第4話 幼馴染
アシュレイザルとカイエルが人目を忍んで話をしている中、静寂を破る微かな音が、アシュレイザルの鋭敏な聴覚を捉えた。
──誰かくる
足音、そして木々の葉が擦れる音。
死神であるアシュレイザルは、この世界に生きる人間の気配を容易に感知できた。
その気配は明らかに二人へと近づいてきている。
アシュレイザルは即座に表情を引き締め、口元に指を当てて黙るようカイエルに指示した。
カイエルもすぐにその意図を察し、笑顔を消して真剣な顔つきに戻る。
アシュレイザルは黙し、カイエルにその場を委ねた。
しばらくして一人の青年が息を切らしながら姿を現した。
褐色の肌に黒い髪、引き締まった身体を持つ健康的な印象の青年だ。
「こんなところで何してるんだよ、探したよカイエル。ご飯の時間になっても帰ってこないから心配したんだ」
現れたのはカイエルの幼馴染であるセリオン・ヴァレイン。
彼の声は人懐こく爽やかで、心配の色が濃く滲んでいた。
「ごめんごめん。ちょっと山菜とか探してたんだ」
カイエルは慌てて笑顔を作り言い訳をする。
彼の演技は自然だったが、アシュレイザルは彼の声の裏に潜むわずかな動揺を見逃さなかった。
「こんな遅くに?」
「今日は月明かりが明るいからさ。それより今日のご飯何?」
カイエルは話題を逸らすと同時に、アシュレイザルに目くばせしながら指で合図してついてくるように指示する。
アシュレイザルは無言で頷き、彼らの後を追った。
「また村の人に何かされてるのかと思って心配したよ」
セリオンの口から出た言葉に、アシュレイザルは違和感を感じた。
――「また何かされている」とはどういう意味だ?
カイエルが不死者であることで村の誰かに恐れられたり、何か危害を加えられたりしているのだろうか。
「心配しすぎだよ」
カイエルは何でもないように言うが、セリオンはかなりカイエルを心配しているのが見て取れた。
セリオンの表情には深い不安と、カイエルを守ろうとする強い意志が浮かんでいた。
「カイエルが気にしてなくても、俺が気にする」
「セリオンはお人よしだなぁ」
カイエルは笑っているが、その瞳の奥には影が差していた。
セリオンはそんなカイエルを見てさらに不安そうな表情を深める。
アシュレイザルは、彼らの人間味あふれる純粋な感情のやり取りをただ黙って聞いているしかできなかった。
感情を持たないように強く教育されている自分にとって、それは異質な光景だった。
笑顔のカイエルや心配そうにするセリオンに対して、アシュレイザルは複雑な気持ちになり様々な事が頭の中を逡巡する。
カイエルは不死であることによって、海神側だけでなく人間側でも様々な問題を抱えている様子だった。
アシュレイザルは、カイエルと共に静かに村へと同行した。
カイエルの住んでいる家は村の端にあり、小さなボロボロの家だった。
この小さな家で質素にセリオンとカイエルは住んでいるらしい。
中ではセリオンが準備してくれた温かい夕食が待っていた。
アシュレイザルは死神であり食事は必要ないが、食卓から漂う香りは彼にとって未知の感覚だった。
セリオンとカイエルは並んで座り、食事をしながら楽しそうに会話を交わす。
「この魚、今日俺が獲ってきたんだ。こっちの肉も。結構大物だろ?」
「うん、美味しいよ。セリオンの腕はどんどん上達するね。これならすぐに村一番の漁師になれるんじゃない?」
「そうか? お前にそう言ってもらえるなら嬉しいよ。お前が美味しく食べてくれるのが一番だ」
セリオンは嬉しそうに笑い、カイエルに魚の身を分け与えた。
カイエルは「そんなに食べきれないよ」と笑いながらそれを食べる。
カイエルは、まるで自分の悩みを全て忘れたかのようにセリオンとの会話を楽しんでいる。
その束の間の平和な表情を見て、アシュレイザルはなんだか胸がざわついた。
理由は分からない。
ただ、少し自分の日常とあまりにも違うカイエルとセリオンの様子を見ていて、漠然と違和感を覚えた。
その感情の名前をアシュレイザルは知らない。
食事を終え、セリオンは疲れていたのかすぐに深い眠りについた。
アシュレイザルとカイエルは、セリオンが完全に眠ったことを確認すると再び二人で外に出ることにした。
カイエルは静かに立ち上がると、再び人気のない茂みへとアシュレイザルを誘った。
夜の風が二人の服を優しく揺らす。
「待たせてごめんね、セリオンは僕の幼馴染なんだ」
カイエルは申し訳なさそうに言った。
「構わない」
「それと、これ」
カイエルは小皿に取り分けられた料理をアシュレイザルに差し出した。
「なんだ?」
「セリオンの料理美味しいんだよ。食べてみて」
笑顔でそう言うカイエルに、アシュレイザルは困惑した。
「……死神は人間のように飲食する必要はない。というよりは、生命の死骸の摂取は禁止されている」
「生命の死骸って……言い方」
「人間が無機物を見て食べ物に見えないように、私たち死神にはそれが食べ物に見えない」
淡々とカイエルにアシュレイザルが説明すると、またもやカイエルはスッ……と自分の身体をはだけさせた。
「僕の身体は美味しそうに見えるのに?」
カイエルはニヤリと笑って挑発しながらアシュレイザルに近づいた。
その白い肌と刻まれた呪印が、アシュレイザルの本能を激しく揺さぶる。
アシュレイザルは理性で衝動を断ち切り、カイエルの服を掴みしっかりカイエルに着せ直した。
「お前は私を破滅させたいのか。今度私を挑発したらもう二度とお前の元には現れない」
強い口調でアシュレイザルが言うと、カイエルは少しショックを受けたようにシュンと肩を落とした。
強く拒絶されると思わなかったカイエルはバツが悪そうにアシュレイザルに謝罪する。
「ごめん、そんな寂しい事言わないでよ。また僕のところに会いに来てアシュ」
急にしおらしくなったカイエルにアシュレイザルは違和感を覚える。
「私がいてもいなくてもどちらでもいいだろう。妙な事を言うな」
「そんなことないよ。だって僕、いつかはひとりになっちゃうから」
寂しそうにカイエルは自分の腕を抱きしめるように俯く。
彼の声は偽りではない切実な孤独を帯びていた。
「セリオンはこれからどんどん歳を取っていくのに、僕はこのままなんだ。いつかはセリオンは死んじゃうけど、僕は不死のままずっと生き続けることになるでしょ? だから死神のアシュに友達になってほしい」
――友達……? 死神と人間がか?
アシュレイザルはカイエルが何を言っているのか理解できなかった。
死神と人間が友人になるなど、死神界の常識ではあり得ないことだ。
「海神との会話を聞いていたが、世継ぎを作ればその不死は終わるのではないか」
「……」
アシュレイザルがそう言うと、カイエルの表情は暗くなり沈黙してしまった。
「僕はさ、そうやって親に捨てられたっぽいんだよね。自分が不死じゃなくなりたいから僕を作って、そのまま捨てられた」
「…………」
「僕もそうなるかもしれない。自分の不死を終わりにしたいからって子供作っても、僕の子供は幸せにならないでしょ。僕と同じ思いをするだけ。だから僕で終わらせたいんだ」
切実なそのカイエルの話を、アシュレイザルは黙って聞いていた。
彼の孤独と自己犠牲の精神がアシュレイザルの気持ちを激しく揺さぶる。
「不死者ってさ、自然の法則を無視してるんだよね」
「どういうことだ?」
「例えば……」
カイエルは付近にあった手の平くらいの大きさの石を拾い上げて、それを思い切り自分のもう片方の腕に振り下ろした。
ガキンッ……!
本来であればカイエルの腕に大きな傷ができるところであったが、石の方が粉々になって砕けてしまった。
「僕の身体、傷がつかないんだよね。結構前、僕の事を気味悪がって蹴った人の脚の方が粉々になって、大騒ぎになっちゃった」
苦笑いしながらカイエルはそう言っていた。
カイエルの身体は傷ができない身体のようだ。
本来カイエルが受けて負傷するような衝撃を受けた場合、その衝撃がそのまま周りに跳ね返ってしまう様子。
「村の人は僕の事気味悪がって近寄ろうとしないけど、セリオンは唯一僕の味方でいてくれる。セリオンがいなくなったら……って思うとかなり不安。だからアシュ、友達になってよ」
「私がお前の友人になっても何の解決にもならない」
「そうだけど、友達になるくらいいいじゃん」
拗ねるようにカイエルは不満そうな表情をする。
返す言葉に困ったが、アシュレイザルは妥協案を提示した。
「お前が死を望むなら、私がお前の魂を刈り取ってやる」
その言葉にカイエルは一瞬明るい表情をしたが、すぐにいぶかしむような表情をした。
「……他の死神も同じような事言ってたよ」
「私はお前の生命力を利用したりしない。お前の生命力を恣意的に使う死神を暴き出し、お前の不死を解決できるように尽力しよう」
アシュレイザルは、これは死神としての責務だと自分に言い聞かせた。
「ふーん……でも、なんでそこまでしてくれるの?」
「私は完璧な死神になりたい。淡々と仕事をするだけだ。禁忌の存在を排除するのは死神として当然の事」
「…………アシュもやっぱり、人間の感情理解できないんだね」
呆れるカイエルの気持ちを、アシュレイザルは何を言っているのか理解できなかった。
アシュレイザルの言葉は真実であり、最善を尽くそうとしているだけだ。
なぜそれが「感情を理解していない」ことになるのか。
カイエルは、例え嘘でもアシュレイザルに「お前の為」と言ってほしかった。
そのカイエルの気持ちをいつかアシュレイザルが分かる日がくるのだろうか。
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