不気味な看板

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不気味な看板

 私が25歳くらいの時でしたかね。

 私には父や母というものがなく祖父母によって育てられたものであの頃はとにかく祖父母に恩を返したくて必死に働いてたんです。



 ある日、私が住んでるアパートの近くの細い道に立っている電柱に看板が立て掛けられたんです。



『真相を教える。』



 そう書かれた不気味な看板です。


 最初はなんとも思っていなかったんです。

 でも、それから2日経った頃に残業した日があって。帰るのが遅くなってしまい、早く帰りたかった私は明るい大通りを使わずにショートカットできる薄暗い道を使って帰ったんです。


 曲がり角を曲がればアパートまで一本道となる道を通る時“それ“がありました。

 電柱に誰かが取り付けたライトに照らされた「真相を教える」と書かれた看板があったんです。

 誰もいない細くて薄暗い道、そこにポツンと照らされて立っている看板が不気味に見えてしょうがなかったんです。


 看板のある曲がり角をちょうど曲がればアパートまでは一本道なのに。


 とにかくそこで怖くなって足がすくんでしまったんです。



「恨みってのは薄れていっちまうんだよな。」



 その時にふと懐かしくも思い出したくない情景が思い浮かびました。


 いつも優しかった祖父がふと怖い目をしながらそう言った日があったんです。

 私は怖いものがあると必ずこの情景を思い浮かべてしまうんです。

 優しかった祖父が見せたあの表情を私は一種のトラウマとして捉えていたのだと思います。


 でも足がすくんだ私を助けてくれたのも祖父の言葉でした。


「怖い時は一歩進んでみろ。そしたらどうにでもなる。」


 私はこの言葉に後押しされて受ける大学を決めました。

 状況は違えどもその言葉は勇気をくれました。


 まぁ、いざ横を通ってみると結局そのまま何事もなく私は帰宅しました。


 でも帰宅してシャワーだけ浴びてアラームをセットして寝床についた時、あの看板を思い出しました。

 怖くなって祖父のあの言葉、あの目を思い出しました。

 考えてみるとあの言葉は誰に向けられたものだったのでしょうか。



「恨みってのは薄れていっちまうんだよな。」



 私を見ているようで私を見ていないような目でした。

 そもそも祖父は誰を恨んでいるのでしょうか。


 私を引き取ってくれていたのは祖父母は母型でした。

 私の親は不倫が原因で離婚したそうです。


 父親は蒸発。母は自殺したと就職を報告した時に教えられました。


 では祖父母が恨んでいるのは自殺させた父親だったのか。

 もちろんそれが一番しっくりくるのですが私はどこか違うように感じていました。




『そうだったか・・・。罪は重いぞ。』




 思考していると、また嫌な思い出を思い出しました。


 確かあれはずっと昔で物心なんて定着するよりも前のある日の夜のことでした。

 喉が渇いてベットから水を飲みに行こうとした時に祖父と祖母が一枚の紙を持ってそう呟いていたのを扉の隙間からこっそり眺めていたのを思い出しました。


 幼いながらに見た静かに怒り狂った祖父と祖母の目。「罪」という言葉。

 その全てが幼い私には鮮烈だったのです。


 そんな昔を思い出しながら私は眠気の渦に飲まれていきました。



「恨みってのは薄れていっちまうんだよな。」


 頭の中で静かに何度も反芻されて響きました。



「じゃあ。どうするの?」


 急に蘇りました。


 それだけで目が覚めてしまいそうなほど脳に電流が走ったようにも感じました。


 そうだ私はあの時そう聞き返したんだ。


 なぜこれまで忘れていたのかというほど鮮明に思い出しました。


 その後祖父はなんと返答したのか。なんと返答したのか。とにかくそれだけを私は思いました。


 あの時祖父は・・・。あの時祖父は・・・。あの時祖父は・・・。


 眠気とその思考が混ざっていきました。





「恨めしいものをそばに置いて忘れないようにするのさ」





 そうだ。それだ。

 祖父の反応を思い出してその日私は眠りに落ちました。





 翌日から私は普段どうり働き始めました。

 でも常に頭の片隅にはあの看板のことがありました。


 そしてほんの少しずつ不気味な看板は私の中で大きくなっていったのです。




「調べてみよう。」




 週末、私は看板を調べてみることにしました。

 翌週に26歳の誕生日を迎える私にとって看板を放置しておくのは気持ち悪かったのです。


 正午を少し過ぎた頃でしたかね、私は看板の調査を始めました。




『真相を教える。』




 この文字が一瞬不気味に見えたものの、近づいてみれば大したことありませんでした。


 看板を舐め回すように隅々まで確認し自分の中の恐怖を払拭しようとしました。


 看板を注視しているととあることに気づきました。

『真相を教える』という文字は看板に直接貼られたものではなく、『真相を教える』と書いた紙を看板の上に貼っていることに。


 遊び心で置いたにしてはかなり手の込んだものだったのでそんな矛盾に違和感を覚えました。


 そしてずっと見ているとあることに気がつきました。看板に貼られた紙と看板の一部の間に凸があることに。


 気になった私はどうしても好奇心を抑えきれず、看板の紙を爪で引っ掻き破きました。



 中から白い封筒が一つ出てきました。



 その日は日差しが強かったのですがその日差しが暖かく感じるほど、私は鳥肌が立っていました。


 誰かに見られるかも分からずにただ待っていた封筒。

 これに看板に書かれていた「真相」が入っていることは直感で感じていました。



 封筒を家に持ち帰った私は“真相“をゆっくりと鋏を使って開けていきました。



 中に入っていたのは手紙でした。





 ____________


 真相を教える。




 全ての始まりは20年以上前。


「鈴木紗奈ちゃん殺害事件」


 全てはここから始まった。


 1990年


 当時5歳だった女児が殺された事件だ。


 犯人は鈴木家の隣に住んでいた小林家の家長である小林秀作。


 犯行動機は小林秀作の気の狂いと言われている。


 鈴木紗奈には母親がいなかった。

 鈴木家はいわゆる、シングルファザーの家だった。


 そんな環境もあってか小林家と鈴木家は頻繁に交流していた。


 そして小林家にも長男が誕生する。


 しかし、小林秀作の会社はアメリカとの貿易摩擦によって売り上げが落ちていていた。


 その頃から小林秀作は、うつ病のように精神が病んでいった。


 精神が病んだ小林は自分の息子が隣家のシングルファザーである鈴木と自分の妻の不倫でできた子だと疑い始めた。


 そして、何を思ったのか小林は鈴木家の自宅に入り、当時5歳の鈴木紗奈を殺害した。


 警察は小林を逮捕するも、小林はその後、獄中で首を吊って自殺した。


 というのが世間で言われている事件の概要だ。




 ここからは私たちの話をしよう。


 そしてこの事件の真相について。


 事件の後、小林家の妻は逃亡した。


 私たちは秀作の唯一の形見である取り残された当時2歳の息子を育てることを決めた。


 だがある日ふと思った。


 この子に息子の面影がないことに。


 私たちは恐れていた。


 もし本当にこの子が秀作の子供でなければ、秀作の形見などこの世に存在しないことになるということに。


 私たちは恐れていた。


 だが同時に確証が欲しかった。


 DNA鑑定をした。


 息子の形見などこの世に存在していなかった。


 紙切れ一枚がその残酷な真実を教えてくれていた。


 小林秀作の妻は不倫をしていた。


 その時理解した。小林秀作は、息子は鈴木紗奈を殺害していない。


 確証はない。だがそうだとわかった。


 精神を病んでいた息子は愛する妻に不倫され、殺人の濡れ衣を着せられた。それがショックで自殺したのだ。


 きっとそうなのだろうと。


 私たちは復讐すると決めた。


 幸い小さいこの子は何も知らない。


 この子の母親の両親を演じると決めた。


 これ以上、息子に泥を塗りたくないからだ。


 恨みをそばに置いて。


 息子が死んだ26歳にこの子を殺そうと。


 そうしているといつのまにか不思議と愛着が湧いた。


 情というものだ。


 恨みを消さぬようにそばに置いていたというのに。


 必ず殺す。


 それは変わらない。しかし、何も知らないのは可哀想だと思った。


 せめてなぜ死ぬのかだけ教えようと思う。




 分かったら死んでくれ。




 ____________



 寒気がした。


 分かっている。これが決して私に向けられたものだとは限らない。


 しかし、この手紙を書いた存在は母親の両親を演じたらしい。


 私の育ての存在は母親の両親。


『恨みをそばに置いて。』


『恨めしいものをそばに置いて忘れないようにするのさ』


 分からない。


 理解したくない。


 あの日祖父母が見ていた紙がDNA鑑定結果を示すものだったら。


『そうだったか・・・。罪は重いぞ。』


 嫌な汗が背中を伝った。


 分かっている。


 理解したくないだけだ。


 ふとよぎったあの看板。


 なぜ、看板に紙を貼っての内側に手紙を入れるなんてことをしたのだろうか。


 そうだ、看板の中の手紙を見つけた時、私は紙を破った。


 もし、私が犯人なら相手が真相を知ったかどうか確かめるならどうするだろうか。


 破れた『真相を教える』の紙。


 それは真相を知ったかどうか確認できる材料なのではないだろうか。


「ハァッ。ハァッ。」


 自分でも過呼吸になっているのが分かった。


 私はすぐに持てるだけの現金と通帳と、保険証など諸々を持って家を飛び出した。



 その日はカプセルホテルで一睡もせずに過ごした。


 翌日、テレビをみると私が生活していたアパートは焼失しており、放火犯として私の育ての親が捕まっていた。





















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