第13話 詮索




 海律主ルヴァルへの報告を保留したレネウスは、「動かぬ証拠」を掴むため、カイエルの監視を強化していた。

 海神の使いである彼は、海神界からの正式な許可がない限り長時間の陸上活動はできない。

 そのためレネウスは海の近くの視認できる場所から、水鏡や潮の流れを使ってカイエルの日常を執拗に追った。


 夕暮れ、潮騒が赤い光を含んで寄せては返していた。

 村の喧騒はすでに遠く、カイエルはぼんやりと海岸線を歩いていた。

 心ここにあらずの足取りだったが、彼の耳にだけ届く気配が水面から立ち上った。


 ――レネウス……


 レネウスは海の中からカイエルに合図を送った。

 海神も死神と同様、普通の人間には見えない。

 なので、レネウスの姿が見えたのはその場でカイエルのみ。

 カイエルには、それが自分を呼ぶものだとすぐに分かった。


 「……またか」


 カイエルはうんざりしていた。

 先日会ったばかりなのに。

 普通ならもうしばらく顔を合わせる理由はないはずだ。

 だが、彼がわざわざ呼ぶということは良い話ではない、と直感していた。


 カイエルは小さくため息をつき、人気のない岩場へ向かった。

 向かう間、カイエルは何の用なのかとレネウスを警戒する。


 そんな緊張を見せないように、カイエルはレネウスに話しかけた。

 

 「この前話したばっかりじゃん。何の用?」


 わざと面倒臭そうに声を投げる。

 カイエルは内心の焦りを隠すために、あえて面倒くさそうな態度を装った。

 普段の彼らしい諦観に満ちた無気力さを演じることで、レネウスの関心から逃れようとした。


 レネウスの瞳は波間を凍らせるように冷たい。


 「やはりお前の様子は、この前見たときからおかしい。こちらの質問に答えてもらうぞ」


 その一言でカイエルの背筋が凍った。


 ――もしかして気づかれた……?


 そう思った瞬間、カイエルの呼吸が一瞬浅くなる。


 「……おかしくないのに」


 カイエルの声は不覚にも少し震えた。

 レネウスの鋭い視線は、まるで皮膚の下の心臓の鼓動まで聴き取ろうとしているかのように重い。

 心当たりのあるカイエルは冷や汗をかきながらも、懸命に平静を装う。


 「先に言っておくが、嘘をついたら……お前が思っているよりも大事になると思え」


 その低い声音に、カイエルは目をわずかに見開いた。

 全身から血が引いていくのを感じる。

 もともと「適当に嘘をついてやり過ごそう」と思っていた。


 だが――――……その道は塞がれた。


 もしレネウスがアシュレイザルと密会している事を知っていたら、嘘をついたら大変な事になる。

 それ以上に、首に他の死神の呪印があるのを知っていたら……


 それを考えるとカイエルは不安で胸が押しつぶされそうになった。


 返答に詰まる。

 何を言っても誤魔化せない気がした。

 レネウスの眼光は、魂の奥底まで射抜いてくる。


 沈黙に耐えきれず、カイエルはぽつりと漏らした。


 「……言いたくない」


 その言葉は自分でも意外だった。

 けれど、誤魔化そうとすればするほど嘘が透けてしまう。


 それなら……いっそ、少しだけ真実を混ぜた言い方の方がまだ逃げ道はあるかもしれない。


 カイエルは自分に言い聞かせ、勇気を振り絞った。


 「僕は……今、結構大変な状態なんだって。でも、それは僕の友達が助けてくれるって言ってたから……少し待ってよ」


 そう言い終わった後、心臓が物凄く早く脈打ってることに気づく。

 レネウスに“友達”という言葉でアシュレイザルを覆い隠した。

 本当のことは言っていない。

 だが完全な嘘でもない。


 レネウスの目が細くなる。

 鋭いナイフのような視線だった。

 その眼差しに晒されると、言葉の一つ一つが試されている気がする。


 ――やっぱり気づかれてる。全部知られてるのかも


 そんな不安が胸を締め付けた。


 「その“”に解決できることなのか?」


 冷ややかな声でレネウスはカイエルに問う。


 「必ずしてくれる」


 カイエルは迷わず言い切った。

 それは信じたい気持ちであり、祈りであり、何よりアシュレイザルを守るための宣言でもあった。


 しかし、その自信を含んだ表情にレネウスはさらに詰め寄った。


 「いつまでに?」


 いつまでなのかと問われると明確には返答できない。

 アシュレイザルはヴェルナーとの取引の中で動いているはずだが、正確な日時は知らない。


 カイエルはその問いに戸惑い、瞳を揺らした。


 「それは……分からないけど」


 レネウスはその「分からない」という言葉が、「海律」においては「無責任」であり「許されない」ことを知っていた。


 「分からないで済む話ではない」


 レネウスの声は一層低く、重く沈む。


 「悠長にしてはいられない。その“”によく言っておけ。“約束を違えたら大事おおごとになる”と」


 突きつけられたその言葉に、カイエルの呼吸が止まった。


 ――もし“約束を違えたら”――――


 その意味は、簡単に想像できる。

 もしアシュレイザルが助けられなければ、海神の怒りに触れることになる。

 いや、それだけではない。

 死神と海神界の争いの大きな火種になる。


「ひと月待ってやろう。それでなんの成果もなければ覚悟しておけ」


 レネウスはそれ以上何も言わなかった。

 冷ややかに視線を投げ、波の揺らめきと共にその姿を溶かしていく。

 潮の匂いと共に気配が遠ざかり、やがて海の気配すら残さずに消えた。


 ――アシュ……どうしよう…… 


 カイエルはその場に立ち尽くした。

 膝がかすかに震え、血の気が引いていく。

 吐き気に似た感覚が喉をこみ上げ、指先は冷え切っていた。


 不安が全身を支配する。

 アシュレイザルの言葉を信じたい。

 必ず助けてくれると。


 ――でも……もし、それが叶わなかったら……


 自分だけの問題ではない。

 海神と死神界の争いに繋がるかもしれない。

 その中心に自分がいる。


 震える視線は、レネウスが消えて行った方角へと向いた。

 どれだけ見つめても、そこにはもう冷たい海神の気配すら残っていない。


 胸を締め付ける不安は消えるどころか、じわじわと広がっていった。



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