第10話 予想外
こんな予想外の事態、一体誰が想定できたというのか。
我ながら完璧な笑みを顔に貼り付けたまま、内心では盛大に悲鳴をあげる。今、なにが起きているのか。鈍る思考をなんとか再開させようと必死に己を鼓舞する。ぎゅっと拳を握りしめる私は、なんとか平静を装うために必死であった。
そんな私を横目で確認した兄のローレンスは、「そんなに緊張する必要はない」とカラカラ笑いながらソファに再び腰を落ち着けた。どうやら私の緊張がピークに達したことが、このぎこちなさの原因であると理解したらしい。
「ほら、ふたりとも座って」
場違いに明るい声を出す兄は、どうにかこの婚約を成功させようと躍起になっている。可愛い妹の二度目の婚約を絶対に失敗させてはいけないという気概が伝わってくるようであった。
殿下を前にしても堂々たる態度を崩さない兄は、やはりラミレス公爵家の血筋を引いている。王族が相手だろうが無駄に腰を低くしない姿勢は、現公爵であるお父様にそっくりである。王族に従順な家臣の多いなか、遠慮のない意見をぶつけるラミレス公爵は、政でも重宝されている。そんな未来の公爵たる片鱗を見せる兄に、殿下が僅かに口元を緩めた。
一切表舞台に顔を出さない第一王子が、どのような思想を有しているのか定かではない。しかしこの短いやり取りの中でも、無駄にへりくだらない兄の態度に好感を抱いたのがわかる。
バクバクする心臓を胸に抱えたまま、私は兄の隣に浅く腰掛ける。背筋をしゃんと伸ばして、とにかく舐められないようにと堂々たる態度を心がける。相手は王族であるが、私だってこの婚約話が順調に進めば、未来の王太子妃である。むやみにへりくだる必要はない。
にこりと綺麗な笑みを維持したまま、口は決して開かない。迂闊に声を出すと、ボロが出そうな気がする。
大丈夫。冒険者セレスのとき、私はきちんと男装している。髪型だって違うし、化粧も違う。服装に至っては似ても似つかない。それに、ほんの二、三言葉を交わしただけの冒険者の顔を、一国の王子が律儀に記憶しているはずがない。
クラークがこの場にいなくて、本当に助かった。
変装していた私と違い、クラークはクラークのままで冒険者登録をしていた。顔も名前も同じクラークが、この場で私の護衛として控えていれば、いくら私の男装が完璧であっても何事かを察するはずである。最悪の事態を回避できたことに、ひとまず安堵することにしよう。
今朝、「そんなに護衛はいらない。謀反を疑われたらどうする」と、真面目な顔で意味不明な発言をしてクラークたちの同行を却下した兄に、私は心底感謝していた。あの兄によるまったく理解できない謎思考に救われる未来が待っていたなんて。さすがは我が兄。野生の勘とも言うべき思いつきが、これまで何度も公爵家を救ってきたのだろう。
「殿下は、おいくつでしたっけ?」
なんとか私たちの仲を取り持とうと奮闘する兄の質問に、ルーファス殿下は嫌な顔ひとつせず「今年二十歳になりました」と応じている。穏やかな水面を連想させる澄んだ声である。こうして見ると、第二王子のジェラルド殿下に通じるものがある。
「そうでしたか。たしかジェラルド殿下が、セレスティアと同い年でしたっけ?」
「えぇ、そうなりますね」
ルーファス殿下の弟にあたるジェラルド殿下は、私と同じ十八歳。しかしあちらは既に婚約者がいる。仲睦まじいともっぱらの噂である。
きらきら輝く金髪を何気なく掻き上げて、ルーファス殿下が私を遠慮気味に見据える。その瞳が僅かに揺れたのを認識して、息を呑んだ。
「……どこかで、お会いしたことがありましたか?」
ぎこちなく発せられた問いかけに、自身の顔に貼り付けたままの笑みにヒビが入ったような気がした。
「さぁ? どうでしょうか」
控えめに首を傾げて、考え込むように頬に手を添えてみる。
まさか森で銀狼を巡って色々あったじゃないですか、なんて言えるわけがない。
言外に人違いでは? と告げてみるが、ここでまたもや何も知らない兄が口を開いた。
「どこかのパーティーで遠目から見かけたのでは?」
良くも悪くも、私たちはお互いに有名である。会話は初めてでも、どこかでそうと知らずにすれ違っていてもおかしくはない。そう勝手に納得する兄に、ルーファス殿下もつられて「そうですね」と柔らかく微笑む。それに兄の関心は、私たちの過去ではなく未来にあった。
少々前のめりになった兄が、そわそわと落ち着きのない視線で、無言で問いかけてくる。
幻とまで言われた第一王子である。もっと偏屈で手に負えない様子を想像していた私と兄は、意外にも普通なルーファス殿下を前にして、こっそり安堵したのは事実である。
隠れて冒険者をやっているらしいという点は気になるが、私も同じことをやっている身である。そこを責めるつもりはないし、そもそもセレスティアである私が殿下の隠れた冒険者業に言及するのはおかしい。
表面的に見れば、今回の顔合わせには何も問題はない。むしろ大成功と言ってもいいくらいだ。
口数少ない私のことを、兄が励ますように軽く肩を叩いてきた。頑張れと口パクで言われた。
そうだ。私の本日の目的は、新しい婚約者となるルーファス殿下との顔合わせを無事に終了させること。
「ルーファス殿下」
遠慮気味に声をかけると、向かいに座っていた殿下が目元を緩めた。恥じらうように、頬に手を添えてそっと目を伏せてみる。
「セレスティアと申します。本日は、このような素敵な場を設けていただきありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。お会いできて嬉しいですよ」
どうぞよろしくと微笑まれて、本日の目的が無事に達成されたことがわかる。隣で見守っていた兄が、小さく喜んでいたのを私は見逃さなかった。
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