第4話

 結露けつろしらんだ窓、むわっと湿しめった空気が肌にまとわりついてくるバスの中、かわにぶら下がる爽太は熱のこもった久木の話をぼんやり耳にとおしていた。一緒に帰ることのキッカケとなったHRホームルームの続き、彼女が高校でしたいことの話である。

 それは想像以上に歯が浮くようなキラッキラの青春で、浴衣ゆかた着て花火大会に行きたいとか、文化祭でバンド組んでライブをしてみたいとか、泥にまみれながらも体育祭で一喜一憂いっきいちゆうしたいとか、絵に描いたような青春全部を濃縮還元のうしゅくかんげんさせたあまったるい理想であった。

 これがえない男子の発言セリフなら内心ないしんあざけていたが、不思議と久木の言葉にはどころのない説得力があり、彼女なら全てを容易たやすく実現させてしまいそうであった。

 終点までバスに乗り、りたら目と鼻の先にある駅に向かう途中で、彼女もまた僕と同じ方面の電車に乗ることを知った。

 自動改札を抜けてホームに上がると、地元の住民や同じ高校の生徒、見知らぬ制服の学生がてんでんばらばらに電車を待っていた。早くも乗車口の前で並ぶ人がいれば、壁際かべぎわでスマホをさわる人がいたりと、せわしい人の居ないホームには気ままでのんびりとした空気が流れている。僕たちは電車の到着が近づくにつれて混むであろう階段付近をけ、ホームの前よりで電車を待つことにした。

「そう言えば、爽太君は部活どうするの?やっぱ野球部?」

「いや、いまんとこはまだ何も」

 さらりと嘘をついた。僕の中では既に帰宅部と決まっていた。だから嘘をついた。今日初めて知り合ったクラスメイトに、何部に入るの?と聞かれて、帰宅部と即答したらどうだろう。どうつくろったって、あぁ......そうなんだって感じに残念な人認定されることはまぬがれない。

「野球やらないの?」

「別に続ける理由ないし。久木さんは入りたい部活とかないの?てか、中学は何部だったんだっけ?」

「何部だと思う?」

「バドミントン部」

「ざんねん」

「じゃあ、吹奏楽部」

「違う違う」

「りくじょう?」

「運動部じゃないからね」

「.......文芸部?」

「ちょっと近づいたかな」

「......わからないので答えを教えてください」

「当ててくれたら、ご褒美で教えてあげる」

「めんどくせぇなぁ、この子」と言うのは心の中でましておくことにした。

 部活ぐらいで一体何を隠す事があるんだ?みんなあっけらかんと公言してるじゃん。

 最初こそ部活を言おうとしない彼女をいぶかしんだが、世間体せけんていを気にして帰宅部志望を隠した人間が居たことを思い出し、すぐに止めた。

 部活ってただの課外活動なくせして、その人のこのみとか、性格とか、学校での立ち位置とかを大体さっすることができる便利なレッテルにもなっている。サッカー部なら一軍、パソコン部は根暗ねくら、数研なんて理解不能とか、ようはそんな感じ。

「女の子の秘密は許されるの」

「ふーーん。で、高校はどうするの?」

「マネージャーやりたいんだよね!わたし、運動が苦手だから、自分がプレイするのは抵抗感ていこうかんあるし.......音楽も才能なかったから........。けど、マネージャーならみんなと一緒にたたかえるかなって!」

「いいんじゃないかなぁ.....」

「なに、その反応」

 口をむすんだ彼女がジト目で湿しめっぽい目線を飛ばしてくる。ふくみをはらんだ僕の賛意に、彼女はへそを曲げていた。

「いや、普通に似合にあってる。久木さんがマネージャーなら、それだけで部活頑張れる。ホント、ホント。」

 罪悪感ざいあくかんを覚える乙女おとめ眼力がんりきに屈して、あからさまなお世辞せじまくてた。

 別に、マネージャーに向いていないとは思っていなかった。

 むしろ、似合にあいすぎているために嫌な予感がしていた。

 久木未依は純粋じゅんすいで、愛想あいそがよく、かわいげがあるのに、あざとい人間だと言うことは、半日はんにちも行動を共にすれば大方おおかたみんな理解できる。そんな彼女が、「がんばって!」と一声ひとこえ掛けたもんなら、男子はころっとちてしまう。むさくるしい野郎共やろうどもの集まりに咲く紅一点こういってんはな雑務ざつむもこなす献身的けんしんてきなマネージャーに、夢を見ずにはいられない。

 そんな状況、他の女子マネージャーは面白く思わないはずだ。

 本気になっちゃう男子、おかぶを奪われた女マネ。いずれは彼女を取り巻く人間関係が不協和音ふきょうわおんを立てながらゆがんでしまうことに僕はんでいた。

「じゃあ!一緒に野球部入らない?」

 人の気苦労きぐろうなどつゆ知らずの彼女は、そうやって男子が勘違かんちがいしそうになることを無意識にやってしまう。僕なんてすでに下の名前でくん呼びされてるし.......。

 久木の天生てんせいの男たらしりには、はなは感心かんしんするしかなかった。

「入りません」

「えぇーー、なんで?例えばだよ、マネージャーの私が朝練の準備で朝早く学校に来たら、先に来てた君が自主練してるでしょ。おはようって私が声をかけると君もおはよって返してくれて。そしたらさ、アップに付き合って欲しいって君が言うから、しょうがないなぁって言いながらも制服のまま私が君とキャッチボールを始めるの。

うんうん、すごくいいシュチュエーション。やっぱ、野球部入ろうよ!」

「ホントに野球はいいんだって。中学は友達にさそわれてやってただけだし、3年やって才能がないこともよくわかったから。高校は野球よりも、もっと有意義ゆういぎなことに時間を使いたいんだよ」

「ずいぶん諦観ていかんしてるね」

「どっちかと言えば、現実主義者げんじつしゅぎしゃなので」

「嫌いじゃないよ、そういう人」

 彼女のその一言に、僕は思わず目を見開みひらいていた。

「なに、意外かな?」

 僕は首肯しゅこうする。久木未依は理想的な世界を夢見る根っからのロマンチストで、現実を簡単に割り切り、めた物言ものいいをする人とはりがわないとおもんでいた。

「Time is money って言うでしょ、時間も体力もかなえられそうなことに使わなきゃ」

「そりゃあ、そうだ」

「だったら、いつか後悔こうかいしないように毎日を大切にしたいでしょ!高校生の4月だって、あと2回しか来ないんだよ」

 久木はロマンチストである以上にリアリストであった。理想をえがく以上、正しい現実の形を受け止めて、必要な努力をしまず行う。きっと彼女が思いえがく理想の青春像は、全力で高校生活をEnjoy !することでかなえられるのだ。それは、時限じげんきの高校生活をせめていのないものにしたいとする気持ちともかさなるのであろう。

「疲れない?」

「それはもうへとへと。でも 、楽しいよ。何も変わらない毎日より、全然充実じゅうじつしてる」

 久木未依もまた、澄香と同じく、みずからの人生はみずかひらいていく人のようであった。

 そういう主人公気質きしつの、人生の主役は自分だと思える人が青春をつかんでいくのだろう。

 それに比べ、やはり僕は青春不適合者なのだ。

「一つ聞いてもいい?」

「何個でもいいよ」

「世の中ってどうにも出来ないことがあるじゃん。例えば、この天気とか。そういう時はどうするの?やっぱ、諦めるわけ?」

「天気なら大丈夫だよ」

「何が......?」

彼女の言いたいことがさっぱり分からない。天気を思い通りにする方法なんて、神頼かみだのみか、てるてる坊主ぐらいしかないはずだ。どちらも必中ひっちゅうすべじゃない。なんなら、当たったためしすらない。

「なら勝負しよう!3年後の卒業式は必ず晴れにして見せるから。もし、晴れなかったら爽太君の勝ちでいいよ」

「いいよ、乗った」

 彼女には秘策ひさくがあるのか?単に豪運ごううんの持ち主と自負じふしているのか?

 そんなことはわからない。

 でも運だろうが何だろうが、彼女が晴れると言って晴れたのなら、それはまぎれもない彼女の実力だ。運も実力の内と認めざるおえない。

 とんだ茶番ちゃばんだが、こういうきょうに乗るのも、今は悪くない気がした。

「晴れたらご飯でも奢ってね!晴れなかったら私が奢ってあげるから」

「じゃあ、久木さんの名前で高そうな焼肉屋でも予約しとくよ」

「その言葉、そのままお返してあげる」

 どう考えてもが悪い勝負なのに、余裕綽綽よゆうしゃくしゃくと言わんばかりに彼女は笑っていた。

 雨でいつもよりテカついた電車に乗ると、彼女は長い座席のはしに設けられた白い仕切しきり板に寄り掛かり、僕はその横に付くようにまたもかわにぶら下がった。電車は出発するとすぐにトンネルに突入し、透明とうめいな僕と目があった。

「僕らって、最後まで友達でいると思う?」

 無言むごんの時間をめるように、ポツリと心の疑問を吐き出した。

 今はクラスメイトで席も後ろ、入学初日で知り合いも少ない。

 だから、久木と接点が生まれる。

 時間がてば、話は変わる。

 仲の良い友達ができ、所属するグループが生まれ、席は替わり、クラスも変わる。

 一応いちおうは友達と言ったものの、3年後まで知り合いでいれるかすらも僕にはあやしかった。

「どうだろう?今年の夏には疎遠そえんになって、案外約束もすぐ反故ほごになってるかもね」

「それ言っちゃう?」

「ありえちゃう話なんだから、しょうがないんじゃない?」

 彼女なら底抜そこぬけの明るい声で、大丈夫!とか、ずっと友達でいようよ!とか、めっちゃ言いそうなのに、現実的な返事をするあたり、本当に彼女はリアリストなようである。

「なんか味気あじけないね」

「そんな爽太君に、いい提案をしてあげる」

「なに?」

「爽太君」

 彼女は寄りかかっていた身体をヒョイと起こし、くりくりの瞳が僕をとらえて離さない。突然のおごそかな雰囲気ふんいきを飲み込めない僕は、ん?と素頓狂すっとんきょうな声を出していた。

「私と付き合ってよ」

 出たよそれ、朝も聞いた。そうやって男子の純情じゅんじょうな心をもてあそぶのやめてもらえますか、と彼女に忠告ちゅうこくしようと思った。が、そもそも今日初めて会った人に告白する女性は世の中にいるはずもなく、ただただ言葉足ことばたらずなだけだと結論けた。

なにに?」

と爽太が聞き返した時、久木は「それ聞いちゃう?」と言いたげに、大人びた余裕を浮かべてあでやかに微笑んでいた。

「じゃあ言ってあげる」

「私の彼氏になることに付き合ってよ」

「ほら、決めて。ごーーー」

「よーーーん」

待て。待て。待て。待て。待て。待て。待て。待て。待て。待て。待て。待て。

付き合うって、そういうこと?嘘だろ、何の冗談?今日初めて会ったんだよ?好きになる要素が無くない?馬鹿ばかなのマジで?バカなの?

「さーーーん」

彼女が何を考えていようが、何も考えていなからろうが、残り時間は3秒。

「にーーーぃ」

「いーーーち」

「ぜーーーろ」

「待って、分かった、分かったから。付き合う。付き合うから!」

 ドッ、ドッ、ドッと早鐘はやがねのごとく心臓が拍動はくどうし、まとまらない思考がぐるぐると脳裏のうり渦巻うずまくだけ渦巻うずまいて、貴重きちょうな3秒はあっという間に消滅しょうめつした。

 普段なら絶対にムリと一蹴いっしゅうしていた場面。

 血が足りない今の脳みそだって、そう判断をくだす。なのに、なのに。

 得体えたいの知れない、撃鉄げきてつこすような強い衝動しょうどうられるがまま、分けも分からず了承りょうしょうしていた。

 電車は気づかぬうちに次の駅に到着し、ホーム上では発車のメロディがひびいている。

言質げんち取ったからね」

 彼女ははず音符おんぷのようなかわいいな声をかなでると、かろやかにホームへとった。

 みじかめのスカートがヒラっとそらに舞い、スクールバックがぐうんとえがくと、後ろで手を組んだ彼女が振り向いた。

 満面まんめんの笑みの彼女が「約束だよ」と言っていたような気がしたのは、まる扉のせいで最後までよく聞きとれなかったから。

 軽快けいかいうなりをげるモーター音、加速し始めるにれて吊り革もかすかにかたむいていく。

 僕はさっきまで久木がいた場所に寄りかかって、ドア上に表示された行き先案内を茫漠ぼうばくとした視界の内にとらえていた。

 いままでと変わらない、これからも変わらない普通を選んだはずなのに。

 久木と出会い、僕の普通は泡沫うたかたのようにパッと呆気あっけなく消えてしまった。

 雨の名残なごりが色く残ったほのあおい雲からそそぐ光の筋を、僕はぼやけて流れゆく雑居ビルの隙間から眺めていた。

 雨はんでいた。

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