第二話 音のない記憶、その名を呼ぶ
「議長! 天界会議が開かれるというのは本当ですか!」
列柱が円形に並ぶ会議場――〈エンクロス・サークル〉。
その神域には、古の音律――“天界創世の旋律”が刻まれていた。
風が吹けば、柱の隙間からかすかに音が漏れ、まるで神々の残した記憶が語りかけてくるかのように、音が場を満たしていく。
中央には七本の光柱が立ち、交差しながら光の環を形づくっていた。
それこそが、〈七柱の円環(エンクロス)〉――世界の均衡を司る七人の意志の象徴である。
すでに場には、議長・セレスティア・フェルネアと、彼女を囲む六人の審判者たちが定位置に座していた。
その静けさを破るように、ひとりの青年が駆け込んできた。
名は――シオン・エリアス。
会議の空気がわずかに揺れる。
集まる視線の中、シオンはまっすぐ正面へと歩を進めた。
「来ましたね。世界を見定める者――シオン・エリアス」
セレスティアの凛とした声が、空間を貫く。
その呼ばれ方に、シオンはわずかに眉をひそめたが、すぐにその感情を胸の奥に押し込め、黙して視線を落とす。
その小さな変化を見逃さなかったのは、入口付近に佇んでいた幼い容姿の少女だった。
「そんな顔をするものじゃないわ、シオン」
彼女の名は――ノクス。
見た目こそ幼く儚げだが、天界でもっとも神に近い存在、“神に愛されし者”の異名を持つ特異な天使である。
長い時を静かに生きるノクスは、感情に流されぬ観察者として、天界でも一目置かれる存在だった。
ノクスの微笑に一瞬だけ視線を向けたシオンは、何も言わず、中央の光柱へと歩を進める。
右手には、記録の守護者ヘイゼルと、長老格の賢者ドクトル。
左手には、論理を司るシャル、癒しのミア、そして冷徹なる断裁者トリス。
七柱の光柱が揃い、円環が静かに閉じる。
「――これより、天界会議を始めます」
セレスティアの宣言が、空間に響き渡った。
その瞬間、ノクスを除く六人の審判者が一斉に姿勢を正し、空気が張り詰めた。
やがて、長老・トリスが重々しく口を開いた。
「この五年――人間界〈ミュゼア〉の荒廃は、目を覆うものがある。
天地の柱ですら、その輪郭を失いつつある。
このままでは、天と地は再び交わり、混沌の闇世界が広がるであろう。
――ゆえに、判断が求められるのだ」
静かに、厳かに。
その言葉は、大理石の床に旋律のように刻まれていく。
シオンは目を閉じた。
トリスの言葉一つ一つを胸に刻みながら、意識は五年前へと沈んでいく――。
五年前、許されざる“堕ち”を犯して、シオンは地上に降りた。
天界の中で、シオンは常に“異物”として見られていた。
天使でありながら、どこか周囲との感覚が噛み合わない。
正統な役割も持たず、期待もされず、名前だけが与えられた存在。
「この空に、自分の居場所はない」
そう感じたとき、彼は衝動のまま、天界の掟を破り――地上〈ミュゼア〉へと降りた。
それが禁忌であることも知らずに。
しかし、その“選択”は世界に影を落とした。
当時、天界は崩れかけた「柱」の修復を急いでいたが、天上の禁忌が破られたことで、天と地の均衡は限界に達していた。
その結果――
父、ルシエル・エリアスが、「柱(エンクロス・ステイロス)」となることを選んだ。
その理由を、誰も語らなかった。
天界議会は「神意の選定」とだけ告げ、沈黙を貫いた。
父もまた、シオンに何も告げなかった。
ただ――「愛してるよ」。
そう、穏やかに微笑んで、境界へと消えていった。
それから五年。
シオンは天界へ連れ戻され、今なお問い続けている。
なぜ父は、自らを“代償”としたのか。
なぜ誰も、その真実を口にしようとしないのか。
そして、自分は――何のために生まれてきたのか。
天蓋のごとく広がる白の空間。
その中央に浮かぶ七座の椅子には、それぞれ異なる輝きを放つ者たちが座していた。
「では、改めて問う。世界を見定める者として、シオン・エリアスを地上に遣わすべきか否か」
円環の筆頭であるセレスティア・フェルネアが、緩やかに声を響かせる。
「我々の柱は失われた。ルシエルの選びが神意であるということに異論はないが……その代償は、未だ我らの手中にあるとは言い難い」
隣席の冷徹なトリスが語気を強める。
「シオンの存在自体がすでに禁忌だ。五年前、無許可で地上に降り、あの断絶の隙間を生んだのだぞ。地に降ろすなど、危うすぎる!」
「……だが、ルシエルとシオンは戻ってきた」
静かに語ったのは、最年少の審判者――ノクスだった。
「彼はまだ、何も語っていない。自らの罪も、選びも。そして父の遺志も」
「その未熟さを、今さら測ろうというのか? 我らの世界の柱を失ったというのに?」
論理の使い手――シャルが冷ややかに言葉を続ける。
「それでも、“観察する”しかあるまい。我らは、柱の代替を選ぶのではなく、“世界の形”を見極めなければならないのだ。神の沈黙は続いている」
セレスティアは静かに目を閉じ、そして宣言する。
「――ゆえに、シオン・エリアスに〈観察の使命〉を与える。期間は一ヶ月。
地上に降り、己が存在が天界と地上にとって“何を齎すか”を見定めよ」
「それが、シオンのもうひとつの選びとなる。
応じぬなら――その時は、永劫に天界より外へ出すことを禁じる」
一瞬、場に重苦しい静寂が落ちた。
“罰”でもなく、“恩赦”でもない。
ただ、世界の形を問うひとつの観察。
それが、シオンに与えられた、使命だった。
空から落ちた天使は、まだ音を奏でない 香月咲音 @sakine12
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。空から落ちた天使は、まだ音を奏でないの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます