第4話 記憶の一部
医者から、
「被害者である横山氏の記憶が一部戻った」
ということで連絡をもらったF警察から、秋元刑事がやってきた。
秋元刑事は、F警察でも若手の方で、ただ。そのたぐいまれなき推理力には、上司も、一目置いていたのだった。
相棒である佐久間刑事とやってきたが、実はそこまで、
「記憶が戻った」
ということに期待をかけているわけではなかった。
記憶が戻ったといっても、医者の話では、
「一部だけ」
ということだ。
医者がどこまで被害者と話をしたのか分からないが、少なくとも、事件のことに触れるということはなかっただろう。
なぜなら、被害者の横山は、事件によってけがをしたことから、何が原因から分からないが記憶を失ったということは、
「思いだす記憶というものに、トラウマがあるはずだ」
ということになるだろう。
だとすると、
「医者が事件のことを話すはずもない」
ということになる。
なんといっても、医者こそ、事件のことを少ししか知らないはずだ。いくら相手が被害者の主治医とはいえ、軽々しく、
「捜査上の秘密」
というものを話すわけがない。
そうあると、そんな中途半端な情報で、主治医が。中途半端に記憶を取り戻した被害者に、簡単に事件のことを口にするとは思えない。
一歩間違えれば、自分で墓穴を掘ることになるからだ。
医者が話すとすれば、家族のことや、私生活のことである、
「自分の知りえる範囲の話」
ということになるだろう。
その中に、
「事件の真相が隠されているかも知れないが、そもそも、思い出したのが、その一部ということであるのだから、期待薄というのは、当たり前のことである」
急いで病院にやってきた秋元刑事は、さっそく医局に行き、主治医の先生と面会を行った。
「一部とは言え、記憶が戻ってよかったですよね」
と、秋元刑事は、社交辞令ともとれる曖昧な表現で、医者に切り出した。
医者の方は、それを、
「はあ、まあ、そうですね」
と、こちらも、ポーカーフェイスで、さらに曖昧さを含ませてこたえた。
どちらもタヌキと言えば、タヌキである。
そもそも被害者は、今までは、
「普通の記憶喪失者と同じ状態だった」
といってもいい。
自分が生活をするうえで、困らない程度の意識だけは持っていた。
食事の摂り方、電車の乗り方などは覚えている。
その電車に関しても、
「路線図のようなもの」
というのは覚えていて、たとえば、自分が利用している電車の路線の駅名や、その配列のようなものは覚えているのだが、自分の家が、
「どの駅から乗るのか?」
あるいは、
「会社がどの駅なのか?」
ということは分かっていない。
だから、彼にとっては、自分の家も会社も、
「初めて見る」
という感覚だったのだ。
考えようによっては、
「都合のいい記憶」
にも見える。
その都合のいい記憶というのが、
「清水刑事」
という名前だった。
もちろん、それが別管轄の刑事で、
「行方不明になっている人だ」
ということまでは分からなかったが、関係があるということで、事件に一つの穴が開いたということに間違いはなかったのだ。
こちらの想定外の覚え方をしているのだ。
電車の路線図や駅名、さらに配置まで覚えているのに、自分の家を覚えていないというのは、
「わざと記憶から消しているのでは?」
とさえ思えるほどだった。
しかし、主治医といえども、記憶を失った人が、どう考えているかなどということを把握できるわけなどない。
なぜなら、
「被害者とは、被害者が事件にまきこまれてからこっちの半年間のことしか分からない」
しかも、記憶を失った状態なので、それまで彼が生きてきた人生をはかり知ることなどできるはずがないのであった。
「それが分かるくらいなら、心理学でトップになっているさ」
ということだ。
だから、医者としても、
「必要以上に、患者を刺激して、せっかく取り戻させている記憶を遮るようなことはしたくない」
という思いと、
「記憶喪失になったのは、思い出したくないことを潜在的に感じているから、その心理的作用から、このようになっている」
と考えると、
「本当は刑事に協力する」
というのも、はばかりたいところではあった。
だから、いつも、刑事に対しては、
「できれば、15分程度でお願いできますか?」
と時間を区切っていた。
この15分というのも、何かの科学的な基準からではなく、あくまでも、
「曖昧な時間」
ということであった。
「必要以上に刺激できない」
ということと、
「どうせ、刑事が何を聞いても、新しいことが出てくるわけはない」
ということで、その時間が、患者にとって、
「不要な焦り」
につながってしまうと、そこから、心痛というものが生まれてきて、それに対しての拒否反応から、余計な苦痛を患者に味わわせることになってしまう。
それだけは、
「医者としてはしてはいけないことだ」
と考えていたのだった。
今回の事件において。
「被害者が忘れてしまったことが、どこまで大切なことなのか?」
ということである。
それを思い出し、警察に協力はできたとしても、それでも、
「犯人逮捕には至らなかった」
として、もし、
「被害者が何か記憶において急変して、予期せぬ行動にでも出て、取り返しがつかないことになってしまったとすれば」
と考えると、
「とてもではないが、医者の立場からも、容易に警察に協力するということもできないだろう」
と考えた、
「警察が頻繁に記憶のことを聞いてくるということは、それだけ、他に真新しい捜査に関しては、膠着状態なんだろう」
と医者は感じていた。
まさしくその通りで、なんといっても、事件は半年も過ぎていて、いまだに相も変わらずの捜査なのだから、警察としては、
「このまま放ってはおけない事件」
ということであるが、あまりにも、この事件に関しては時間が経ちすぎているのであろう。
ただ、
「半年も過ぎているのに、まだこの事件を捜査しているということは、半年前が最初の事件ということで、類似事」
つまりは、
「同一犯による犯行」
と思しき事件が、
「定期的に発生している」
ということであった。
「連続通り魔事件」
といっていいのかも知れないが、そうではないのかも知れない。
だから、それぞれに捜査本部があるかも知れないが、医者はそこまで知らなかった。
実際には、捜査本部は別々にあったが、途中から一つにしたのだ。
それは、
「同一犯の犯行だ」
という可能性が高まったからだ。
というのは、
「最初の事件ほどではないが、犯人の行動パターンには、一定の法則があった」
ということである。
つまり、
「他の犯罪では到底考えられないような、奇妙な行動を、犯人がしている」
ということである。
というのは、
「一連の事件で、被害者は、ナイフで切り付けられ、重症の患者もいるが、そのすべては命を落としているわけではない」
ということなのだが、さらに不思議なのは、
「どの事件現場にも、別の種類の血液が混じっている」
ということだった。
もちろん、一見すれば、
「二種類の血が混じっている」
などということを分かるはずがない。
ただ、最初の事件での、
「二種類目の血」
というものが、あまりにもあからさまだったということから、他の事件においても、
「血液検査」
というものが行われた。
そして、
「二種類の血がある」
ということを発見したのだ。
しかも、その種類の血は、
「明らかに人間の血で、血液型は、すべて同じ、B型の血液だ」
という。
そして、その血は、
「はっきりとは分からないが、すべてが、別人の血のように思える」
ということだったのだ。
「ということは、被害者の血液型がB型だったときは、二種類の血液があるということに気づかない」
ということになるのだった。
この事件の特徴は、そこにあるのだが、いかんせん、そこまでわかってはいるが、そこから先がどうしても分からない。
「なぜ犯人が、そんなおかしな行動に出るのか?」
ということであり、逆に言えば、
「その謎が解ければ、事件は、劇的に進歩するのではないか」
ということであった。
警察の捜査というものが、どこまで信憑性のあるものかということを考えると、
「証拠のような物理的なものだけではなく、そこからどれだけの推理が必要になってくるか?」
ということが、
「事件解決には不可欠だ」
といえるのではないだろうか?
今回の事件解決のために、どこまで被害者の記憶が必要なのかということは、医者には分からなかったが、少なくとも、
「これが連続犯による通り魔事件だということになると、事件を急いで解決しないといけないということは、火を見るよりも明らか」
ということであろう。
秋元刑事は、先生に、
「今日は少し多めの時間でかまいませんか?」
と尋ねたが、医者の立場としては、今までの決まりを変えることが怖くて、
「いつもと同じ時間で」
としか答えようがなかった。
それは、
「被害者が少しでも思い出すたびに時間がどんどん長くなっていくのを恐れた」
ということであった。
それだけ、医者としては、
「この患者は、少しずつ段階を踏む形で、記憶を取り戻そうとしているんだろうな」
と感じたからだった。
実際に、そのことに間違いはないようで、医者とすれば、
「今回のような記憶喪失のケースは決して珍しいものではない」
と言えた、
いや逆に、
「オーソドックスなケース」
なのかも知れないと感じたくらいだった。
そもそも、この医者は、
「心理学関係の医者ではなく、身体のケアに関しての医者」
ということで、どちらかというと、
「リハビリ」
というものに長けていた。
しかし、リハビリというものと、
「失った記憶を取り戻す」
ということは、
「さほど遠いものではない」
という考え方があるということからも、
「今のやり方が、硬直状態に陥るかも知れないが一番無難な方法だ」
と思ったのだ。
特に、記憶があいまいな状態で、事件のことにいきなり触れるのは厳しいと感じたのだ。
だから、
「十五分」
という時間も、この観点から、医者が感覚的に感じたことであった。
だから、
「記憶が少しずつ取り戻されていく中で、時間を長くするなどということは却って不安を煽るということで、本来であれば、時間をさらに短くするという方が、医者としては安心なのかも知れない」
と感じたのだ。
「今回の事件において、取り戻される記憶が、どこまで鮮明なものなのか?」
ということよりも、
「どこまで曖昧さが解消されるか?」
ということの方が重要な気がした。
というのも、
「この事件において、曖昧さというものが、問題」
といえるのだった。
しかも、その曖昧さというものが、
「解消されない方がいい」
と考えているということであることを、どこか気にしているからだったのだ。
これは、最初は、
「医者が考えていた」
ということであったが、次第に、刑事にも伝染しているようだった。
普段であれば、
「そんなことは考えるはずもない」
と思うはずの、特に、秋元刑事はそう感じていた。
それは、
「普段、感じないことを、今回の事件に関しては感じている」
ということから思うことであって、
「事件というものに対して、今までと見方が変わってきた」
つまりは、
「自分がそれだけ成長したのではないか?」
と思えた。
それは、
「刑事として、誰もが通る道であり、そのことを果たして意識できたのかどうかということが、果たして皆分かっていたのか」
ということが問題なのだが、えてして皆、それを意識することなく通っているのだろう。
だからといって、
「それが悪い」
ということではないようだ。
物事においての、
「いい悪い」
というのは、誰が判断するということなのか。
「多数決において、多数派というものが、いいことだ」
と考えたとすれば、それは本末転倒な気がする。
今は、民主主義の世の中で、
「民主主義の基本は多数決」
ということを教え込まれたということから、そのように感じてしまうことだろう。
それの考えは刑事に限ったことではなく、誰もが感じていることだ。
政治体制というのは、根幹において、皆が一つの基本的な考えを、
「正しいことだ」
と思っていないと成り立たない。
それこそ、
「いつ、どこでクーデターが起こっても無理もない」
ということになり、
「実際に、クーデターから、内線になることもある」
ということだ。
しかし、昔の軍人がいっていた言葉に、
「内線で国が亡ぶことはないが、戦争では国が滅んでしまう」
ということを言った人がいたというが、
「それも間違いではないな」
と、秋元刑事は、以前から思っていた。
特に、今は戦争というものが、
「憲法というもので、ありえないものだ」
ということになっているが、そのためか、
「日本人は、内乱が起こっても気づかないだろうな」
と思っていた。
実際に、
「国が亡ぶ」
ということはないが、それも、
「数が重なっていけば、徐々に壊れていくというもっもである」
それを考えると、
「大きな山も、アリの巣から壊れてくる」
ということになるだろう。
「世の中というのが、実は曖昧なもので、しかも、その曖昧さというのが、都合よくできている」
ということだとすれば、恐ろしいことだ。
というのは、
「一人の思惑によって、そのようなことになっているのだとすれば、その人の人間性であったり性格によって。国の行く末や、進むべき道が、ハッキリしてくる」
ということになるだろう。
それは、
「どこまでがいいことなのか?」
ということに相違ない。
今回の事件も、被害者には申し訳はないが、
「これから未来に対しての、何かの警鐘ではないか?」
と考える人も出てくる可能性はあった。
実際に、そんなことを考えている輩もいて、それが、新興宗教だったりするのだ。
そして、今回思い出した被害者の一部の記憶というのは、話を聞いていて、最初はよくわからなかった。
まるで、
「超常現象」
のような話で、
「見えない力が働いている」
という言い方をするのだ。
そのうちに、それが、
「誰か一人の力によるものだ」
ということになり、それが、
「教祖ではないか?」
と考えるようになると。
「これは、洗脳されているのでは?」
と、秋元刑事は考えるようになった。
だとすると、
「どうして、医者は、それを我々に言わなかったのだろうか?」
と感じたが、それは、
「刑事にも、先入観のないところで、彼が感じていることを同じ目線から感じてもらいたい」
という意識があったのではないかと感じたのだ。
もし、そうだとすれば、
「医者は、警察を信じてくれている」
ということになるが、逆に、
「まったく信じていないのかも知れない」
とも思う。
表から見ると、
「警察を信じていない」
と思うからで、それは、医者としての立場というよりも、
「先生自身の人間性からきている」
といってもいいだろう。
そう考えると、
「この医者と警察とは、過去にも何か因縁があったのかも知れない」
と感じたのだ。
警察というのは、
「しかも、刑事課」
などというと、犯罪捜査を優先するものであり、へたをすると、
「人の人権の一部に眼をつぶってでも、自分たちの捜査を優先する」
ということもあるのだ。
だから、刑事はよく、
「これは殺人事件の捜査なんだ」
ということで、聞き取りを行う際に、
「言いたくない」
といっている一般市民に、
「殺人事件の捜査」
という免罪符を発行することで、
「職務まっとう」
というものを正当化させようということになるのだ。
殺人事件において、
「特にその傾向は強い」
同じ警察が、別件で捜査しようとしても、
「こっちは、殺人事件だ」
ということで、
「何においても、殺人事件の捜査は優先される」
という、
「殺人事件捜査の至上主義」
というものがあるというのは、実に理不尽な気がする。
もちろん、そこに、
「リアルな誘拐事件」
というものが進行していれば、誘拐事件の方が優先されるのは当たり前のことだが、それ以外は、
「そう簡単に警察が、捜査方針を変えるなどありえない」
ということになるのだ。
そんなことを考えていると、
「今回こそは期待したんですがね」
という、佐久間刑事の言葉が示しているように、
「あまり期待できなかった」
ということになるのだろうが、秋元刑事も佐久間刑事も、お互いに、
「そこまでのショックではなさそうだ」
と相手に対して感じていたのだった。
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