第4話 2回目の音大受験

 そして年が明け、2年目の挑戦が始まった。

 1月18日、センター試験1日目は早朝から雪が降った。

 今年は、幸いにも近くの試験会場だったので、まったく問題はなかった。

 夫が車で送って行き、夕方迎えに行って無事終了した。

 夜8時過ぎには模範解答が発表され、自己採点の結果、英語61%、国語58%という、またまた微妙な出来だった。

 それでも、楽器の練習をしながらの勉強で学力を維持し、少しではあるが現役当時より点数が上がったのだから努力は認められる。


 翌日、クラリネットのレッスンに行くと、今年は、先生が東京藝大の審査員に選ばれたということを聞いたらしい。

 もちろん、教え子である息子の審査には参加できないが、試験会場に自分を理解してくれている恩師が座っていてくれるだけで、どんなに心強いだろうか。


 2月中旬、4日間にわたって私立音大の試験が行われた。

 試験日程は、

  1日目 伴奏併せ

  2日目 専攻(クラリネット)実技

  3日 聴音、新山視唱

  4目目 副科ピアノ、英。国語、楽典

ということで、受験料55,000円を支払ったうえ、4日間、毎日自宅から100km近く離れた大学まで通わなければならない。

 しかも、この年、関東地方は数十年ぶりの大雪に見舞われ、交通機関の乱れも心配だった。

 しかし無理をしてでも行ける関東近県の者は、まだ良い方かもしれない。

 遠いところから受験に来る子などは、当然、最低4日間は東京に泊まり込みになる。楽器の練習ができる部屋という条件を考慮すると、日程が変更になったりすればたいへんな出費になる。

 ともかく、音大生にはいつもこの問題がつきまとう。

 つまり、楽器の練習ができなければならないということだ。

 管楽器の練習だけならカラオケ店という手もあるが、何を専攻したとしても、ピアノの試験は必ずあるから、所詮、ピアノ付きの練習室を借りない訳にはいかない。

 これは、入学してからも同じことで、 6畳1間の下宿なんて訳にはいかない。

「ピアノ付き」の部屋でなければならないので、運良く大学の寮に入れたとしても、家賃だけで1か月10万円以上はかかるのだ。


 2月24日、東京芸術大学音楽部の試験日程が発表され、クラリネットの受験者は38人と分かった。

 息子の受験番号は「36」だから、試験順は、27日の午後3時50分からと決定した。


 2月27日、第1日目の試験を迎えた。

 今回は、実家近くの駅まで送って、私たちは実家で待機することにした。

 駅まで車で送り、1人で歩いて行く息子の背中を見ながら、私はこれまでの1年を振り返った。

 私にとっては、あっという間の1年だったような気がするが、彼にとっては、おそらく生涯で一番長い1年だっただろう。

「あ―っ、落ちたんだぁ……」と言ったあの日から、彼はどれくらい成長したのだろうか。

 くじけることも、めげることも無く、この日に向かって進み続けた。 

 無駄も余分もなく、完全燃焼し、完全に1年分の成長を遂げたと思う。

 そして今、一気にそれをスパークさせるべく、再びあの赤いブロックでできた狭き門へ向かって行った。

 私は車を発進させながら、この日まで無事に来れた安堵感で満たされていた。 

 しかし同時に、わずかな寂しさが芽生えつつあることにも気付いていた。


 試験を終え、午後5時半ころ駅に戻ってきた息子は、満足の行く出来だったらしく有頂天だった。

 聞いてもいないのに試験場のことや他の受験生のことを話したり、車のCDに合わせて歌ったりしていた。

 途中で夫と合流し、自宅近くのファミレスに寄った。

 席に着くと同時に、審査員をしていた先生から電話が入った。

 急いで外へ出て行った息子は、5分ほどして青い顔をして戻ってきた。

 私は、一目見てダメ出しされたのだと分かった。

 先生からの指摘は「音が散っていた、リードが悪かったのでないか」というものだったらしい。

 一番お気に入りのリードで、自分なりには最高の出来だったと思っていた息子は、大きく落ち込んだ。


 3月2日午後4時、第1日目の試験の結果発表が行われた。

 私たちは、当初見に行かないと言っていたが、先生の申し入れで、合格であった場合、午後5時からレッスンをしていただくことになり、息子と夫と私の3人で、藝大まで車で行くことにした。

 上野の芸大までは順調に行き、午後3時40分ころ到着した。

 駐車場がないため夫は車に残り、私と息子は2人で徒歩で大学へ向かった。

 私がここに来たのは、去年の試験発表のとき以来であり、校門が見えるころには、緊張はマックスに達していた。

 去年と同様、校門の外で待っていると、午後4時ちょうどに入場が許され、A3くらいの小さな紙が貼られた掲示場にたどりついた。

 この紙は小さいうえに、他楽器の発表も同時に張り出されるから、すぐには判読できない。

「えっ、どこ、どこ?」

 私が探していると、息子が

「あった!」

 と言った。

 結局、38人のうち19人が予選を通過していた。

 去年が14/43だから、今年はかなり多いことになる。

 去年は、第2日目の試験で14が半分の7になり、最後は5人になった。その計算だと、今年は8~9人は合格しそうだが、ふたを開けなければ分からない。

 最初は、息子はここから電車で先生の家まで行くと言っていたが、雨も降っていたし、先生と話もしたかったので、車で送って行くことにした。


 約束の午後5時前には先生の家の近くの駅に到着し、先生と合流して私たちの車で先生の家に向かった。

 車中では、たいへん厳しい試験であったこと、教え子のもう1人は落ちたらしいこと、その子は息子が受験した私立音大に行くことになるが、そこにも、とても良い講師がいることなどを話してくれた。

 息子と先生を降ろすと、私と夫は近くのファミレスで待機した。

 この頃になると、予選通過の安堵感より2日目の試験への不安が大きく膨らみ、交互に様々な不安を口にした。

 レッスンが終わると、先生から、

  ・ 翌日午前中は自宅レッスン

  ・ 夕方から先生の家でレッスン

  ・ 当日は朝から先生の家で自習、その後、午後1時30分からの試験に向かう

というスーパーハードスケジュールが言い渡された。

 そのため、翌日の夜は、息子と二人で東京に近い私の実家に泊まることにした。

 

 3月4日、午後1時30分から第2日目の試験が行われた。

 試験終了後、駅に戻ってきた息子は、ほとんどミス無く演奏できたらしく、晴れ晴れとした様子だった。

 夜、自宅に戻った頃、先生から電話が入り、音も良く好印象だったと言われたらしい。

 ただし、合格かどうかはまったく分からない。


 3月7日午後4時、第2日目の試験の結果発表が行われた。

 今回は平日ということで、息子と私の2人で電車に乗って行った。

 道すがら話したのは、「やるだけやったから、もう落ちても良い」という話ばかりだった。

 落ちても私立音大に行けば良い。

 そこにはレッスンを受けている先生が知っている良い先生がいる。

 今年から新校舎に移るらしいから環境は最高だ。

 私立音大の方が自由度が高く息子には合っている。

 むしろ音楽をやるなら、藝大より私立音大の方が良い条件が整っている、等々。

 母子ともに防衛本能の塊になっていた。


 校門を通るときは前回以上に緊張した。

 全身がカチカチになり、言葉はほとんど出なかった。

 前回と同じように掲示場の前に行き、またあの粗末なA3用紙を凝視した。

「どこ? クラリネットどこ?」

「あった!」

「えっ、12人?」

 果たして「36番」はあった。

 私は全身が震えた。

 息子も今までに見たこともない顔で喜んだ。

 震える手でスマホをつかみ、夫に電話した。

 夫も職場で待ちわびていたらしく、声がうわずっていた。

 息子は先生にメールした。

 この時点で防衛本能は完全に解除されていた。

 しかし、12人とは多い。

 去年は、この時点で7人になっていたから5人も多いことになる。

 この後、バッサリと切られるのか、それとも8~9人くらい通すつもりなのか。

 まったく分からない。


 3月8日午前9時20分から最終試験が行われた。

 この日は、夫が職場関係の葬儀で私の実家近くの葬儀場へ行くことになったため、3人で車に乗り家を出た。

 駅で息子を降ろしたとき「よくぞここまでやって来た」という気持ちで胸が一杯になった。

 高校2年からの3年間、寒い日も、暑い日も、雨の日も、雪の日も、泣き言一つ言わずにレッスンに通った。

 地元では結構チヤホヤされていた息子も、東京ではほとんど褒められることは無く、レッスンのたびに叱られていたらしい。

 私たちには音楽の素養は一切無く、何のアドバイスもできない。だから、少しでも息子の支えになれればと、駅への送り迎えを欠かさなかった。 

 そして、帰りの車中で息子から仕上がり具合を聞くことで、自分たちのテンションを保とうとした。

「今日はどうだった?」「〇〇が上手いと言われた」という具合で、息子も私たちを動揺させないように気を使っていたのかもしれない。

 細い体でヒョコヒョコと歩いて行く息子の姿を見送りながら、こんなふうに駅で見送るのもこれが最後かもしれないなと思った。


 3月13日午後1時ちょうど、藝大の最終発表があり、息子は不合格だった。

 この日は私が付き添ったのだが、合格者は昨年と同じ7人だった。

 息子は分かりやすく落ち込み、家に帰り着くまでほとんど口を聞かなかった。

 ただ、車の中からお世話になった先生方には漏れなくメールをしていた。

 クラリネットの先生からは、励ましの言葉と、これ以上受験のためだけの音楽を続けるより、私立音大に行って自分の音楽を勉強した方が良い。そこにも素晴らしい教授や講師がいる云々うんぬんの長いメールが届いた。

 

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