第9話 ご対面
どこか疑うような眼差しで私をまじまじ観察したブライアンは、「じゃあ俺は奥へ行くから」と唐突に会話を打ち切ってから去ってしまった。
単独で森の奥へと進んで、無傷で帰宅できるだけの技量があるらしい。あの魔力量である。やはり相当魔法の使い方がうまいらしい。彼の姿が完全に見えなくなってから、クラークが額を押さえて苦い顔をした。
「お嬢様。彼にはあまり関わらない方がよろしいのでは?」
「……うん。そうだね」
クラークもブライアンのことを警戒しているようだ。先程の「落ち着く」発言が、それを加速させたのだろう。今はまだ「知らない」で誤魔化せる段階だが、この先も交流を持てばそのうち私の特異体質に気がつく可能性がある。別にそれがバレるだけなら問題はないのだが、私が懸念しているのは冒険者セレスとラミレス公爵家のセレスティアが結びつくことである。家族にも内緒で冒険者なんてやっているのだ。念には念を入れて、細心の注意を払う必要がある。
ラミレス公爵家の長女セレスティアが他人の魔力を吸収してしまう体質だということは、もはや周知の事実となっている。セレスティアに出会ったことはなくても、セレスティアが魔力吸収体質だと知っている者は大勢いるに違いない。
ブライアンが私の魔力吸収体質を知って、セレスティアと結びつける可能性は皆無ではない。一応男装はしているが、完璧でもない自覚はある。
「まぁ、たまたますれ違っただけだしね。たぶん大丈夫だよ」
銀狼を巡って知り合っただけで、まだまだ冒険者セレスとブライアンは赤の他人といった状態だろう。もうこの先、積極的に会うことはない。
もともと冒険者は馴れ合いをあまり好まない。いい狩場は基本独占するものだし、冒険者にとって命とも言える狩場や獲物に関する情報を軽々しく他人に教えたりはしない。
だから大丈夫と胸を張って宣言する私に、クラークは疑いの目を向けてくる。けれども私が冒険者業をやるときは、もれなくクラークも一緒である。なのでそこまで心配する必要はないと判断したのだろう。苦い顔で「お願いしますよ」と言われてしまった。
しかし、このブライアンとの関わりを持たないという私の宣言は、早々に打ち砕かれることになった。
※※※
「なんか緊張してきたかもしれない」
「えっ」
馬車の中、小窓の外を覗きながらボソッと呟いた私に、同乗していたアビーがオロオロと周囲を見渡す。
「え、えっと。大丈夫ですよ、お嬢様! 相手がどなたであろうとお嬢様のやることに変わりはありませんから」
「それもそうね」
必死に緊張を解そうとしてくれるアビーに、知らず知らずのうちに笑みがこぼれた。大丈夫。本日はとりあえず第一王子との顔合わせさえすればミッションはクリア。どちらの家も、まさか初対面時に仲良くなることまでは要求していないはず。争うことなく、ただただ平和的に互いの顔を見るだけで大丈夫。そう己に言い聞かせて、乱れてもいない髪を触る。
いよいよ迎えた第一王子との顔合わせの日。
この日にために入念な準備も行われた。ラミレス公爵家みんなの思いを背負っている私は、絶対に失敗するわけにはいかなかった。リチャードとの婚約に引き続き、この婚約までダメになってしまった日には、私の立場がない。そんな重圧が両肩にのしかかっていることに今更ながら怖気付いた私は、こっそりため息を吐く。
大丈夫よ、私。
王宮には何度も足を運んでいる。第二王子のジェラルド殿下とは既に何度も顔を合わせている。幻とまで言われる第一王子に代わり、表舞台には大抵ジェラルド殿下が姿を現すのだ。人当たりのいい笑みが特徴的な好青年。どんな場でもうまく立ち回り、無闇に敵を作らない穏やかな姿勢が好感を抱かれる。
王族とも近い貴族の中には、ジェラルド殿下こそが未来の国王陛下になるべきだと主張する者さえいる。
そこへあがった今回の婚約話。社交界では既に注目のまとになっていることは想像に容易い。なんせ存在を疑われている王子様と、先日婚約破棄にあった私である。注目しない方が無理というものである。
馬車がゆっくりと停車して、目的地の王宮に到着したことがわかる。アビー以外の人がいない車内にて、私は最後に大きく深呼吸をする。
「……よし! 行くわよ」
「はい! お嬢様!」
別の馬車に乗っていた兄のローレンスが扉を開けた。アビーを引き連れて降り立った私は、こっそり気合を入れる。
「大丈夫。今日はとりあえず喧嘩さえしなければ大丈夫」
「……なぜ喧嘩する可能性を視野に入れているんだ」
ぶつぶつ呟く私に、兄が冷静な突っ込みをしてくる。私の背中に手を添えて「私が話を進めるから。セレスティアは黙っていても大丈夫だ」と微笑む兄は、兄なりに私の緊張を解そうとしてくれているらしい。
「さすがに挨拶くらいは自分でしますのでご心配なく」
いつもの調子を取り戻して口元を緩めると、兄も「そうか」と安堵したように頷いた。
案内されたのは、王宮の中でもあまり人の立ち入らない奥まった場所であった。王族のプライベートな空間に足を踏み入れるのは、さすがの私も初めてである。未知の空間にキョロキョロしたくなるのを必死に堪えて、すまし顔で兄に続く。
同行しているのは必要最低限の護衛や侍女のみ。いつも私の護衛を務めているクラークは、本日は留守番である。代わりに兄ローレンスの護衛騎士たちが同行している。
案内役にしばし待てと言われたので、広い応接室のソファで腰掛けて待つ。王族の名に恥じない豪華な内装の施された部屋は、私の緊張を加速させるのに一役買った。バクバクと音を立てる心臓を悟られないように、まだ必要もないのににこりと表面的な笑みを浮かべておく。
隣に座った兄は、腕を組んで遠慮なく室内を見渡していた。兄は、こういう場面であまり緊張をしないタイプの人間であった。今はその鋼の心臓が心底羨ましい。
「お兄様。あまりキョロキョロしないでください」
「なぜ? あ、あれ見てみろ。同じような壺が廊下の途中にも飾ってあったな」
「……」
壺とかどうでもよくない?
意味不明な感心を続ける兄は、ちらちらと時計や窓の外に視線をやっては「殿下はまだか?」と何度も眉を寄せている。
やはり公爵家の跡継ぎともなれば、ここまで図々しくないと務まらないのだろうか。そんな現実逃避をしていると、重厚な扉がコンコンと規則正しくノックされた。
「ようやく来たか」
偉そうにソファでふんぞり返る兄とは対照的に、私の緊張はピークに達した。
咄嗟に立ち上がって出迎える私は、そっと目を伏せて夫となるべき人からの言葉を待つ。遅れて立ち上がった兄が「どうも、殿下」と非常に気の抜ける挨拶を口にするのをぼんやり聞いていた。
カツカツと靴音を響かせて、目の前に人が立った。
「……顔をあげてくれないか」
静かな声音に、なんだか聞き覚えのあるような気がする。内心で首を捻りつつ、顔を上げる。そこで初めて私は眼前に立つ人物の顔を視界に入れた。
「……っ!」
咄嗟に悲鳴を飲み込んだことを、誰か褒めてほしい。
しかし長年一緒に暮らしている兄には、なにかが伝わったらしい。「どうした。セレスティア」と訝しむように問われて、頬の引きつりを抑え込むのに苦労した。
ひと目で上等とわかる衣服に身を包んだ男は、緩くウェーブした金髪を惜しげもなく晒している。太陽の下において、それは余計にきらきらと輝くことを私は知っている。
王子様という呼称がピッタリの男は、私の姿を認めてふわりと微笑んだ。
「初めまして。ルーファスと言います。本日はお会いできて光栄です。セレスティア」
丁寧な対応をするルーファス殿下からは、少なくとも私に対する悪意は感じられない。むしろ積極的に仲良くしようといった空気を察知して、息を呑む。
どこぞの貴族みたいだと思ってはいたのだが。
一体誰が、たまたま森で出会った冒険者の男が、幻とまで言われる第一王子その人であると予想できるというのか。
にこやかに握手を求めてくるルーファス殿下は、間違いなく私にブライアンと名乗ってみせたあの冒険者であった。
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