無限たちの宇宙

松ノ枝

無限たちの宇宙

 無限、魅惑的で神秘的で狂気的な言葉。果てが無く、終わり無く、ただ先も見えぬ荒野の如きもの。そんなものに私たちは縛られている。

 無限小の私たちは無限大の宇宙において無限体いる存在として規定されている。誰が規定したかは大して重要な話ではない。

 ある日、とある宇宙のとある数学者がこんなことを言った。

 『無限には様々な種類がある』

 この言葉は無限の私たちに無限の可能性を見せてくれた。

 可算無限、非可算無限、濃度にℵ。無限に纏わる概念がこの世に現出すると同時に、いや決定論的に私たちは無限という単色ではなく色鮮やかな無限を身に纏った。

 「あら、あなたはℵ₀を纏っているのね」

 と実数全体の集合、ℵ₁が声を掛けてくる。彼女は私より背が高く、濃度としても大きかった。

 「そういうあなたはどこかへ行くのですか?」

 彼女も普段より浮かれ口調でどこかへお出かけという風貌であった。

 「ええ、今日は超限順序数ωさんとの食事でして」

 それではと彼女は非可算無限速で宇宙を駆け抜けていく。私にとって追いつけないほどの速度だが彼女にとっては通常運転であった。

 誰かが語った無限より私たちは今日を迎えている。朝にコーヒーを飲み、月曜日の憂鬱を飲み下し、無限室のビルへと仕事のために足を踏み入れる。

 私の仕事部屋はω番、可算無限の部屋である。時折、非可算無限番の方がかっこいいなと愚痴をこぼすが部長のωのω乗さんにじっと見られてしまうのでとても怖い。

 昼食の時間になると皆各々が出せる無限速で会社を飛び出していく。飛び出た皆は街中を昼食求めて走り回る。

 私も負けまいと外に出るが一瞬の遅れが無限の遅れと言うべきか、いたるところに開かれた店には食材不足の看板が並んでいる。無限個の料理があるはずなのに皆速いなと私はいつも驚かされる。

 「ほれ、お前の分」

 と先輩であるℵ₂がホットドックを手渡してくれた。

 「ありがとうございます」

 私は大きく頬張り、温かな気持ちで午後の仕事に向かう。

 

 夜、仕事を終えると無限個の星が空一面を埋め尽くす。私の住む無限次元球惑星の空はあらゆる次元の空を映し出す。三次元、四次元、ベクトル空間の空さえも。

 空で一層輝くのは遠くに座す恒星で、手を伸ばし掴めないかともがいてみるが、私如きの無限では届かぬほどの濃度であった。

 「いつか行ってみたいな」

 と私は呟く。心の中にその言葉を留めて。

 

 「あら、あなた今日は休み?」

 ℵ₁と私は休日の昼間、テーマパークでばったり出くわした。

 「そうです。あなたはωさんとは上手くいきました?」

 そう聞くとℵ₁は上機嫌に応えた。

 「上手くいったなんてもんじゃないわよ。この宇宙で一番の相性よ、私と彼」

 ℵ₁とω、非可算無限と可算無限では相性悪くないかと私なりに考えるが、この宇宙で無限の大きさなど些細なことであり、各々の性格でそんなものは塵と化す。

 「良かったじゃないですか。お幸せに」

 と心からのお幸せコールを送るが、若干良いのかなという思いが湧いてくる。何せ大きさが違うのである。性格で当人たちは上手くいっても子どもが出来た場合、そうはいかなくなることが多いと聞く。

 可算無限と非可算無限、この二人の間に産まれた子は果たしてℵ₀か、ℵ₁なのか、それとも二人の中間か。カントールよろしく対角線論法で証明したいところだが、そうすると中間は無いということを証明することになる。そうなれば両親、どちらかの無限として産まれるだろうが、産まれてくる無限によって家庭での親の権力も傾くらしい。どうか幸あれと祈っておく。

 「さてと、ジェットコースターにでも乗ろうかな」

 テーマパークと言えばジェットコースター、これは自明の理であろう。

 幸い長蛇の列になる前に並ぶことが出来、私の運は付いていた。しかし付いていたのはここまで。

 「すみません、お客様。席を移動していただくことは出来ますか?」

 スタッフが申し訳なさそうに乗客へと聞いて回る。何でも列に並んでいた可算無限人の客が想定以上詰めかけたらしく、先に入った可算無限人の客を移動させて乗せようという。

 仕方が無いので私は席を移動し、ジェットコースターを楽しむことにした。

 ここのコースターは無限個の宇宙を垣間見れると話題であり、私もそこに食いつき乗っている。

 コースターがゆるやかに発進する。初めは有限速だが次第にω速、ωのω乗速へと加速する。

 速度は上昇を続け、無限個の多宇宙を垣間見せるまでに至る。

 それらの宇宙は内に秘める星々の煌めきにより、まるで小さな星空であった。あらゆる可能性で分岐した宇宙ではコースターに乗らない私も乗った私も存在した。

 「綺麗‥」

 とつぶやく私が無限体居た。言わない私も同様に。


 休日から無限日を迎えたある日、社長が誰かともめていた。

 「俺の方がこの会社の社長足りえる!」

 「いいえ、私の方が」

 と互いに社長はどちらがふさわしいかと競っている。一社員の私たちにとって割とどうでもいいことだったが、同僚である無限体の私の一部はどうにもざわついている。

 「ええい、このままでは埒が明かん」

 「そうですね、では一つ勝負といきましょう」

 二人は互いにどちらが優れているかを見せつけようと勝負を始めた。

 「「選択公理を用いる!」」

 と二人は天高らかに叫ぶ。その声は無限の広さを持つ宇宙といえども響き渡るほどであった。

 この宇宙を無限集合とし、互いに独立した無限集合の宇宙を構成し始める。社員をそれぞれ男性、女性に分け、現社長は男性を、対する挑戦者は女性を無限体選択し、新たな宇宙の会社の社員として再雇用した。

私は女性であったので、挑戦者の女性が創り上げた会社へと選択された。

 非常に迷惑極まりないが、オフィスの設備は整っているので抗議は入れないことにした。

 「決着つかないわね」

 「そうだな。いっそのこと、この惑星を」

 と惑星に被害が出そうになったところである社員が二人を止めに動いた。

 「二人の争いで新たに宇宙が二つ出来ました、なのでそれぞれの宇宙での社長になるというのはいかがでしょうか」

 争っていた二人は互いに見つめ合い、考える。早く決めろと内心思うが焦っても仕方が無い。

 二人が悩むこと、ε₀秒後。互いの宇宙へ二人はこう言った。

 「「我々は互いの創った宇宙で社長になる」」

 こうして社長の座を賭けた争いは二つの宇宙誕生により解決した。ちなみに争いを止めた社員は無限体居る私の一人であった。その子は二つの宇宙、ひいては惑星終了を救ったメシアとして全宇宙中で崇められた。わたしであるというのにこの私との差は何なのだろう。

 

 私は無限に浮かぶ無限個の宇宙で仕事をしながら生きている。仕事場は依然と違い、別宇宙になってしまったが、お気に入りのコーヒーメーカーはこちらの宇宙の社長が争いの中選択して持ってきた物だったのでとても嬉しい。美味しいコーヒーは私の癒しである。

 こちらの宇宙の帰り道、こちらの宇宙のℵ₁と出会った。

 「ℵ₁さん、お子さんはどちらの無限で?」

 気になっていたことを直球で聞いてみる。

 「ああ、やっぱり気になる?…ℵ₀だったわ」

 ℵ₁は家庭内での権力が夫に傾いたにも関わらず、どこかさっぱりとした表情であった。

 「でもね、あっちの宇宙じゃℵ₁だったの。だからあっちじゃ私が上よ」

 可能性で分岐する宇宙で産まれてくる子どもはどちらの無限であってもどちらでも産まれてくる宇宙があるのでℵ₁は気にしない。

 ℵ₁と別れ、家路に着く。その後はただベットで横になり眠るだけ。

 明日は朝早くから仕事に向かういつもの流れ、そこから日常が始まる。

 今日も明日も明後日も、私はこんな日常を無限回繰り返す。退屈ながらに面白いこんな日常を。

 

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無限たちの宇宙 松ノ枝 @yugatyusiark

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