第2話
今年も結局、雨は降った。
不足していたプリントが配られると明日以降の時間割や健康診断の説明が手短かに行われ、高校最初の一日はお昼前に終わった。手早く荷物をまとめて帰宅する生徒もいれば、スマホを見せ合って共感を楽しむ女子グループと、教室にはめいめいの時間が流れ始めている。
普段の僕なら圧倒的に前者側の人間であるが、今日は違った。
解散の一声が掛かってから少々、荷物をまとめた久木は「一緒に帰ろっ!」と誘ってきた。さっきの続きであることは直感でわかった。
が、僕は二つ返事が出来なかった。しなかったのではなく。
なぜなら、現在進行形で澄香に一緒に帰るかを確認している最中であるからだ。中学の時、修学旅行の終わりに一人そそくさと家に帰ったら、何で先に帰ってるのとその夜にめちゃくちゃ電話で怒られたことがあった。人は学習をする生き物だ。同じ
以上の諸事情により、久木のお誘いに乗るか降りるか、その決定権がこの場に居ない幼馴染が握る不思議な状況になっているところで、机に置いていたスマホが震えた。
すみから「クラスの子と先に帰っちゃってる」のメッセージに、謝罪する猫のスタンプが続けて送られてきた。僕の配慮は
なので、僕は彼女の提案に乗ることにした。気乗りはしないが、成り行きなので致し方なかった。
そして現在。
昇降口の
「一旦、教室戻ってみる?」
「学校じゃ一度も出してないんだよね....」
「やっぱ、家に忘れちゃったんじゃない?」
「それはないよ。だって、昨日から机の上に準備しておいたんだから」
「入れ忘れの可能性はないわけ?」
カバンの内を弄る手がピタリと止まり、パッチリとしたつぶらな目がパチパチと瞬きをした。
「...........そうかも」と彼女は観念した声を上げた。
どうやら記憶の中で、折り畳み傘が見つかったようだ。
ファスナーが唸り、すぐにカバンは閉められる。
「どうするの?」
「.......どうしよう」
目の前に広がる
「職員室に行ったら、貸出用の傘でも貸してくれるんじゃない?」
学校のことなら大概は先生に相談すればどうにかなる。
「................行きたくない」
絞って絞って絞り出した声がボソッと呟いたのは、まさかの拒否であった。
「なんで??」
「だって、今日は雨が降る予報だったんだよ。」
「…うん」
「それに今日は入学式」
「……うん?」
「いま借りに行ったら、すぅぅーーごく抜けてる子だと思われちゃうじゃん!」
いや、そうだろ!
舌の上まで乗ったツッコミを、
「べっ...別にそんなことないと思うけど......」
「じゃあ、爽太君が先生の立場になってみて」
「はい?」
「高校初日のHRが終わり、職員室に戻ったとするでしょ。すると、一人の生徒が職員室に来ました。入学初日から何の用事だろうと気になりながら話を聞くと、傘を忘れたので貸してくれませんかと相談してきたのです。この状況、爽太君ならどう思いますか?」
久木が提示したシュチュエーションを脳裏に浮かべてみる。パソコンで業務しているところに、久木さんがやって来て傘を忘れたので貸していただけないか依頼してくる。......あぁー。
「いま絶対に天然だと思ったよね!ほら、目が明後日の方向に向いてるよ」
心の中ですら言わなかった僕の感想を彼女は見事に読み当ててみせた。読心術の使い手であることに感心すると共に、それとなく彼女が言いたいこともわかった気がした。
きっと、彼女にとっての高校生デビューは完璧じゃないといけないのだ。
「......俺が聞いてこよっか?」
「それは流石に爽太君に申し訳ない...」
「じゃぁ、一緒に借りに行く?」
「....それはもっとやだ」
「でも、雨は当分止みそうにないけど」
お天気アプリで向こう一時間の雨雲状況を確認しても、雨雲は弱まりも強まりもせずにしばらく停滞する予報が表示されていた。
「わかってるよ....」
理性の上では、彼女も自分がすべきことをわかっているようだ。
ただ、それを阻む理想の自分もいるようで。
二つの意見の合流地点となった久木の言葉には、相容れない感情がせめぎ合っている。
チラりと外を見ても、春雨と言えるほどの雨の軌跡がやはり見える。雨は止まない。冷たい春先の雨を浴びれば、体調を崩すのは必定。何より、女子一人をびしょ濡れで帰らすのは、流石の僕でも許容できなかった。
やはり、傘はもう一本必要だ。
「流石に傘は2本持ってないからね。」
彼女には諦めてもらい、
「一本はあるんだよね?」と何かを
「折りたたみがね」と僕は手に持つコンパクトな黒い折りたたみ傘を彼女に見せた。
この1本では一人しか守れない。
「じゃあ、それで解決しよう!」
「うん?」
「隣、入らせてもらってもいいかな」
「え?」
「だめかな?」
「え?」
「......だめ?」
「……ぇえ」
「............だめ?」
「....................」
「..........さすがにムリだよね....あはは...」
いじらしく
世間体も周囲の視線もあなたの人との距離感も、全部気になって仕方がない。
何より一番気になったのは、僕に相合傘をさせることが申し訳ないと思わない彼女の価値基準だった。
「.......まぁ別に、久木さんが気にしないなら別にいいんだけどさぁ....」
今朝から無駄に
僕は諦めて
灰色の空に一輪の黒い花がパッと咲く。
布を叩くこもった雨音が頭上から降り注ぐ。
僕は自分の右側が空いていることを、傘をクイクイと右側に軽く倒して主張した。
「お言葉に甘えて。....お邪魔します」
お礼の意か反射的な動作かは定かではないが、かがみ腰になる姿勢を一瞬見せて、久木は僕の横についた。
「......帰りますか」
「そうだね」
タイミングを合わせ、雨空の下へと踏み出す。
潮が満ちたり、引いたりするように、僕らの肩は時に触れ会い、時に触れ会わなかったりした。これだけ距離を縮めても、この傘では身体二つを守るには
僕らは身を寄せ合いながら帰路に着くも、
きっと、
鼓動も、体温も、隠した本音さえも、彼女に全部伝わっている気がしてならない。
「ねぇ」
「あのさ」
話すタイミングは幾らでもあったのに、二人の言葉は運悪くも重なった。
「お先にどうぞ」
「大した事じゃないから。そっちこそ、話したい事があるんでしょ」
「じゃあ...。ホントありがとね、中に入れてくれて」
「別に良いって、どうせ傘はさすんだから。一人だろうが、二人に増えようが、三人になろうがさす人の労力は変わらないし」
「3人は入らないんじゃないかな」
僕たちは一笑する。
「.........」
「.........」
そして僕たちはまた黙る。
結局、ロクに会話が出来ないまま、僕らは校門を後にした。
校門を出るとすぐ、彼女があっ...と声を上げた。忘れていた何かを今この瞬間に思い出したかのように。
「あぁーー.......」
彼女の目線の先を見て、僕もすぐに声が出る。
横浜市民には見覚え深い、丸い形のバス停。雨の中で一人寂しく待ちぼうけている。
「そう言えばバスあったね」と彼女は失笑した。
渡りに船、雨の日にバスとは
お陰でこの苦難からなんとか脱出できそうだった。
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