第25話 工房での誓い

 ガンドの工房に戻って数日後、古文書と現代工具が作業台に並べられていた。リズがテュラン修道院から持ち帰った契約詠唱理論の羊皮紙と、ガンドの200年にわたる職人道具が、まるで時代を超えた対話を始めようとしているかのようだった。


「古代の知恵と現代の技術、そして若い情熱か」


 ガンドは髭を撫でながら、準備された材料を眺めていた。


「きっと、何か新しいものが生まれるな」


 ジョルジュは緊張していた。前回の宝珠は政治に利用され、模造品が人々を傷つけた。今度こそ、本当に安全な技術を作らなければならない。


 その時、工房の扉が丁寧にノックされた。


「ガンド・バルレ殿はいらっしゃいますか?」


 聞き覚えのある声に、ジョルジュは振り返った。


「イリヤさん!」


 扉を開けると、茶色の髪に誠実そうな顔立ちの青年が立っていた。


「ジョルジュさん! またお会いできましたね!」


 イリヤは嬉しそうに笑った。


「ごぶさたしております。今日お伺いしたのは、治療用魔導具の件で、ガンドさんにご相談したいことがありまして」


「治療用魔導具?」


「はい。実は、新王国での状況が……」


 イリヤの表情が曇った。


「王立魔法語協会の規制強化で、魔導具製作が事実上禁止になってしまったんです。多くの魔導具派の魔導士が、技術を諦めるか、帝国に移住するかの二択を迫られています」


 ジョルジュの胸が痛んだ。自分の技術が引き起こした分裂が、こんな形で技術者を苦しめている。


「それで、ご相談というのは?」


「実は……私も故郷での治療活動を続けるか、帝国移住を検討するかで悩んでいるんです。でも、どちらを選ぶにしても、より安全で確実な治療技術が必要で……」


 リズが口を挟んだ。


「ちょうど良いタイミングね。私たち、まさに『本当に安全な技術』を作ろうとしているところなの」


「本当に安全な技術?」


 ガンドが立ち上がった。


「まあ、入れ。面白い話になりそうだ」


 工房の中で、ジョルジュは古文書の内容を説明し始めた。契約詠唱理論、思いと言葉の一致、そして意図せぬ、または真意を隠した詠唱を弾く仕組み。


「つまり、使用者の『思い』と『詠唱』が一致しているかどうかを判定する機構ということですか?」


 イリヤは目を輝かせた。


「そういうことだ」


 ガンドは作業台の魔石を手に取った。


「この魔石はな、使い手の心の調べを聞き分ける、ちょっと変わったやつだ」


 ガンドはイリヤに魔石を渡す。


「試しに、心の中で何か考えてみろ」


 イリヤの掌の上で魔石が青白く光った。


「別のことを考えてみろ」


 魔石は黄色い光を放った。


「この石、面白いですね! 最初は『みんなを治療したい』と考えて、次は……『腹が減ったなあ』と考えました」


 イリヤが照れ隠しに頭を掻いた。


「そうか、腹が減ったか。まず、飯にしようか」


 ガンドが微笑んだ。


 食事を済ませ、作業を再開する。

 あらためて、ジョルジュが説明する。


「この魔石を組み込んで、口で言うことと心で思うことが同じかどうかを、この魔法陣が彫り込まれた盤で照合します」


 ジョルジュは、魔法陣が彫り込まれた薄く小さな金属板をイリヤに見せた。


「もし逆の内容だったらマナの組成が異なるはずなので、魔法陣上で打ち消し合う仕組みです」


「なるほど……」


 イリヤは興味深そうに頷いた。


「では、実際に作ってみよう」


 ガンドの指導の下、三人の共同研究が始まった。リズの古代知識、ガンドの経験、ジョルジュの現代的発想。三つの異なる知恵が融合していく。


「古の文献には『偽りの契約は神に届かず』とあるわね」


 リズが古文書を読み上げた。


「昔の人も、似たようなことを考えたのかもね」


 ジョルジュは頷いた。



 数週間をかけて、ついに新しい宝珠が完成した。前回よりも複雑な機構が組まれ、宝珠内部には二つの魔石が納められた。


「試してみましょう」


 ジョルジュはイリヤに宝珠を渡した。


「『怪我を治したい』と心から思いながら、治癒の詠唱を」


 彼が真心を込めて詠唱すると、宝珠が柔らかな金色に光った。


「次は、試しに『誰かを困らせてやりたい』と思いながら同じ詠唱を」


 イリヤが困惑しながらも邪な考えを浮かべつつ「傷よ、癒えよ」と唱えた瞬間、宝珠は全く反応しなかった。


「素晴らしい!」


 イリヤの目が輝いた。


「これなら、本当に安心して人々に使ってもらえます」


 しかし、ジョルジュの表情は複雑だった。技術的には完璧な成功だが、根本的な問題は残っている。


「でも……これでも、武器は作れるんですよね」


 ガンドが重々しく答えた。


「誰が正しくて、誰が間違っているかなんて、誰にも決められない」


 リズが静かに言った。


「エルフは長く生きるから分かるの。『正しい戦争』だと信じて戦った者たちが、後の時代には『侵略者』と呼ばれることもある。正義は時代と立場で変わるものよ」


 ジョルジュは宝珠を見つめた。


「つまり、この宝珠は『思いと詠唱の一致』しか判定できない。それが現在の限界……。俺のやっていることで、また人々を傷つけることになるんじゃ……」


「ジョルジュ」


 ガンドが厳しい声で言った。


「誰だって分からないことを知りたいと思うし、出来なかったことを出来るようになりたい。つらい作業を楽にできるようになりたい。みんな、それが豊かになることだと思ってる。この思いを否定しちゃならん」


「でも……」


「『でも』はない。それを否定すれば、お前は人間の向上心そのものを否定することになる」


 ガンドは立ち上がった。


「200年やってきて分かった。技術の進歩を止めることはできん。人間の『もっと良くしたい』という思いは止められないからだ」


「その願いを悪用する人もいるけれど……」


 リズが呟いた。


「悲しいが、それもまた『向上心』かもな」


 ガンドの言葉に、ジョルジュは愕然とした。


「そんな……」


「だから、ただ、最高の技術を考えるんだ。それが技術者の『仕事』だ」


「でも、責任は……」


「責任はある。『最高の技術を作る』責任だ。中途半端な技術、欠陥のある技術、危険な技術を作らない責任だ」


 ガンドの目が鋭く光った。


「使われ方への責任は、使う者の責任だ。技術者が背負い込む必要はない」


「冷たい考え方ね」


 リズが呟いた。


「冷たいかもしれん。だが、これが200年で学んだ『技術者としての生き方』だ」


 ジョルジュは混乱していた。


「でも…でも、それでは俺の『誰でも魔法を』は何だったんだ?」


「美しい理想だった。そして、実現した」


 ガンドは断言した。


「でも、動乱にも使われて……」


「それも『誰でも』の中に含まれていたんだ。お前は『良い人だけに』とは言わなかった」


「言わなかったけど、心では……」


「心で思っていたことと、口で言ったことは違う。技術者は、言ったことに責任を持てば良い」


 ガンドは宝珠を手に取った。


「技術者の仕事は、ただ最高の技術を作り上げるだけ。しかし、悩むのを止めたら技術者ではない」


「悩むのを止めたら……?」


「悩まない技術者は、技術者じゃない。『なぜ』を問わない者に、本当の技術は作れん」


 ジョルジュは困惑した。「でも、さっき『悩みを技術に持ち込むな』と……」


「悩むことと、悩みを込めることは違う。悩み続けるからこそ、純粋な技術が生まれる」


「少し矛盾しているように聞こえますが……」


 イリヤが恐る恐る口を挟んだ。


「矛盾で当然だ。技術者は矛盾を生きる存在だ」


 ガンドは窓の外を見つめた。


「技術に向き合うときは純粋でなければならん。だが、人間として生きるときは悩まなければならん。この二つを両立させるのが技術者だ」


「なぜ悩み続けなければならないんですか?」


 イリヤの問いに、ガンドは続けた。


「悩みを止めた瞬間、技術者は傲慢になる。『俺の作った技術は完璧だ』『使い方が悪いのは俺の責任ではない』そう思い始める。謙虚さを失った技術者の技術は、必ず劣化する」


 ジョルジュは深く息を吸った。


「分かりました……でも、一人で悩んでいても、答えは出ない」


「そうだ。悩みは一人で抱え込むものではない」


「でも、この悩みを理解してくれる人は……」


「技術者よ。同じ道を歩む技術者たち」


 リズが静かに言った。


「そうか…俺と同じように悩んでいる技術者が、きっと他にもいる」


 ジョルジュの目に光が戻った。


「確かに、故郷でも一人で悩んでいる魔導具職人がたくさんいます」


 イリヤが頷いた。


「みんな一人で悩んでいる…でも、もし集まることができれば」


「一人では見えない答えが、見つかるかもしれない」


 ジョルジュは立ち上がった。


「俺は…俺は仲間を探したい」


「仲間?」


「技術を愛し、でも技術に悩んでいる人たち。俺たちと同じように、『これで良いのか』と問い続けている人たち」


「そういう人たちと一緒に考えたい……」


 イリヤの声に希望が宿った。


「そうだ。みんなで考えれば、きっともっと良い答えが見つかる」


「だが、どうやって見つける?そんな技術者たちを」


 ガンドが問いかけた。


「地道に探すしかない。一人ずつ、話をして、同じ志を持つ人を見つけていく」


「私の故郷にも、きっといます」


「私も、長い間生きてきて色々な技術者に会ってきたわ」


 リズが微笑んだ。


「少しずつでいい。同じ悩みを持つ仲間を集めたい」


 ジョルジュの口調には力がこもっていた。


「しかし、なぜ隠れる必要がある? 堂々とやれば良いではないか」


 ガンドが尋ねた。


「表に出れば、政治と無関係ではいられません。帝国は『我々の技術者組織』と言うだろうし、新王国は『危険な集まり』として規制すると思います」


「たしかに、どちらも純粋な技術追求の邪魔をするかもね」


 リズが頷いた。


「俺たちが欲しいのは、政治の影響を受けない場所。ただ技術について、責任について、自由に語り合える場所なんです」


「技術者だけの、技術者による集まり……」


 イリヤが呟いた。


「お前たちの理想は美しい」


 ガンドが髭を撫でた。


「だが、覚えておけ。組織は必ず変質する。『我々は特別だ』と思い始めた瞬間、組織は腐り始める」


 ジョルジュが首を傾げた。


「特別だと思う?」


「『我々だけが正しい技術を理解している』『我々だけが責任を負っている』そう思い始めたら、終わりだ」


「でも、実際にそうなんじゃない?」


 リズが反論した。


「その考えが、既に危険な兆候だ」


 ガンドは厳しい表情を見せた。


「最初は『仲間のため』だった活動が、やがて『組織のため』になる。そして最後は『組織を守るため』になる。いつか、お前たちの後継者が『創設者の理想に戻ろう』と言う日が来る。その時、お前たちは『古い理想』になっている」


「──それでも、やるか?」


 ジョルジュは少し考えてから、確信を込めて答えた。


「それでも、やります」


「なぜ?」


「完璧な解決策はないかもしれない。でも、一人で悩み続けるよりは、みんなで悩んだ方がマシだ」


「たとえ、いずれ変質してしまっても?」


 イリヤが問いかけた。


「その時はその時で、また新しい人たちが考えてくれるでしょう」


 ジョルジュは宝珠を手に取った。


「俺は気づいたんです。『完璧な答え』を待っていても、何も始まらない。不完全でも、間違いを犯すかもしれなくても、今できることから始めたい」


「賢い判断だ」


 ガンドが頷いた。


「技術者として、今の俺にできることは、同じ悩みを持つ仲間を見つけて、一緒に考えることです」


「その勇気が大切ね」


 リズが微笑んだ。


「まず、俺たち四人から始めよう」


 ジョルジュが提案した。


「最初の仲間ね」


「喜んで参加させていただきます」


 イリヤが頭を下げた。


「200年やってきて、一番面白い提案だ」


 ガンドが笑った。


「では誓おう。技術を極めることを、悩み続けることを、そして仲間を探し続けることを」


 四人は手を重ね、静かに頷いた。

 夕日が工房の窓を染め、新しい宝珠が暖かな光を放っていた。


「明日から、新しい挑戦が始まりますね」


 ジョルジュが窓の外を見つめた。


「仲間探しの旅」


「それと、活動の拠点も見つけないと」


 リズが古文書を整理しながら言った。


「一歩ずつだ。焦る必要はない」


 ガンドが工具を片付けている。


「ありがとうございます、皆さん。一人だったら、きっと諦めていました」


 ジョルジュは宝珠を大切に包んだ。


「この技術も、一人で作ったわけじゃない。ガンドさんの経験、リズの知識、みんなの支えがあったから」


「それが本当の技術継承よ」


「秘密ギルドも同じです。一人の理想じゃなく、みんなの知恵を集めた組織にしたい」


「それなら、きっとうまくいく」


 ガンドが最後の工具を棚に戻した。


「いつか、技術者が孤独に悩まなくても良い世界を作りたい」


 ジョルジュの言葉に、全員が静かに頷いた。


「一人では答えが出なくても、みんなで考えれば、きっと良い答えが見つかる」


 夜の帳が降り始めた森で、四人の技術者は新たな希望を胸に、明日への準備を始めていた。

 真の宝珠は完成した。そして、それ以上に大切な何かが、この日生まれようとしていた。

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