二 氏子の宿

 一週間あまり後。実際、その漁村を訪れてみると、そこには想像していた通りの景色広がっていた。


 季節は八月、夏真っ盛り。白い入道雲が浮かぶ青空の下、白んだ空気に古い瓦屋根の家々が軒を連ねている……ギラギラと照りつける日差しは強く、沖合から吹いてくる海風もなんだか生暖かいのだが、それでも風がある分、いくらか爽やかに感じる……。


 のんびりとした時間の流れる、そんなレトロでノスタルジー溢れる海辺の町を歩いていると、まるで異界へでも迷い込んだかのような、どこか心地良い不思議な感覚を味わうことができる。


 古びて老朽化しているとはいえ、思ったよりも家々の数は多く、しかも白漆の海鼠壁なまこかべのある、けっこう立派な建物ばかりが目につくが、古来、この村の住民達は独自の漁撈技術によって大漁を誇り、江戸時代までは豊かな漁村として栄えていたのだという。それが幕末、コロリ(※コレラ)の大流行を契機に衰退の一途をたどり、現在のようなうらぶれた寒村になってしまったという話らしい。


 そんな往時を偲ばせる町の目抜き通り沿いに建つ、一軒の唐破風の付いた旅館へと俺達は入る。その町に一軒しかない宿もマスミが探して予約してくれたものだ。


「遠いところ、ようこそおいでくださいました。お祭に来られるのは初めてですか?」


 大きな唐破風の下を潜って宿へ入ると、少々目が離れ気味で特徴的な顔立をしてはいるが、和服姿のよく似合う女将さんが挨拶がてらにそう尋ねてくる。


 そう……今日は例のだご様が来訪するという祭の日なのだ。


 特にこれといった観光資源もないというのに、こうした旅館が町にあるのもやはり〝だご様〟信仰と関係している。


 この漁村を出て他の地域へ移住した者達やその子孫など、意外やだご様の信徒は各地に点在しているらしく、そうした村外の信徒が祭を見に来たり、だご様を祀る神社詣に訪れたりするのだ。その人々が寝起きするための宿泊施設として、この宿が必要とされているのである。


 実際、それらしき泊客の姿も宿内にチラホラと見ることができる。


「はい。ここへ来るのも初めてです。じつはよく知らないんですが、お祭ってどんなことが行われるんですか? 御神輿や山車だしが出たりとか?」


 女将に尋ねられ、俺は正直にそう答えたのだが、すると不意に女将の表情が暗く曇る。


「……もしかして、お客さん達、だご様の氏子じゃないんですか?」


 そして、細く美しい眉をひそめると、不信感に満ちた眼差しを向けて俺達を問い質した。


 〝氏子〟というのは、つまり、だご様を崇める信徒のことを言っているのであろう。


「え、ええ。そうですけど……氏子じゃないと泊まっちゃダメですかね?」 


「ダメではないですけど……ですが、ぜったいに守っていただきたいことがあります」


 その豹変ぶりに面喰らいつつも、それでもマスミがおそるおそる訊き返してみると、「ダメではない」と言いながらもやはり歓迎はしていない様子で、女将はひどく不機嫌そうに忠告を口にする。


「氏子ならば誰しも心得ていることですが……祭の日の夜にはだご様が海から上がってこられます。だから、日が暮れてからはけして外に出てはいけませんし、外を覗いてもいけません。いいですね? このことだけは絶対に約束してください。でなければお泊めすることはできません」


 女将は俺達の顔を交互に見つめ、厳しい口調でそう念押しをする。


「も、もちろんですよ。郷に入れば郷に従え。ちゃんと守ります」


 なんだか本当に追い出されかねない勢いなので、とりあえず俺は素直に頷いてみせる。


 となりではマスミも呆気にとられた様子でコクコクと首を縦に振っている。


「……では、お部屋にご案内します」


 なおも仏頂面をしたままではあるが、それでも一応、納得はしてくれたのか、冷たい視線で俺達を一瞥した後、女将はそう告げて俺達を部屋へ案内した──。

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