる。


「政府からの報告に参りました」


 しばらく沈黙があった後、「入りなさい」という声がした。


 扉を開けると、ベッドに横たわる師匠の姿があった。頬はこけ、以前よりもずっと小さく見えた。けれど、瞳だけはあの頃のままだった。


 師匠はベッドから身を起こそうとした。


「すみません、体調が優れませんで……」


 その時、師匠の目がジョルジュの顔をじっと見つめた。変身魔法で外見は変わっているはずなのに、師匠の表情が変わった。


「まさか……」


 師匠の声が震えた。


「ジョルジュ……なのか?」


 ジョルジュの目から涙があふれた。


「師匠……」


 変装した顔が崩れ、本来の表情が現れた。リズの魔法も、強い感情の前では維持できなかったのかもしれない。


「ジョルジュ!」


 師匠は立ち上がろうとして、よろめいた。ジョルジュは慌てて駆け寄り、師匠を支えた。


「生きていたのか……生きていたのか」


 師匠の手が震えながら、ジョルジュの頬に触れた。


「申し訳ありません、師匠。心配をおかけして」


「いいんだ……いいんだ。無事でいてくれただけで」


 師弟は抱き合って泣いた。数年間の空白、政治的な混乱、すべてが消えて、ただの師匠と弟子に戻った瞬間だった。


「元気にしていたのか?」


 師匠がベッドに腰を下ろしながら尋ねた。


「はい。研究も続けています」


「そうか……それは良かった」


 師匠の顔に安堵の表情が浮かんだ。


「お前が技術を愛し続けてくれて、本当に嬉しい」


「師匠の教えのおかげです。『技術は人のためにある』という言葉を、いつも胸に刻んでいます」


 師匠は目を細めて微笑んだ。


「立派になったな。最初に工房に来た時は、ひょろっとした少年だったのに」


「あの頃が懐かしいです」


 二人は昔の思い出を語り合った。失敗した実験のこと、初めて魔導具を完成させた時の喜び、師匠の厳しくも優しい指導、温かい工房での日々。


「師匠は……今の生活はいかがですか?」


 ジョルジュが恐る恐る尋ねた。


「立派な肩書きをいただいて、こんな屋敷に住まわせてもらっている」


 師匠は複雑な表情を見せた。


「だが、技術者の心は変わっていない。技術は政治のためにあるのではなく、人のためにあるものだ。もともと若い頃王都を飛び出したのも、ギルドの考えが嫌になったからだしな」


「師匠……」


「お前が自分の道を歩んでいることを、私は誇りに思っている」


 師匠の目に涙が光った。


「どんな立場にいても、技術者の心を失わないことが大切だ。お前はそれを理解している」


 時間が経つのを忘れて、二人は語り合った。技術のこと、人生のこと、そして互いへの愛情。


 しかし、窓の外が完全に暗くなった頃、ジョルジュは立ち上がらなければならなかった。


「そろそろ……」


「そうだな。あまり長くいては危険だ」


 師匠も立ち上がった。


「師匠、ありがとうございました」


「お前のような弟子を持てて、幸せだった」


 二人は再び抱き合った。


「元気でいてくれ、ジョルジュ」


「師匠もお体を大切に」


 別れの時が来た。二人とも、これが最後になることを予感していた。


「お前の技術者としての道が、多くの人を幸せにすることを祈っている」


「師匠の教えは、これからも生き続けます」


 ジョルジュは深々と頭を下げ、静かに部屋を出た。


 屋敷を出る時、ジョルジュの心は温かい感謝の気持ちで満たされていた。会えて良かった。本当に良かった──心の中で、何度も繰り返した。



 屋敷の裏口から出ると、物陰にリズの姿があった。


「お疲れさま」


 彼女は優しく微笑んだ。


「魔法が解けてるわよ」


 ジョルジュは慌てて顔を手で覆った。確かに、師匠との再会で感情が高ぶり、変身魔法が維持できなくなっていた。


「すまない」


「いいのよ。でも、帝都を出るまではもう一度かけておきましょう」


 リズは再び魔法をかけてくれた。今度は、より自然な変装だった。


「ありがとう、リズ」


 約束の場所でダリオと合流すると、彼は少し考えてから言った。


「俺は今夜、家に戻るよ」


「え?」


「久しぶりに親父の顔でも見てこようと思ってさ。お前たちは気をつけて帰れよ」


 ダリオはジョルジュの肩を叩いた。


「ジョルジュ、先生に会えて良かったな」


「ああ。ありがとう、ダリオ」


 ジョルジュとリズは城門でダリオと別れ、二人で帝都を後にした。


 城門を出る時、ジョルジュは振り返らなかった。師匠との思い出を胸に、ただ前を向いて歩いた。


 夜道を歩きながら、二人とも無言だった。ジョルジュは師匠との再会を反芻し、リズは彼を静かに見守っていた。


 帝都から三〜四時間ほど歩いた頃、森の入り口に差し掛かった。月は高く、星空が美しかった。


「今夜はこのあたりで休みましょう」


 リズが提案した。


「さすがに真夜中の森は危険だし、気持ちの整理もあるでしょう?」


 ジョルジュは頷いた。確かに、まだ心の整理がついていなかった。


 二人は街道を外れ、森の奥へと歩いていった。

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