第3話

「久木さんってついてるよね。バス見つけてくれたし」

「雨の時点でついていないんだけどねぇ.......」

 うつむきがちな彼女は振り子のように揺らす片足のつま先をぼんやりと眺め、気難きむずかしくいじけていた。

「そういえば傘も忘れてたもんね」

「それ言わないで……ぅぅ」と僕たちは呑気に話しながら、しとしとと降り止まない雨を見ていた。

 バス停を見つけた途端、異論がはさまる余地もなくバスで帰ることを決め、僕らは15分後に来るバスを濡れずに待つため、一度昇降口まで戻っていた。

「小野小町が見ていた景色もこんな感じだったのかな……」

 寂然せきぜんとした面持おももちの久木が、脈絡みゃくらくのない独り言をポツリと吐いた。おくゆかしく森閑しんかんな空気に溶け込んでしまうさえずるような彼女の声に聞き入り、久木が何を話したのかは全く考えられなかった。

「オノノコマチ?」

「そう、小野小町」

 なんで小野小町が出てくるんだ?不思議がる僕の表情を汲み取り、久木は僕の疑問を優しくほどいてくれた。

「桜にまつわる有名な詩歌うたを歌っていて、それにちょっと心が通った気がしたの。ほら、せっかく咲いたのに雨が降っちゃったからさ…」

 SNS全盛ぜんせい、バズとえの時代に生きる現代人こうこうせいにも関わらず、詩歌うたを鑑賞する彼女の感性には感服する他なかった。これは一周回ってエモいのか?などなど色々考えては、掛ける言葉が見つからず、

「まぁ...雨ばかりは神の気まぐれだからねぇ」

と会話を繋ぐために、雨をうれう彼女をさとすトンチンカンな言葉をかけた。幼馴染の澄香によれば僕は雨男らしいので、神云々かみうんぬん関係無しにこの手の行事では大体雨だと僕ら的には相場が決まっている。雨の打率3割越えと、バッターなら相当優秀な成績だ。

「神様って意地悪なんだね.....。.....来年も見れるかなぁ」

「それは見れるでしょ?」

 地を打つ雨のささやき声だけが、今は聞こえる。

「……あっ 、ごめんごめん。こっちの話、こっちの話。もしかしたらお父さんの仕事で、海外に行かないといけないかもしれなくてさ」

「 …………ごめん、気がかなかった。」

 ワタワタともつれた彼女の声が、刹那せつな、僕の心をキュッと締めた。

 どうして?

 どうして?

 どうして?

 どうして、あんな適当なことを言ったんだ....

 鮮烈せんれつな自責が血潮ちしおごとき勢いで噴き上がると、鼓動は一層早まり、ひたひたと気管支を登る不快感が吸えない酸素の苦しさを脳に生じさせた。

 家族を諦め、夢を諦めきれなかった人の背中。一人でアメリカへ行ったあの人の顔。別れの言葉がごめんな、だった父の声。

 記憶のフィルムの断片が、許可なく脳裏に映し出される。

 顔をゆがめて叫びたい、このざわめきを吐き出したい。

 家に母親が居て、父親が帰ってくる。地元の学校に通い、つまらなくありふれた日常がひたすら巡ってくる。

 それは恵まれていること。

 僕は知っている。

 なのに、なのに.....。どうして.....。

 黒い感情のもやが内心に立ち込めると、心のことごとくをむしばんだ。

「ぜんぜん気にしないで。わたし、何も言ってなかったんだから」

 自我境界線じがきょうかいせんの向こう側から聞こえた声により、僕は現実に引き戻された。

 ここは高校、今は人前、僕は普通。

 そう言い聞かせる、ただただ言い聞かせた。

「……ホントごめん」

「なんでそんなに謝るの!本当に気にしないで良いのに 」

「そう?…じゃあそうする」

「うん、うん。気にしなーい、気にしなーい!」

 毛ほども気にしていない彼女はあっけらかんと笑っていた。

 今一度肺を大きく膨らませて深呼吸をすると、鼻腔びくうを抜ける空気の流れが鋭敏に感じられた。

「久木さんは中学は東京に通ってたんだよね?お父さんが転勤族とかなの?」

「うっ…、うーん……まぁ、そういう感じの延長線??みたいなものかな」

 普通に戻ろうと世間話的に聞いた僕の読みはどうやら的外れであったようだ。空をあおぎ、言葉がつっかえ気味な彼女からは、あからさまに正鵠せいこくを射れてないことが見てとれる。

「やっぱ、大変なことある?」

「……色々と大変なことは勿論あるかな。でも、慣れちゃったらそれが日常だから」

「強いんだ、久木さんって」

「実は夜な夜な一人で枕を濡らしているかもしれないよ??」

「本当それ?」

「どうだろ?あっ 、これまでの話みんなにはこれで」

 右人差し指をむすぶふっくらと仄紅ほのあかい唇の前にあてがい、二人だけの内緒の仕草をする。この小悪魔め-と内心溜め息をつかざる負えなかった。

「別に言う相手いないから」

「ありがと」と朗らかに笑う彼女に、僕は済ました顔で軽く首を横に振った。

「久木さんは日本に残れないの?」

「んーーー。お父さんが行くなら、家族みんなで行くことになるだろうから厳しいかな」

「そっか......」

「早ければ桜は今年で見納めかぁって考えると、やっぱさびしくなっちゃって」

 やはり彼女の感情は心の奥深いところにまで根を下ろしていて。本音を吸い上げた久木の声音は、月の隠れた夜の海のように孤独な深い藍色をしていた。

「晴れてたら、みんな桜の下で写真とか撮ったんだよね」

 高校を出る時も、昇降口に戻る時も、何名もの生徒を僕らは目にした。

 そして誰一人、足を止めることも、カメラを向けることもしていなかった。

 桜ですら、雨が降れば見向きもされない。

「.......神様なんてやっぱ居ないんだよ」

 雨音あまおとで穴が開いてしまった弱々しい声を僕は正確に聞き取ることができなかった。

「君たちまだ残ってたんか」

 どこか物憂ものうげな二人の背中越しに声を掛けてたのは、担任こと真金まがね先生の覇気はきのない気怠けだるげな声であった。ポケットを片手に突っ込んで、ビニール傘の持ち手の根本ねもと部分を鷲掴わしづかみする姿は如何いかにもな体育会系。担当は古文らしいが。

「先生」

 突然の登場に、僕は思わず見たものをそのまま口にしていた。

「次のバスが来るまで、ここで雨宿りしているんです」と久木が僕らの現状を簡潔に説明してくれた。

「そういうこと」

「先生こそ、どうしてここに来たんです?と僕が問う。

「……遅くまで残っている生徒がいないか見回らないといけなくてさ」

「それは....すいません」

 気まずそうに話してくれた先生に、つい自分も気まずそうに謝ってしまう。

「まぁ、そう遅くならないうちに帰ってくれればいいよ」と言って真金先生は再び校舎に戻ろうときびすを返した。

 その背中を見て、気づけば先生を呼び止めていた。

「あっ、先生」

「ん、なんだ?」

「写真撮ってよ」

 醜悪しゅうあくの極みだ。自己中心的で我が身可愛さから生まれた、贖罪しょくざいを果たそうとするみにくい行動だった。

「おう、いいぞ」

「えっ…なんで??」と案の定、久木は戸惑っていた。

「いやだった?」

「嫌とか全然そういうのじゃないんだけど。でも、なんで?」

「単なる思い出作り」

「どおすんだ?」と真金先生は僕らの意志を問う。

「おっ...お願いします!」

急転直下きゅうてんちょっかの展開に付いていけず、未依の声は若干じゃかんうわずっていた。

「あいよ。っで、どこで撮ればいいんだ?」

爽太は久木に目配くばせをする。未依のリクエストをうかがうために。

「じゃぁ.......せっかくなので......桜が映る場所がいいです」

「......ちょっくら、外まで行くか」

 覚悟を固めた真金先生の視線に吊られ、雨の中、人数は3人、傘は二つ。校門前の桜並木へと向かった。

 未依のスマホを真金先生に渡し、爽太と未依は並木道の真ん中に立つ。HRの終わりから時間も既に経っており、他の生徒は見えなかった。

「撮るからな〜」

 片手のふさがった爽太はそわそわとぎこちなくポーズを取った。対する未依は一切の迷いなく自分の可愛らしさを表現する。

 レンズが下に向けられて撮影が終わると、ひとまず3人は昇降口に戻った。未依の手元に返されたスマホを覗き見るように、爽太は撮影された4枚の写真を確認した。

 お世辞にも、どの写真も上手くは撮れていなかった。雨のせいで写真は暗く、桜を映した広めの画角では2人の表情がわかりづらかった。

 一際ひときわ目に付くのが、爽太と未依の間に生じた不自然な隙間。左手をポケットに突っ込み、張り付いた笑顔の爽太が未依との間隔を空けようと無意識にって生まれた青々とした空間を写真は克明こくめいに記録していた。

 悲惨ひさんな自分の写真写りを見て、僕は苦笑いするしかなかった。横目で彼女の様子を伺うと、スマホを両手で包み持ち、同じ写真を宝石でも見るかのように目をきらつかせている。

「……爽太君」

「ん?」

「青春だね!」

「でしょ?」

 太陽を掴み取ったほどの輝きを放つ久木の表情一つで、僕の杞憂きゆうは一瞬で晴れてしまった。

「先生!写真ありがとうございました」

未依が真金先生に深々とお辞儀したので、

「ありがとうございました」と続けて僕も軽く会釈えしゃくをした。

「ういうい。てか君たちって昔からの知り合いだったりするの?」

「いえ、違いますけど。」と僕はきっぱり答えた。

「ってことは今日初めて会ったんだよな?」

おっしゃる通りです」と今度は久木が礼儀正しく、ハツラツに応えた。

「........若いねぇ君たち」

 全く持って下世話げせわな想像をされたもんだ。こんな状況におちいっているのも9割方、久木未依のせいで、僕は何もしていない。この手の誤解はきちんといておくべきだと、疲れていても脳は的確に判断を下した。

「単に久木さんが傘を忘れたから、色々こうなってるんですよ」

「えっ...あ........ちょっと!」

 なんで、言っちゃうの!と絶叫ぜっきょうする声が伝わってくるほど、彼女は短い髪を揺らしてキョドキョドしている。

「なんだよ。言ってくれれば職員室で貸したのに。あっ、ちょうどいいや。これ職員室の備品だから、明日返してくれよ」と言った真金先生は、今の今まで使用していた傘を未依に押し付けるように渡した。プラスチック製の白い取っ手には職員室用とシールが貼ってある。

「......ありがとうございます」

「さっさと帰るんだぞ」

「はぁーい」

 僕が気の抜けた返事をすると、校舎へと戻る真金先生は振り向くこともなく、ぶらぶらと左手を振って反応しれくれた。

「そろそろ時間だよ!!」とせわしなく久木が声を上げる。

 彼女にうながされるようにスマホを見ると、時刻は次のバスの2分前。これを逃したら、また2、30分待たされる羽目になる。

「行こっ!爽太君」

 借りたてのビニール傘を勢いよく開き、彼女は雨と花びらが舞い降る桜並木へとけた。

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