第8話 十年後「それぞれの告白」
※カードも合図もいらない。
今日は、言葉だけでいい。
それぞれが、自分の声で。
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里沙(51)
朝の街は、掃き終えたばかりの廊下みたいに静かです。
私はいま、小さな会社の清掃チームをまとめています。始業の合図も、チェック表も、誰かの号令もありません。各自が来て、各自のやり方で始め、終わったら帰る。ただそれだけ。
昔の私が聞いたら不安になるでしょうね。「そんなに緩くて、崩れないの?」って。崩れません。崩さないと決めた人が複数いる場所は、だいたい大丈夫です。
十年前の喫茶店を、ときどき思い出します。
あなたたちの前で、私は短い文を選びました。だって、長い言い訳を言ったら、私が楽になるだけだから。
本当はもっと言いたかった。
「あなたたちが自分で選んだ“距離”を、私は尊敬している」と。
「私は母でありながら、母ではなかった時間を、やり直さないと決めた」と。
「謝ることを仕事にすると、あなたたちをまた働かせてしまう」と。
私には、未投函の手紙がたくさんあります。
どれも三行で終わる前に、言葉が溢れて台無しになる。破り捨てて、また三行を試す。その繰り返し。
それでも捨てきれない一枚があって、そこにはこう書いてありました。
——生きていて、よかったね。
——あなたたちが自分の暮らしを選べて、よかった。
——私は、いまの距離のままで、ずっと祈る。
祈るって、便利な言葉ですよね。何も動かさずに済むから。
でも私は、祈るだけの人にはなりたくなかった。
だから働きました。朝に、体を使って、床を磨き、ゴミをまとめ、誰かの一日が始まる前の場所を整える。
それが、十年かけて私が選んだ「贖いの形」です。
あなたたちに会いたいか、と問われたら——正直に言います。
会いたい。
でも私は、私が会いたいという理由だけで会わない。
あなたたちの生活のうちに、私の都合の時間を入れない。
その堅さを、私はやっと、好きになれました。
いつか、あなたたちがいらないと言っても、私の中の「ありがとう」は減りません。
それだけは、言わせてください。
ありがとう。あの日、終わりを置いてくれて。
あの日から、私はやっと、始められました。
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蒼真(31)
高校の教員になりました。国語です。
あの頃、黒板の隅に書かれた「だれ/いつ/なに」が、形を変えて、毎日の授業に生きています。
生徒はよく聞きます。「先生、人生に正解ってありますか?」
私は答えます。「正解は知らない。でも、自分で引いた線は残るよ」と。
十代のとき、私は「怒らない」ことで自分を守りました。怒ると、壊れるから。
でも、怒らないで積み上がったものは、いつか別の顔で戻ってくる。
教員になってから、初めて本気で怒った夜があります。
ある生徒が、「家なんていらない」と言った。
私は言いました。「そう言えるほどに、どこかで守られてきた」と。
言ってから、胸が熱くなりました。自分に向けても言っていたのでしょう。
喫茶店での三十分、僕は“終わりを先に決める”約束を出しました。
大人になったいま、あれが自分のずるさでもあったと認めます。
終わりを先に置けば、始める怖さを誤魔化せる。
だけど、ずるさは全部が悪ではない。ずるさでしか守れない骨組みもある。
だから僕は、生徒にも言います。
「ずるくていい。ただし、誰かを動かすためのずるさは持つな。自分を保つためのずるさで止めろ」と。
母さん。
あの日のあなたの短い言葉は、僕を軽くもし、重くもしました。
軽くなったのは、責任です。あの日以降、僕は“代理の親”を降りました。
重くなったのは、自由です。自由は、持つと重かった。選べる人間は、選んだ結果と生きる。
十年使って、ようやくその重さに筋肉がついてきた実感があります。
「会いたいか?」と問うなら、答えはこうです。
会ってもいい。会わなくてもいい。
この答えは、ずるいでしょうか。
でも僕は、いまの自分の仕事と暮らしを、誰のせいにも、誰のためだけにもしないで持ちたい。
その真ん中に、母さんの現在が静かにあるなら、それで十分です。
言葉の仕事を続けます。
行頭をそろえて、言い過ぎず、届く長さで。
届かない日もある。
でも、届く日もある。
十年かけて、やっとその当たり前を、当たり前に言えるようになりました。
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光(28)
走るのが仕事になりました。競技は終えたけれど、いまは子どもたちにフォームを教えている。
スタートラインでしゃがむ子どもは、だいたい怖い。怖さの正体は、速さじゃない。「自分の順番が来ること」です。
僕もずっと、それが怖かった。
僕の順番は、いつも誰かの後ろに置いておけば安全だったから。
でも十年やってみて、やっと気づきました。
後ろにいるときも、自分の足は自分のものだと。
喫茶店のことを、何度も夢に見ました。
夢の中では、いつも“触れてはいけない”が消えていて、僕は立ち上がり、目の前の人を抱きしめる。
目が覚めると、胸が痛い。
あのなぜは、いまでも消えません。
なぜ僕たちは普通の家族じゃないのか。
なぜあの時、写真を撮らなかったのか。
なぜ今日は話して、明日は話さないのか。
十年前より、なぜは増えました。
でも、不思議と——持てるようになりました。
なぜは答えじゃない。持ち物だ。重さの違う石みたいに、ポケットに入れて歩ける。
母さんへ。
怒りはなくなりました、と言ったら嘘になります。
ゼロにはならない。でも、薄くなる。
薄くなった怒りは、悲しみより扱いやすい。
怒りは放せるけど、悲しみは自分の一部になるから。
その悲しみがあるから、僕は走り方を教えられるのだと思います。
「スタートのとき、息を一度、長く吐いていい」
それを教えると、子どもは少しだけ速くなります。
僕自身も、十年かけて速くなりました。誰かと比べなくても分かるくらいには。
会いたいか?
会いたい。正直に言う。
でも、約束はしない。
約束は、たぶん僕を昔に戻すから。
僕は今の暮らしのまま、会いたい。
会わない日も、会う日も、僕の速さで選びたい。
それが言えるようになったことが、十年の収穫です。
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それぞれの「これから」
里沙は、未投函の手紙を一枚だけ残して、残りを捨てるつもりだ。
捨てるのは後悔ではない。「いま」を軽くするために。
残す一枚には、こう書く。
「あなたたちのことを思い出す日は減らない。でも、それは私の仕事にならない」
蒼真は、卒業を控えた生徒に短い言葉を贈る。
「終わりを先に決めてもいい。始まりは、何度やり直してもいい」
言い切ったあとで、自分にも向けてうなずく。
人生の“国語”は、採点されないけれど、読み返すことはできるから。
光は、練習後のトラックで夕焼けを見ながら走りの跡を踏み消す。
土の感触は、昔と同じで、毎日違う。
彼は胸の中で、なぜを一つ撫でて、ポケットに戻す。
重さはある。でも、持てる。
走るたび、揺れるけれど、落ちない。
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最後に
三人は別々の街で、同じ季節の風を吸っている。
誰も合図を持たない。写真も撮らない。
ただ、言葉だけを持つ。
言いたい分だけ、言える年齢になった。
言わないことも、選べる年齢になった。
遠く離れた場所で、それぞれが心の中で小さくうなずく。
——生きていて、よかった。
——この距離のままで、前に進める。
——“普通”の定義は置いていく。自分の速さで歩く。
そして、誰も聞いていない部屋で、それぞれが一度だけ声に出す。
「ありがとう」
返事はない。必要もない。
十年かけて育った言葉は、届かなくても、届いている。
それが分かるところまで、三人とも来た。
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