第1話
「ねぇ、爽太君。」
音に想いが込められたなら、その音は色付いて見えると聞いたことがあった。
楽しい音はオレンジ色、悲しい音なら紺色、怒る音が赤色で、優しい音ならピンク色。
音と心が共鳴し、心に秘めた感情の色が浮かび上がってくると。
全部、澄香から教えてもらったこと。
なら僕は、初めて話すこの子に何を感じているのだろう。
「なんでみんなと同じ普通の青春を求めているの?」
吹き荒ぶ春風で舞う桜吹雪の様に、
彼女を知ったのは長針をぐるっと一周巻き戻すこと一時間前、このクラスで行われた高校初の自己紹介であった。
「××中学から来ました
社交辞令で一礼した身体を起こすと、見慣れない教室の風景が
体裁を気にして伸ばしていた背筋は緩めず、この世界の調和を崩さぬようゆったりと自席に戻った。自己紹介は予定通りの凡退に終わらせ、丸めた背中で一仕事終えた後の深い吐息を吐く。
マジで澄香が居なくて助かった。
ついでに本音も漏れた。こんな平凡な自己紹介をすみが聞いていたなら、
なにこれ?、えぇ....ホントありえないんだけど、やっぱ青春不適合者だよね...
など散々な苦言を帰り道で聞かされる羽目になっていた。脳裏で映像化された幼馴染は相も変わらずやっぱ毒舌で、想像上の姿に何故だかヒェッと身を
「初めまして、
女の子特有の柔らかな声を軽やかに響かせながら、彼女は新生活への期待と希望を包み隠さず口にしていた。話す時も終始周りに目線を配り、僕とも何度か目があった気もした。腰から身体を曲げた丁寧なお辞儀をすると、ふわりと
そんな彼女には計り知れない不思議な雰囲気があった。可愛げがあるとか、大人びているとか、人の魅力や性格的特徴から生じる
そして、久木未依の自己紹介は波風立つことなく終わりを迎えた。
一テンポ遅れて鳴った拍手は、拍子抜けなほどに空っぽで乾いていた。
それはクラスメイトが抱いた強い感情の数々、嫉妬や羨望、倦怠、高揚、虚無、希望、諦観.........の全てが視線となって教室内を錯綜したことで、感情の密度が高まり、教室が共有できる感情の最大量をパンクしていたことを表していた。
結果、久木未依というたった一人の女の子に、彼女を除く1年C組全員が呆気に取られる事態となった。
久木未依の自己紹介の後も予定通りに5、6人の自己紹介が行われたが、彼女の後では、単にどこにでもいる普通の高校生としか思えなく、名前すら曖昧にしか覚えてなかった。
ドアが閉められると、物静かな教室で黒い塊がモゾモゾと
厚い生地で仕立てられたブレザー越しに、
身体を
「ねぇ、爽太君。」
「なんでみんなと同じ普通の青春を求めているの?」
「……」
驚きで
「あれ、聞こえてなかったかな?」
彼女の声で現実に引き戻されると、そこは僕が居る1年C組の教室で、僕の姿勢はさっきまでと同じく後ろに振り向いたまま。
「......いや、バッチリ聞こえてた」
夢?妄想?幻覚?彼岸?一瞬の奇妙な体験はもう訪れそうになかった。直感がそう悟った。なら、過去は忘れ、
「じゃあ、聞かせてよ。爽太君がなぜ普通を求めるのかについて」
背もたれに
「なぜって言われてもねぇ....」
アドリブの自己紹介、雰囲気で話した何気ない言葉には、彼女の求めるような意味など勿論なかった。強いて言えば、今朝のすみに青春しろ!と
「普通って、みんなが持っているから普通なんだよね。でも、君はそんな普通を欲しがってる。そしたら、爽太君には普通を求める何か特別な理由でもあるんじゃないかなって?」
桃色の瞳は純粋以外を知らなくて、揺るぎのない視線が僕の発言に当然意味があると主張していた。だから意味なんて無いんだって、と衝動に駆られて飛び出しかけた邪険な言葉をぐっと押さえ付けた。彼女とは初対面で、しかもクラスメイト。あまりに
「普通がいいと言うより、普通でいいってだけ。みんな特別って言葉に目がない割には、特別扱いは案外嫌でしょ?」
結局、面倒が
「それは
「
「でしょ!やっぱ、爽太君の心は特別を欲しがっているんだよ。他人と違う、他人が羨む、そんな特別が。だからホントの本当に普通なんて求めてるのかなって、つい興味が湧いちゃって」
彼女はあざとく微笑んだ。柔らかな
久木未依は育ちが良くて、多分立派なお
だから彼女と僕とでは、世界の見え方が根本的に違うわけで。
朝起きて、学校に通い、授業を受けて、家に帰り、風呂に入って寝る。
ただただ平凡な毎日を求める一般人が彼女には珍しいのだ。
「ホントの本当に普通でいいんだけどね」
「えぇ〜、憧れない?屋上でお弁当を食べたいなぁって」
「多分入れないと思うけど?」
「不思議な部活に入部したくない?」
「一般的な運動部と文化部しかなかったような...」
「起きたら突然、身体が入れ替わっちゃたりとか?」
「思春期には刺激が強すぎるからそれは遠慮したいね」
「ずっと一緒にいる幼馴染と付き合いたいとかは?」
「......................随分と難しいこと言うね」
「あとは............」
「学校でアイドルでもやり始める?それとも、喋る動物と契約して魔法が使えるようになったりしたい?」
「アイドルやる時はよろしくね、プロデュース君?」
「やだよ」
プロデューサー役を拒否した僕を見て、ふふっと彼女は可笑しそうに微笑んだ。
「もしこんな高校生活送れたなら、絶対楽しいよ」
「実現できるといいね」と僕は作り込んだ笑顔で応えた。
「絶対実現するよ。そのために私はここにいるんだから」
彼女の瞳に秘められた意志の
「.........それはすごいね」
高校生デビューを成し遂げようとする本物JKのポジティブさに、軽く引いた。
そして彼女が何かを考え始めたかと思えば、
「やっぱ、爽太君には普通の青春を求めるだけの理由があるんじゃないかな?」と言った。
「だからないよ?」と僕は即答した。
「絶対あると思うんだけどなぁ、自分でも気づけていないだけで」
「じゃあ、その根拠は?」
彼女の視線が机に
「自己紹介で初めて見た時からなんとなくそんな感じがしてるんだよね......」
時々眉間に力を込めながら考え続けた末、彼女は僕の顔を見ることなく独り言のように呟いた。
「それ、本気?」
自分の声をどこか他人の耳で聞いている感覚が、僕にはあった。
「結構自信あったんだけどなぁ…実は爽太君は普通な高校生ではなかったりしない?」
丸い顔を更に丸ませ、
「まさか。この通りただの普通の高校一年生だって」
何をもってしたら彼女にとっての普通なのか、それはわからない。
ただ、僕は歯を見せて大きく笑いおどけた。
そして、僕が普通であることだけを彼女に伝えた。
「やっぱそうだよね」
「この学校にいる人、みんな普通だよ。それより久木さんはどうなの?色々楽しむって言ってみたいだけど、具体的にしたいことがもうあるわけ?」
「うん!まず今は.......」
振り回され続けた話の中心をようやく置き換えられた時、威勢よく回転する車輪の轟音が彼女の声に被さった。そこかしこで弾けていた会話も一斉に止み、クラス全員の目線が気怠けに戻ってきた担任に向く。担任は待たせたことを平謝りしながら、プリント数枚しか入ってないクリアファイルを抱えて教卓に戻った。入学式で身に付けていた外行きのジャケット、白いネクタイは外れ、第一ボタンを開けた開襟の白シャツに黒のスラックス姿と随分な軽装にお色直しもしている。
「........続きはまた後で」
肩を軽くした担任をぼんやりと追っていると、忍ぶ小さな声が耳元でささやかに聞こえた。
少し香った甘い香りは当分忘れられそうにない。
予報外の春一番に、心は大きく掻き乱された。
「なにあの子......」
机で突っ伏した僕はそう呟いていた。
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