第6話 洗脳の催眠
かつて、半世紀くらい前から言われていることで、
「カプグラ症候群」
というものがある。
これは、
「自分の近しい間柄にある、例えば、家族や配偶者が、悪の秘密結社によって、入れ替わられている」
ということを真剣に信じてしまうということでの、一種の、
「精神疾患」
というものであるようだ。
この話をテーマにした特撮であったり、アニメが昭和の頃に流行ったりした。
「宇宙人が、地球人と入れ替わって、気が付けば、その街に住んでいる人は、すべて、宇宙人を変わっていた」
ということで、
「にわかには信じられることではないので、それを訴えれば訴えるほど、まわりからは、精神疾患と言われ、それを疑う人はいなくなる」
ということになる。
だから、オオカミ少年の話のように、
「まわりが宇宙人になっている」
と、誰もが信じないことをいい続ければ、黙っていても、誰も、それが真実だとしても、信じなくなるだろう。
もし、それが分かった時には、時すでに遅し、
「まわりはすべて、宇宙人になってしまった」
ということになるであろう。
それを考えると、
「自分の思い込みというのは、時として、真実を捻じ曲げる」
といってもいいだろう。
だから、人気アニメなどで、よく。
「真実は一つ」
などといっているものがあるが、
「それが本当にそうなのだろうか?」
と考えるのだ。
それは、
「事実と真実」
というものを混同しているからではないか?
ということである。
つまり、
「事実というのは、確かに変えることができない」
というもので、だからこそ、
「動かぬ証拠」
になるのだ。
しかし、
「真実」
というものが、
「本当に一つなのだろうか?」
と考える。
「原因と結果を考えた時、原因から無数の結果が導き出されるというのは分かるのであるが、それは、その過程で、鼠算式に先が変わってくる」
ということである、
しかし、
「原因や、過程が、まったく同じであれば、導き出される結果というのもも、絶対に一つなのだろうか?」
ということである。
「一つしかない」
というのであれば、確かに、
「真実は一つ」
ということになるのであろう。
しかし、だったら、
「真実と事実。同じものだ」
というエビデンスが存在し、簡単に証明できるものであろうが、
「同じものだ」
という考えはどこからも見られるわけではない。
事実というものは、
「実際に起こっている疑いのないもの」
ということで、
「名実ともに一つしかない」
といえる。
しかし、真実というのは、
「その人個人個人の中で考える」
ということであり。へたをすると、
「真実というのは、人の数だけ存在する」
ということになるので、無数にあるわけだ。
しかも、真実というのは、人の解釈によって変わるので、
「同じ事柄に当たっている人であっても、それぞれに相対していたり、敵対していれば、当然のごとく、真実は違うものになるだろう。
さから、
「真実を正義」
ということで考えるから、
「自分には大義名分がある」
ということで、争いになるのだ。
戦争になることもあり、だから、戦争には、必ず、
「宣戦布告というものが必要」
ということで、その中に、
「自分たちの真実」
を織り交ぜる。
それによって何が正しいのかということを見極めたうえで、
「第三国が、どちらにつくのか。あるいは、中立を守るのか?」
ということになる。
だから、
「宣戦布告なき戦争」
というのもかつてはあった。
「大東亜戦争」
における前哨戦といってもいい、
「シナ事変」
というものが、
「大東亜戦争勃発」
の際に、日中戦争という形に正式になった。
それは、
「シナ事変」
の段階では、宣戦布告をすれば不利になったからだった。
というのは、
「宣戦布告をしてしまうと、第三国が、もし、中立を宣言すると、片方の国に書耐えれができないのは当たり前で、物資援助もできない」
ということであった。
実際に、アメリカは、
「議員の許可がなければ戦争はできない」
ということで、物資援助まではいいが、宣戦布告ができないということで、
「中立しかなかった」
ということなので、中国側は、宣戦布告はできなかったのだ。
日本側も、
「戦争状態」
ということになれば、
「欧米列強をすべて的に回しかねない」
ということで、躊躇したのだ。
最終的に、
「大東亜戦争」
に突入することになるわけだが、それは、
「相手が仕掛けてきた戦争」
ということで、その様相が変わってきたのだ。
それを考えると、
「大日本帝国」
というのが、
「いかに、欧米列強を意識し、刺激しないようにしていたのか?」
ということが分かるというものだ。
ただ、
「大東亜戦争」
においての、
「大義名分」
というのは実に立派なもので。戦争に負けたことで握りつぶされたのは、
「実にもったいない」
といってもいいだろう。
だから、かの戦争は、
「太平洋戦争」
などという、
「勝者にとって、不都合な名前を押し付けられたところまでは仕方がない」
といえるが、
「なぜ、独立国として確立した今の国家で、かの戦争を、大東亜戦争と言わないのか?」
ということは、どういうことなのであろうか?
それこそ、
「非国民」
と言われても仕方のないことだろう。
今の民主主義の世の中では、たぶん、教育的な問題からも、
「大日本帝国」
というのは、
「国民を洗脳していた」
という考え方になるのではないだろうか?
というのは、
「そもそもの天皇に対しての考え方が、中央主権国家を作らないといけない」
ということから、
「天皇を中心とした国家」
ということでの、
「尊皇」
ということであった。
その元々が、
「ペリー来航」
によっての、アメリカからの、
「砲艦外交」
によって、いわゆる、
「脅しによる開国」
をさせられたことであり、そのために、
「不平等条約」
というものを押し付けられることになった。
そのために、最初こそ、
「攘夷」
ということで、
「外国打ち払い」
ということを言われていたが、
「日本の国力では、外国にはかなわない」
ということになり、
「海外の技術や考え方を学び、日本を先進国にして、対等条約を結ばせる」
というのが、明治維新による、政府のスローガンであった。
だから、外国に学び、明治維新を成し遂げた。
さらには、
「殖産興業」
「富国強兵」
というものをスローガンとして、国防という意味でも、
「自国の軍で守る」
ということを考えたのだ。
だから、
「内乱などもってのほか」
ということで、それこそ、
「挙国一致」
という、
「中央集権」
を打ち立て、日本を豊かにすることが最優先であった。
だから、
「天皇に主権を与えはするが、あくまでも、法治国家としての、立憲君主の国」
というのが、大日本帝国であった。
どうしても、
「天皇を神として祀り上げる必要があった」
ということである。
「天皇も、自分たちと同じ人間だ」
などという考え方は抑えられた、
考えてみれば、日本という国は、歴史的に、どの時代であっても、
「天皇は神だ」
といってもよかった。
鎌倉幕府が成立し、江戸幕府が滅亡するまでは確かに、武士の時代」
ということであったが、それも、
「あくまでも将軍は、天皇から、政治を行うという任を受けている」
というだけのことで、国家元首は、天皇ということになっているのだ。
「朝敵」
という言葉があるが、要するに、
「天皇に弓引く」
というのは、朝敵ということで、それこそ、
「国家反逆罪」
ということになり、極刑の中でも、最悪の刑ということになるだろう。
昔でいえば、
「承久の変」
において、後鳥羽上皇が、鎌倉幕府を倒そうとして兵をあげたが、実は、鎌倉武士団に敗北してしまう。これが、唯一の朝廷による、反乱軍を抑えられなかった例といってもいいかも知れない。
しかし、それ以降の、
「建武の新政」
では、最後には、室町幕府の成立を許し、南朝となり、下野することにはなったが、目的であった。鎌倉幕府倒幕に関しては成功している。
また、幕末の、
「戊辰戦争」
では、今度こそ官軍ということで、
「錦の御旗」
というものを掲げて、
「正規軍」
ということで、幕府軍を打ち破ったのだ。
ここまでくれば、完全に
「天皇中心の国家が出来上がる土台ができた」
ということで、いよいよ、
「明治新政府」
の時代ということになったのだ。
明治政府というのは、
「不平等条約解消」
というれっきとした使命を持った政府なので、妥協は許されない。
とはいえ、
「やることは決まっているので、その目的に対しての対策は、最初から決まっている」
といえるだろう。
だから、教育においても、
「封建制度」
であったり、
「武家政権」
というものを否定するということをやりながら、ただ日本人の中にある、
「武士道」
などという、
「日本独特の素晴らしい考え方」
をいかに、国民を団結させるために用いるかということになると、無理をしてでも、
「国民を洗脳する」
という必要があるということになるだろう。
国民の中には、
「洗脳された」
という意識を持っている人が大多数だっただろう。
もっとも、
「洗脳された」
ということを誰かが言い出すと、へたをすると、
「反乱分子を作る」
ということになってしまう。
だから、
「どんなことをしても、中央集権」
という考え方で統一するには、
「天皇は神である」
ということで国民の意識を統一させなければいけないということになるのだ。
戦争の時においても、
「いかに、国家や経済が苦しくて、生活が困窮していようとも、戦争に勝てば、それまでの苦しみが報われる」
と考えるだろう。
だから、
「勝てば官軍」
ということであり、
「日本において、天皇制というものが絶対である」
ということは、
「大日本帝国から」
ということではなく、
「万世一系の天皇制」
と言われるようになってからの、
「太古の昔から」
といってもいいだろう。
特に日本というのは、怨霊などということを結構言われていたりする。
「日本三大怨霊」
ということで、
「菅原道真」
「崇徳天皇」
「平将門」
とあるが、どれも、その怨霊が、雷や天変地異になったりすることで、
「神や怨霊の存在」
というものは、信じられていた。
だから、
「日本人というのは、洗脳されやすい民族なのかも知れない」
今の時代でも、イスラム系の国では、
「宗教をバックにして、自分たちの平和や正義を守るために、ゲリラ戦であったり、自爆などして、テロ活動を行っている」
日本も、戦争においては、ゲリラ戦を駆使して戦った。
それも、
「天皇陛下のため」
ということだったのだ。
だから、いざ、死を目の前にした兵士であったり、
「玉砕」
の時の、民間人は、皆、
「天皇陛下、万歳」
と叫ぶのだ。
「神風特攻隊」
というものにおいても同じで、特攻隊員が、家族に遺書を送る時、
「絶好の死に場所を得た」
ということであったり、
「そのために育ててもらった」
という言い方で、最後には、
「天皇のために死んでいく自分を、ほめてほしい」
という言い方になるのだ。
今の人から見れば、
「ありえない」
と思うだろう。
それは、
「国家による洗脳で。国家から殺された」
と思うかも知れない。
しかし、果たしてそうだろうか?
死んでいった人たちは、あの時代であれば、遅かれ早かれ、
「寿命を待たずに死ぬ」
ということになるだろう。
それが、
「戦争で戦死」
あるいは、
「空襲で死ぬ」
あるいは、
「玉砕」
などといろいろあるが。そのような状況になった時、
「死ぬことは怖いことである」
あるいは、
「生き抜かなければいけない」
などということを言われていたとすれば、間違いなく、死ぬことを恐れ、恐怖の中で死んでいくということになるだろう。
しかし、
「天皇猊下のために死ぬことは怖くない」
と言われれば、
「死への恐怖」
というのは、少しは収まるというものだ。
封建時代だって、同じこと、特に戦国時代に、
「死ぬことは怖い」
といってしまうと、敵前逃亡などで、戦にならないということになるだろう。
誰だって、死ぬのは怖い。
「だったら、戦をしなければいいんだ」
ということになるのだろうが、
「戦しか解決方法がないのだから。逆に戦をしなければ、へたをすれば、飢え死にするのを待つだけ」
ということになる。
つまりは、
「勝てるかも知れない戦をして、勝ち残って、これまで通りの暮らしをするか?」
もっとも、勝ったのであるから、論功行賞から、
「褒美も出て、出世もする」
ということで、暮らしもよくなるだろう。
しかし、何もしなければ、食べ物にありつけず、
「戦が嫌いだから」
ということで、
「飢え死にするのを黙って待つだけ」
ということでいいのだろうか?
それを考えると。
「人間の中には、いや、動物すべてにいえることだが、闘争本能というものがあり、これが、自分たちの発展を高めるものであり、さらには、
「生き残るために、積極的に争う」
ということは、
「動物としての本能だ」
と考えると、
「国家が、国民を洗脳する」
ということが、政府としても、国民一人一人に対しても、いいということになるだろう。
戦争に負けて今の時代の、
「民主主義」
というものになると、
「命は大切なもので、誰にも犯すことができない」
と言われている。
しかも、
「日本は、恒久平和というものを求め、戦争放棄の国だ」
ということが謳われている。
これはあくまでも、
「日本が軍備を行うと、他国を侵略する」
ということで、
「日本民族は、占領人族だ」
という間違った知識を諸外国に示すことになる。
そもそも、それは、
「諸外国の方が強いではないか?」
というのは、
「かの戦争における日本のスローガン」
を考えればわかる。
「欧米列強に食い物にされ、植民地化された東アジアを欧米列強から解放し、アジアに新秩序を形成する」
ということだったではないか。
それを、勝利国は、
「自分たちに都合が悪い」
ということで、かの戦争を、
「大東亜戦争」
とは言わず、
「太平洋戦争」
という言葉で、詭弁を使ったのである。
「臭いものには蓋」
というのはまさにこのことで、あくまでも、
「勝てば官軍」
そして、
「勝者の理論の押し付け」
というのが、
「極東国際軍事裁判」
と言われた、いわゆる。
「東京裁判」
と言われるものだった。
そのために、
「処刑」
という形での、
「生贄」
が必要だったのだ。
だから、
「大東亜戦争」
などという言い方はご法度であり、何を思ってか、
「今のマスゴミも政府も、そして、国民ですら」
「大東亜戦争」
とは言わないのだ。
それこそ、
「洗脳されてしまっている」
といえるのではないか?
元々は、
「戦勝国からの押し付け」
ということであったが、結果的には、
「マスゴミ」
というものにである。
そもそも、かの、
「大東亜戦争」
というものが始まったのも、実際に、終えることができなかったというのも、すべての責任は、
「マスゴミ」
にあるのだ。
国民を煽るだけ煽って。戦争に突入させ。本来の軍の作戦とすれば、
「最初で相手の出鼻をくじき、連戦先勝の状態から、ちょうどいいところで和議を結ぶ」
ということだけが、
「戦争に勝つ方法」
ということで突入してしまった。
しかし、実際には、
「あまりにもうまくいきすぎて。勝ちすぎてしまったので、今度は辞めることはできなくなった」
というのは、
「勝っている今辞めるというのは、どういうことだ?」
「臆病風に吹かれたのではないか?」
「今まで戦死していった人に申し訳がないだろう」
というようなことをマスゴミが国民を煽ることで、政府や軍が、
「腰抜け」
ということになると、戦争遂行ができなくなる。
つまりは、敗戦の一番の原因は、
「マスゴミにある」
というわけで、政府も軍も、それに踊らされるという、後手後手に回ってしまったということなのかも知れない。
「ペンは剣より強し」
という言葉は、若干違った意味であるが、そういうことになるといっても間違いではないだろう。
「洗脳されたことによって、催眠術にかりやすい」
という話を聞いたことがあったが、
今回の場合の事件において。
「催眠術で洗脳され、それで記憶喪失になる」
ということのようだった。
だから、思い出す記憶というのが、
「一部の記憶で、しかも、それが犯人にとって都合のいいものであった」
ということになるのであろう。
だから、今回の事件がその影響で、犯人とすれば、
「時間が経つのを狙っていた」
ということであった。
つまりは、
「時間稼ぎの犯行だった」
ということかも知れない。
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