第一章 第一フロア・オリギオ大陸編
キメラ・ペトラルナ戦
第一話 転移、そして……
***
子供の頃から、俺はどこか浮いていた。仲間外れにされていたとか、いじめられていたとか、そういうわけではない。
ただ、波長が合わないというだけで、少しずつ心がすり減っていく感覚があった。誰にも声が届かないような、そう、床から少し浮いているような、そんな疎外感だ。
そんなときに、手を差し伸べてくれたのが友奈だった。彼女は何の見返りも求めず、ただ隣にいてくれた。友奈がいたから、俺はここまで生きてこられたと言ってもいいくらいだ。
高校に入って姉貴と二人暮らしを始めるとき、俺は迷わず友奈の家の近くを選んだ。隣になったのは本当に偶然だったが。
――いや、本当に。
そんな日常が、ただただ心地良かった。
だがある日、限界は静かに来た。理由なんて特別なものはなく、ただ急にしんどくなっただけだ。学校を休み、かすかな背徳感に浸りながら、一日中ネットを漁っているうちに、偶然、RTAの配信動画を見つけた。
普段なら流すようなそれに、なぜか心が奪われた。今なら分かる。あのときの俺は、友奈と“対等”でありたかったのだ。
受け取るだけの存在ではなく、何かを与えられる、そんな存在になりたかった——強さとか、達成感とか、自分が誇れる何かを。
ただ、それだけのハズだったのに。
***
「秋!秋!ちょっと生きてる?」
その声で、意識が引き戻された。隣で友奈が不安そうに俺の顔を覗き込んでいた。暗闇の端で、小さな眉が心配そうに寄る。
「ここは……?」
遅れて思い出す。そうだ、裏技だ。俺が試した、くだらない裏技のせいで、本当に――
ここは、あのゲームの世界だ。視線を自身の身体に移す。その姿はゲーム内の装備で身を包んだ俺、千明秋だった。画面の中の勇者と、身体ごと入れ替わったような感覚だ。
横で友奈は震えている。その姿を見て、俺の心の中は罪悪感で埋め尽くされていく。
言わなければならなかった。だが言葉は喉に詰まる。できるだけ罪悪感を消すように軽く言う。いつもの悪い癖だ。
「あの、友奈さん……」
「なに?ここどこなの?」
「大変申し上げにくいんですけど――」
言い切った瞬間、友奈の顔が変わった。信じられない、見損なった、そんな表情がズンと彼女の顔に落ちる。ちょ、やめて。違うって、まさかマジとは……。
「……友奈さん?」
「秋!あんたねぇ、裏技でゲーム世界に行くのは勝手にしなさいよ!でも、私まで巻き込まないでよ!」
友奈が怒って、額をぐりぐり押してくる。彼女の怒ったときの癖だ。
「痛い痛い!頭蓋骨割れるって!やめて!」
「死ねぇ!!」
泣きそうな顔で頭蓋に力を込められ、俺のライフは一気にゼロに近づく。――そう思ったところで、友奈はやっとグリグリをやめてくれた。
俺がホッと一息をつき、友奈になんと声をかけようかはかりかねていたそのとき――
赤い画面が俺達の間に突然出現した。二人同時に飛び上がるように姿勢を正すと、画面には淡々と文字が表示されていく。
【クロノ・クロニクルへようこそ。このゲームは魔王を倒さない限り、終わりません。魔王は第十フロアにいます。まずはチュートリアルのボスの討伐を目指しましょう】
「ホントに、ゲームの世界に入っちまったのか……」
妙に真面目な顔で言うと、友奈が怒鳴るように返した。
「どーすんのよバカぁ!」
グーにした手で襲いかかる友奈。反射で防御の体勢をとってしまい、彼女の攻撃は当たらない。盾の重みが妙に虚しい。
盛大に外した友奈が俺に追撃を食らわせようとしてきたが――
「このカウント、何かしら?」
友奈が攻撃を止め、俺の頭上を指さした。見上げると、確かに赤文字のカウントがある。【71:47:02】――秒単位で減り続けている。何かの時間か?そして、友奈の頭上にも同じものがあった。
「なに、それ。俺と友奈の結婚までのカウントとか?」
冗談を言ったつもりが、すごい形相で睨まれた。これ以上はやめておこう。
その疑問を飲み込む間もなく、部屋中に大きな、聞き覚えのある咆哮が鳴り響いた。
「な、なに!?なんの声!?」
混乱する友奈を落ち着かせようと、俺は取り繕うように笑ってみせる。
「チュートリアルってやつだよ。システム理解用の戦闘。だから死ぬようなことは――」
言いかけて止まる。そういえば――死んだらどうなるんだ? ゲームオーバー扱いで初期化されるのか? それならまだ救いがある。だが、もし本当に、現実の世界でも死ぬことになったら――。
吐き気がした。たまらず手で口を抑える。もし俺のせいで、友奈が死ぬのなら。そんな最悪の考えが頭をよぎる。
今まで考えないようにしていた責任や、罪悪感が一気にまた湧き出てくる。
そうだ――ログアウトだ。システム欄を呼び出し、ログアウトボタンを探す――が、どこにもない。
赤い画面の文字が脳裏で反芻される。
――【魔王を倒さない限り、終わりません】
咄嗟に友奈を見る。でもそこには、いつもと違った、不安で押し潰されそうな少女がいるだけだった。
それを見て、俺の頭の中は“友奈を守るにはどうするか”だけを考え始めた。
落ち着け。俺が巻き込んだかなんては今は関係ない。まだ死ぬ確証はない。
落ち着け。俺は何度もこのゲームをプレイしてきた。
落ち着け。俺は、このゲームを最速で走った男だ。落ち着け。
その頭は、一つの結論を、導き出す。
「友奈、ここで待っててくれないか?」
「え? 一人で戦う気?」
心配そうに、けれども眉をひそめて睨む彼女に、俺は首を振って出来る限りの笑みを作る。
「大丈夫だ。チュートリアルだから、死ぬことなんて、ないよ」
半ば自分に言い聞かせるように言う。
本当は逃げ出したい。だけど、今の俺にできるのはこれだけだ。命をかけて、彼女を守る──それがこの世界での、俺の役割だ。
覚悟を決め、巨大な石の扉を開く。
そこにいたのは、何度も何度も殺されたあのキメラだった。チュートリアルのはずが、なぜこんな相手なのか。考える間に扉は低い音を鳴らしながら閉ざされる。俺は一人、キメラ・ペトラルナと向かい合う。
戦闘前の、いつもの確認のように、スキル欄を開く。俺のゲームデータが引き継がれている――。
耳をつんざく咆哮が部屋を震わせる。
焦り、恐怖の中に、ふとした高揚が混ざっている自分に気づいた。何だ、この感覚は――。
これは、まるであのときの――
「さぁ、ペトラルナ。殺し合おうじゃないか」
気付けば、俺の顔には微笑が浮かんでいた。
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