第5話 義父の打診
カイエルとの会話を終え、アシュレイザルは夜気を吸い込むように深く息をついた。
まだ彼の言葉が胸の奥で反響していた。
──「友達になってよ」
死神にとって無意味な願い。
それでもその言葉が耳から離れない。
カイエルの生きた孤独を見て、感情が揺らぐ。
死者の孤独は仕事柄見慣れている。
孤独の死者は未練を残し、来世などという幻想に縛られている事が多い。
だが、生きているカイエルの希死念慮と孤独を前に色々と考えてしまう。
不老不死であるならそれを享受してもっと楽しく生きる事もできるはずだ。
海神の言っていた通り、不老不死を喉から手が出るほど求めている人間は多い。
傷つかない身体、病気にならない身体、老いない身体。
それをもっと貪欲に享受すれば、国をも動かせる偉業を成し遂げられる存在であるにも関わらず、カイエルが望む物は他の何物でもなく「死」だ。
誰しも死を逃れたいと思っているにも関わらず、贅沢な悩みだと感じる。
それを考えるとアシュレイザルは複雑な気持ちになった。
──死神は揺らぐな
己に言い聞かせるようにして、アシュレイザルは死神界へと戻った。
***
自宅へ戻ると、そこに普段はいない者がいた。
背筋を伸ばし、黒衣を纏った壮年の男。
銀灰の髪と冷徹な瞳。
その存在だけで周囲を圧倒する圧がある。
それはマグナリオ・グレイヴ。
死神界の最高審問官であり、アシュレイザルにとっては義父でもある。
「……!」
義父を見た瞬間にアシュレイザルの胸に瞬時に緊張が走った。
普段、彼は職務に没頭してほとんど家に戻らない。
死神界の邸宅は、アシュレイザルの義父である最高審問官マグナリオの住居も兼ねていたが、マグナリオがここにいることは稀だった。
完璧な死神に休息は不要。
マグナリオもその例に漏れず、何百年にわたり休まず職務をこなしてきた。
彼は常に最高審問官の庁舎に詰めており、この家はアシュレイザルの私的な空間と化していたはずだ。
広間の中央、黒曜石のテーブルの傍にマグナリオは座っていた。
彼の銀灰の長髪は完璧に整えられ、そのルビーの瞳は一切の感情を宿さず、静かにアシュレイザルを見据えた。
彼はその場にいるだけで、死神界の絶対的な秩序を体現しているかのようだった。
アシュレイザルはマグナリオを見て、知らず知らずのうちに背筋が伸びるのを感じた。
「何を緊張している」
低く、重い声が空気を揺らした。
アシュレイザルは返答に窮する。
心臓が早鐘を打ち、思考が一瞬凍りつく。
「私に隠し事でもあるのか」
射抜くような眼差しでマグナリオは息子の内奥を見透かすように言った。
アシュレイザルは瞬きを一度だけし、心を落ち着けて口を開いた。
「隠し事などない。……ただ、珍しく家にいたから、何かあったのかと思っただけだ」
言葉は抑制されていたが、声の端に微かな硬さが滲んでいた。
「そうか」
マグナリオはそれ以上詮索せず、視線を外した。
姿勢は崩さず、威圧感も消さない。
久々に見る義父にアシュレイザルはどうしたらいいのか分からず、暫く沈黙が続く。
そんなマグナリオを横目に、アシュレイザルが自室に向かおうとしたところ沈黙を破ってマグナリオは口を開いた。
「私もそろそろ後継者を選ばねばならん。……だからお前の様子を見に来た」
「……!」
その一言に、アシュレイザルの心臓が跳ねた。
後継者──――……最高審問官という絶対的な座を継ぐ者。
死神界と人間界の秩序を監視し、裁き、揺るぎない規範となる存在。
――本当に自分が、その候補として見られているのか?
胸に走るのは畏怖か、あるいは喜びか判別できない。
「私は審問官に興味がない」
アシュレイザルは吐き出すように言葉を零した。
感情を悟られぬよう冷たく言い放つ。
マグナリオは眉ひとつ動かさない。
淡々とした口調で言葉を継ぐ。
「お前が興味を持とうが持つまいが関係ない」
その響きは鉄のように硬い。
アシュレイザルは拳を握りしめる。
自分には不相応だという思いが先行し、快諾できないアシュレイザルは話を逸らそうとした。
「……ヴェルナーの方が相応しいだろう」
同期の名を投げやりに口にすると、マグナリオの視線が鋭さを増した。
「完全な死神は感情を持たない─――─それはただの固定概念に過ぎん」
「……なに?」
予想外の言葉にアシュレイザルの心が揺れる。
今まで義父が一貫して叩き込んできた教えと矛盾していたからだ。
「私のやり方が常に最善かどうかは、見方が変われば変わる。……まずは補佐官から始めるというのはどうだ」
提案。
いや、事実上の打診。
補佐官は最高審問官を直接補佐し、内部に深く関わる立場。
基本的には現場の死神を統括する立場であり、余程の事がなければ人間界に行くことはない。
それは今のアシュレイザルにとって不都合であることであった。
現場の仕事でなくなれば、カイエルの事を調べることができない。
内部から調べることができるようになるかもしれないが、カイエルの「友達になってよ」という要望は果たされない。
死神と人間が友達など、それがどれだけ馬鹿馬鹿しい事なのか理解はしているが、それを思い出すとアシュレイザルは即決できなかった。
それに、自分が補佐官などに就けば必ず「
義父が最高位である以上、避けられぬ批難だ。
アシュレイザルは視線を逸らし、短く答える。
「……贔屓と言われるだろう。気は進まない」
「私は贔屓などしていない」
マグナリオの声がわずかに低くなる。
冷気を孕むような威圧感が、部屋の空気を支配した。
「私の目が曇っているとでも言いたいのか」
アシュレイザルの背筋に冷汗が滲む。
最高審問官の義父の「目」を疑うなど、死神界では冒涜に等しい。
「今までは感情を持つなと叩き込んできたのに、どんな風の吹き回しだ」
あえて疑問を投げ返す。
するとマグナリオは初めて目を細め、静かに吐息を漏らした。
「時代によって秩序は変わる。……私の考えは古くなったのかもしれん。なら既存の概念を見直さねばならない」
声は淡々としていたが、長きにわたり「完璧」を背負い続けた男の影が垣間見えた気がした。
「ただし、感情を持つことと、それに振り回されることは別だ。大抵はろくなことにならん」
「自分で言うのも
再びマグナリオは口を開く。
「ヴェルナーは優秀だが、あまりにも私の考えに忠実すぎる。典型的な完璧な死神だ。それではこの先通用しなくなるのかもしれん」
それだけ言い残し、マグナリオは椅子から立ち上がった。
黒衣の背が扉へと向かい、手をかける。
「前向きに考えておけ」
短い言葉を残してマグナリオは静かに家を出て行った。
残されたアシュレイザルは部屋の中央に立ち尽くしたまま動けなかった。
かなり複雑な気持ちでこの感情を説明できない。
義父が少なからず自分を認めているという事は理解できた。
最高審問官が直々に補佐官に指名するなど、余程の実績がなければない事だ。
本来であれば明らかに育ての親であるから贔屓していると考えるのが自然。
だが、近くで観てきたアシュレイザルが一番マグナリオの冷徹さを知っていた。
育てた子だからという贔屓でそんな重要な判断をするような性格ではなかった。
しかし、嬉しいという気持ちよりも不安という気持ちが先行する。
もしヴェルナーが同じ話を受けたらすぐさま快諾するだろう。
アシュレイザルは暫く立ったまま考えに耽っていた。
答えは出ない。
ただ、滅多に自分を評価しない義父が自分に「役割」を与えようとした。
その事実が嬉しかったのもまた確かだった。
カイエルの件に片が付いたら補佐官の仕事に挑戦してみてもいいのかもしれないとアシュレイザルはマグナリオの言う通り、前向きに考えることにした。
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