第26話 先人の遺産

 ガンドの工房での宝珠完成から数日後、ジョルジュは森の中を歩いていた。新しい技術への確信と、それでもなお残る技術者としての根深い悩み。その複雑な心境を整理するため、一人の時間が必要だった。


「ジョルジュ!」


 背後からリズの声が聞こえた。振り返ると、イリヤも一緒に歩いてくる。


「散歩かしら? 私たちも同じことを考えていたのよ」


 三人は自然に歩調を合わせ、森の奥へと向かった。


 しばらく歩くと、リズがあたりを見渡した。


「このあたり、不思議な感じ。故郷の森みたい」


 たしかに、妙に静かだった。先ほどまで聞こえていた、鳥のさえずりや木々のざわめきが、ずいぶん遠くに感じる。まるでそこだけ時が止まっているようだった。


 ジョルジュも周囲を見回しながら歩いていた。すると、何かにつまずいた。


「これは……石?」


 足元を見ると、草や苔に覆われてはいるが、明らかに人工的な石組みが見える。


「これは……そうね、ガンドを呼びましょう」


 リズが提案した。


 ガンドは、困惑した表情で石組みを眺めていた。


「十数年この森に住んでいるのに、こんなものがあったなんて……どうして気づかなかったんだ」


「保存魔法の痕跡があるわ」


 リズが石に手を触れながら言った。


「だから発見されずに済んだのかもしれない。不思議な感覚の原因は、これかも」


 四人で慎重に掘ってみると、地下に続く階段らしきものが、ぽっかりと現れた。翌日、松明を持って地下に降りた一行は、息を呑んだ。


 小規模ながら完全に保存された部屋が現れ、その奥にも、いくつかの小部屋があった。壁面には精密な魔法陣が彫り込まれ、中央には石の台座が置かれている。周囲には書架の跡があるが、書物は時の流れで失われていた。


「この石組み技術……現代以上に精巧だ」


 ガンドが職人の目で壁の魔法陣を見つめた。


「200年の経験でも、これほど正確には彫れない」


「みんな、こっちも見て」


 階段の向こうから、外を探索していたリズの声がする。


 三人は一度外に出て、リズに案内された。少し離れたところに、いくつかの墓標らしき碑が並んでいた。碑は風化がひどく、苔むしており、ぱっと見には碑と分からない。しかし、古さから考えて、遺跡と同じ時代のもののようだった。


「もしかしたら、一族で技術を継承していたのかもね」


 リズの声に深い感慨が込められていた。


「親から子へ、そして孫へ。技術が血統で受け継がれていた……」


 碑を見つめながら、リズの心に複雑な想いが湧き上がった。


(血による継承……)


 いずれは森に帰り、技術を次世代に繋ぐ責任。そして、それには……


(子を持つということ)


 リズの頬に、言葉にできない熱が広がった。誰かと結ばれ、子を産み、技術を伝える。エルフの血を引く子供に、古代からの知識を継承させる。


(でも、それは……今はまだ)


 リズは慌てて顔を逸らした。そんな想いを、今ここにいる仲間たちに知られるわけにはいかない。


「リズ? どうかした?」


 ジョルジュが心配そうに声をかけた。


「いえ、何でもないわ」


 リズは微笑んで答えた。


「ただ、古代の技術者たちの生活を想像していただけ」


「一族で技術を継承するって、素晴らしいことですね」


 イリヤが感心した。


「現代では、ギルドや師弟関係での継承が主流ですが、血統による継承には独特の深さがありますね」


「そうね」


 リズは碑をそっと撫でた。


「愛情と責任が一体になった継承。技術だけでなく、想いも一緒に受け継がれていく」


(私も、いつかは……)


 彼女は心の奥で呟いた。


「この遺跡、活動の拠点に使えそうですね」


 ジョルジュが周囲を見回した。


「ガンド殿ですら十数年も気づかなかった場所なら、他の誰も見つけられないでしょう」


「外の影響を受けない、永続的な拠点としては理想的だな」


 イリヤの言葉に、ガンドが頷いた。


「近くに沢もあるし、私の隠匿魔法で入口を隠せば完璧ね」


 リズも同意した。


 一行は、いったん工房へ戻った。明日からの修復作業について話し合った。


 その時、扉がノックされた。


「ガンドさんはいらっしゃいますか?」


「お客さんのようですね」


「まったく……最近は、誰も『立入禁止』の看板を見やせん」


 ガンドが悪態をつきながら扉を開けると、そこには褐色の肌の青年が立っていた。


「ダリオ!」


 ジョルジュが駆け寄ると、ダリオは目を見開いた。


「ジョルジュ!? ジョルジュなのか? おまえ、生きてたのか……」


 ダリオは言葉を失ったように、ジョルジュの肩を掴んだ。


「リズに助けてもらったんだ。ただ、訳あってここに滞在してる」


「まったく、いつも無茶ばっかりしやがって……」


 悪友のダリオとの、思いがけない再会だった。


「実は、ガンドさんに相談があって来たんだ」


 工房の中で、ダリオは帝国建国後の変化を語り始めた。


「オルヴェル先生に、帝国から〝名誉ある〟館長職の話が来たんだ。なんでも、職人街で〝先生〟って呼ばれてるくらいの魔導士だからって」


 ジョルジュは首を傾げた。


「それは……良いことじゃないか?」


「いや、これは先生を黙らせるための策だよ、きっと。だって……お前の師匠だからさ」


「どういうこと?」


 ダリオの冷静な分析に、一同は息を呑んだ。


「断れば『反帝国的技術者』として監視対象になる。受ければ『帝国の広告塔』になる。どちらにしても、もう自由じゃない」


「死んだとされてるお前に再会できて、違和感の正体がわかったよ。先生への就任要請は、ジョルジュ、お前のことが関係あるんじゃないか?」


「……そうかもしれない」


 ジョルジュは目を伏せた。


「……職人街や魔導工房街のみんなは?」


 リズは不安そうに尋ねた。


「ああ、職人街は、最近はもっぱら軍用向けだよ。魔導工房街も似たようなもんだと思う。うちの親父にも、ギルド経由で軍から依頼が来てる。なんか、すっかり〝軍の街〟だよ」


 ダリオは窓の外を見つめた。


「前の方が、のんびりしてて好きだったな……」


「お前はどうなんだ?」


 ガンドが尋ねた。


「俺は魔導士じゃないですし、親父みたいにギルドにも属してない。最近は自分で作った細工品の行商をやってます。親父には、もっと仕事を手伝えって言われていますけど」


「もったいない。せっかくの金物細工の技術なのに」


 ジョルジュの表情が曇った。


「そりゃ、俺だって、本当に人の役に立つ技術を追求したい。軍の言われるがままじゃなくて」


「だったら、うちの集まりに入らないか?」


「でも……俺は魔導士じゃない。金物細工屋の息子が、技術者の集まりに入れてもらえるのかな?」


「技術者は皆、同志だ。歓迎するよ」


 ジョルジュが即答した。


「それなら……」


 ダリオが安堵の表情を見せた。


「俺も仲間に入れてもらいたい」


 五人は古代遺跡に移動し、発見の経緯と活動計画を説明した。ダリオは遺跡の神秘的な雰囲気に圧倒されながらも、その価値を理解した。


「すごい場所だな。本当に政治と無関係な技術者の拠点になりそうだ」


 翌日から、五人での遺跡修復作業が始まった。古代の魔法陣を清掃し、作業台として使える平らな石を見つけ、照明と換気を確保する。


「この魔法陣、複雑ですね」


 イリヤが壁面の古代文字を丁寧に清掃しながら呟いた。


「でも、保存状態は完璧よ」


 リズが石の収納棚を整理している。


(ここで一族が暮らし、技術を継承していた)


 作業をしながら、リズは再び継承への想いを巡らせていた。


(私も、いつかは森に帰って……子どもに技術を伝える日が来るのかしら)


 その想像は甘く、そして少し恥ずかしかった。しかし、エルフとしての責任を考えれば、避けて通れない道でもある。


(でも、今は誰にも言えない)


 リズはそっと微笑んだ。今はまだ、仲間たちと技術を極める時間。将来のことは、心の奥に大切にしまっておこう。


 修復作業も五日目に入った午後のことだった。


「ジョルジュ! 大変だ!」


 森の中を駆け抜ける足音と、息を切らした声が聞こえた。


「ダリオ?」


 地上に出ると、走ってきたダリオが、汗だくになって立っていた。


「ガンドさんの工房に……帝国の使者が来てる!」


「何?」


 ガンドの表情が一変した。


「いつのことだ?」


「さっき行商から戻る途中で、ちょうど森に入るのを見たんだ。それで遠巻きに後をつけた。立派な馬車と護衛が工房の前に停まってる」


 ダリオは膝に手をついて息を整えた。


「まさか俺たちのことがバレたのか?」


「落ち着け」


 ガンドが冷静に答えた。


「まだ何も分からん」


「でも、もし先生と同じような懐柔策だったら……」


 ダリオの声に不安が滲んだ。


「ガンドさんも『帝国技術顧問』とかに任命されて、自由を奪われるんじゃないか」


 リズが考え込んだ。


「タイミングが気になるわね。遺跡を発見した直後に使者が来るなんて」


「偶然にしては出来すぎてる」


 ジョルジュが拳を握った。


「俺たちの活動が感づかれたのかもしれない」


 ガンドは黙ったまま考え込んでいた。


「……決めた」


 ガンドが顔を上げた。


「工房を引き払う」


「え?」


 一同が驚いた。


「政治の匂いが強くなってる」


 彼の声は静かだが、確固たる決意に満ちていた。


「帝国はオルヴェル師を懐柔した。今度は俺の番だ。『200年の大ベテラン技術者』として、きっと何らかのエサを提示してくる」


「断ればいいじゃないですか」


「断れば、今度は『危険人物』として監視される」


 ガンドは地下工房の入り口を見つめた。


「オルヴェル師と同じ罠に、俺は引っかからん」


「工房は場所じゃない。技術者がいるところが工房だ」


 ガンドの言葉に、迷いはなかった。


「それに、古代の技術者たちが残してくれた、完璧な拠点がある」


 五人は遺跡の中で、緊急の移転計画を練り始めた。


「明日の夜中から作業開始。三日間で完了を目指す」


 ガンドが状況を整理した。


「必要最小限の設備だけを移そう」


「行商の荷車も使える」


 ダリオが提案した。


「何度かに分けて運べば、怪しまれることもない」


 計画が具体化するにつれ、五人の表情に決意が浮かんだ。


「政治に翻弄されない、技術者だけの聖域を作りましょう」


 リズが微笑んだ。


(そして、いつか森で技術を伝える日が来るかもしれない)


 心の奥で、彼女は秘かな想いを抱いていた。


 帝国に感じる危うさが、彼らの結束をより強固なものにしていた。古代遺跡での新生活は、想像以上に早く現実のものとなろうとしている。


 政治の手が伸びる前に、技術者たちは自由を守る決断を下した。それは小さな抵抗かもしれないが、未来を選び取ろうとする、最初の一歩だった。

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