電車

「次は○○駅ー○○駅ー」


 聞き慣れた機械のアナウンスにハッと目が覚める。

 がたんごとんと規則的に揺れる車内は乗っている人の割には静かで、ごとんごとん、と足元から響く振動が疲れた体をそのまま眠りへと導いたのだろう。

 あぁいけない。今はなんて言ったっけ。

 そう電光掲示板を見やるとそこには

『次は 職場 』

 とある。

 あぁ、これが噂の。

 友人から聞いたある話を思い出して、その整合性を脳内で確認して、そして誰にも聞こえないようにそっと溜息をついた。真夏なのにと言われ続けていたがマスクしていてよかったと心底思う。

 だって、この電車は死者のための電車なのだから。

 騒いではいけない。気付かれてはいけない。ただそっと目を閉じて周りに馴染む努力は惜しまない。

 友人は言った。

 お盆の時期、たまに死者が乗る電車がホームに来るのだという。行き先などを見れば分かるらしい。明らかにおかしいのだと。正直乗るときにどんな行き先だったかなんて覚えていない。

 そのホームに来る電車は最寄りに必ず寄る、と謎の自信で乗ってしまったのだ。 

 もしその電車に紛れてしまったら騒いではいけない。ただ周りと一緒に電車に揺られているといずれ「自宅」という行先が出てくる。それまで死者のふりをすれば問題ない、と。

 現に今、この電車で静かに目を伏せて寝ているふりをすれば、誰からも声はかけられない。見られている気配もない。

 みんな、ただ帰るだけなのだから、他人に対して興味はないのだろう。仕方がない。

 そっとあたりを見回す。人はそこそこいる。まぁ、座席に空きがある程度ではあるけれど。

 右足のないスーツ姿の男性は吊革につかまって新聞を読んでいた。バランスが取れないのかたまによろけては正面に座る女性に「すみません」というように会釈をする。

 その女性もにっこりと笑って、「大丈夫ですよ」と言っているようだ。顔色はひどく、足元がびしょびしょに濡れていた。

 ドアの前では中学生くらいのおさげ頭で女の子がそわそわと不安そうに外と電子掲示板を交互に見ている。肩にかけた白いカバンやもんぺの裾は土で汚れている。

 手がない人。腹に大きな穴があいている人。焼け焦げた服を着ている人。全身びしょぬれで赤ちゃんを抱いている人。

 色んな人がいる。だけれど不思議と全く怖くはない。

 だって、みんな帰るだけなのだから。自分が帰りたいと思った場所に。

「まもなく 職場ー職場ー」

 そのアナウンスのあとまもなく電車は止まった。ぷしゅーと空気が抜ける音のあとわずかに車体が傾きドアが開く。

 何人か電車を降りて行った。さっきのスーツ姿の男性も降りて行った。職場に帰りたいだなんて、何か忘れたのだろうか。

 乗ってくる人は誰もいない。少し時間を置いてドアが閉まり、そして

「次は 自宅ー 自宅―」

 電光掲示板の文字が『自宅』に変わる。

 おさげの女の子が力強く頷いて、肩にかけた白いカバンをギュッと握り込んでいた。

 泣く赤ちゃんをあやしながら「パパが待ってるよ」と話しかける女性も自宅と言う文字を見て穏やかに笑っている。

 手をつないだ老夫婦が「楽しみだね」と笑い合いながら写真を見ていた。古い写真だ。ここからは何の写真かまでは分からないがとても愛しそうに目を細めている。

「まもなく 自宅ー自宅ー」

 アナウンスを合図に人々が立ち上がる。バランスを崩して転びそうなおばあさんに手を貸す兵士さんはそのままおばあさんの手を取ってドアの前までゆっくりと歩いて行った。

 私もある程度人が動いたのを見て、ゆっくりと立ち上がって、視線をあげずにドアが開くのを待った。

 車体の揺れがだんだんと落ち着きはじめ、そして、そっと止まった。

 ドアが開く。人々は列をなしてそのまま外へ出ていく。私もその流れに逆らわずに車外へ出た。

 車外に出てすぐ空気が変わったことに気が付いた。

 今までが特段重い空気だったわけではない。むしろとても懐かしくて泣きそうになるくらいの温かい空気だった。だけれど車外に出た瞬間「あ、戻ってきた」と分かるくらい空気が肺から脳まで走っていくのが分かった。

 ゆっくりと視線をあげるとそこはいつもと同じ最寄り駅だった。

 人々は皆スマホ片手に電話しているか操作しているか。友達や家族との会話を弾ませながら歩いている。

 先ほど車内で私の前にいたおさげの女の子も赤ちゃんを抱いた女性もいない。

 みんな無事におうちに帰れているといいな、なんてそんなことを思いながら私は改札口へ向かった。


 そんなお盆に迷いそうになった話。

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日常の中の非日常な話【短編まとめ】 吉井田 隣 @kotugai

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