第48話
生まれ落ちた瞬間から、殺し合いと争奪だけが支配する世界で育った者たち――
彼らは愛を知らず、美味なる食事の味を一度も噛みしめたことがない。
そして、ある年齢に達すると、不意に第二の意識が肉体を奪い取り、仲間を――いや、血を分けた家族すらも――無惨に屠ることがある。
この荒廃した世界では、我が子が突如NGと化し、両親を殺すことなど珍しくもない。
だが、その戦慄は…あの瞬間は…決して薄れない。
見慣れた瞳を覗き込み、その奥にいるのが魂なき怪物だと悟ったときの、あの凍りつくような恐怖は、誰の記憶からも消え去ることはない。
NGはあまりにも強大だった。
途切れることなく生まれ、進化し、あらゆる環境・あらゆる戦法に適応していく。
その領域は際限なく拡大し、人類を完全に滅ぼし、この世界を支配し尽くすまで、決して歩みを止めることはない。
だが――人類はそれを許さない。
どんな犠牲を払おうとも。
血肉を、魂を差し出すことになろうとも。
必ず勝利し、かつての世界を取り戻すのだ。
あの平穏を、あの幸福を知っていた日々を――。
その言葉は、一人の男の胸中から静かに漏れた。
年の頃は四十八、古びた巨木の根元に腰を下ろし、沈黙のまま虚空を見つめている。
周囲には、うつろな空の下、巨大な骸骨のようにそびえる廃墟群。
痩せ細り、弱りきった人々が必死に命を繋ぐ中、ひとつの古びた提灯が、淡い黄金色の光を放っていた。
その光は、男の皺深い顔と刻まれた疲弊を照らし出し――そこに宿るのは、底知れぬ怨嗟と絶望だった。
そして…
地の底、暗黒の深淵。
そこには人間の営みを模倣するかのように蠢くNGたちがいた。
その中心に、ひときわ異様な存在が立つ。
長い白髪を垂らし、汚れきった肌、無数の傷跡が刻まれた顔。
身に纏うのは、擦り切れた古びたローブ。
叫び声も上げず、狂乱も見せず――ただ冷徹に一人の犠牲者を握り潰す。
骨が砕け、肉が裂ける音が、病的な旋律のように響き渡る。
飛び散った肉片は地に落ち、やがて――蠢き、痙攣し、異形へと変じる。
四肢が生え、口が裂け、眼が芽吹き、次々と新たな怪物となって、終わりなき悪夢の連鎖を紡ぎ出していく。
「人類は…我が傑作の材料となる――
その芸術を創り上げる芸術家こそ、この私だ。歴史の深奥に刻み込まれる作品を。」
その声は低く温かく、それでいて底冷えするほど冷酷だった。
一語一語が舌の上を滑り、揺るぎない自信の重みを伴って響く。
その瞳には、快楽と残虐が混ざり合った光が宿り、これから描き上げられる血塗られた完璧な絵図を、すでに見据えているかのようだった。
試験の緊張感に包まれた日々が終わり、学園の空気は少しずつ日常のリズムを取り戻しつつあった。
各クラスの生徒たちは自分たちの区域へと散っていき、廊下には足音や笑い声が響く。それは、誰もがかつては切望していたはずなのに、いつの間にか当たり前だと思うようになった、懐かしい調和の音だった。
「……戻ってきてから、まだ一度もイチカワを見てないな。」
ゾアは小さく呟き、その声にはわずかな不安が滲んでいた。
正面ホールの対角の隅、アコウは椅子にもたれ、表紙すら読み取れない分厚い本をゆっくりとめくっていた。
彼は視線を本から離さず、淡々と事実を述べるように答える。
「……あの力だ。おそらく“上の連中”に呼び出されたんだろう。」
その静かな空気を、突然の声が切り裂いた。
入り口に立っていたのはアユミ。両手には、まだ湯気を立てる大きな鍋を抱えている。
足取り軽く室内に入ると、彼女は明るい声で話を遮った。
「ま、考えすぎないの。こんな貴重な平穏な日を楽しまないと!」
戦場は人を変える――そう言われることは多いが、アユミは変わらなかった。相変わらず無邪気で、気まま。
彼女とアコウの間にあった問題も、すでに収束している。
自分の身を守るためにダミアンを利用したという行動は、確かに利己的だった。
しかし、生きるか死ぬかの状況で、理想を貫く余裕など誰にもない。
アコウとゾアは腹を割って話し、最終的に互いに水に流したのだ。
「また鍋か?」
アコウはうんざりしたように眉を上げた。
「嫌なら食べなくていいわよ。」アユミは軽く言い返す。
「鍋はね、人を集める一番簡単な料理なの。食べたくても食べられない人だってたくさんいるんだから。」
そして案の定、食事の間じゅう二人は言い合いを続けた。
そんな二人を横目に、ゾアは苦笑する。
だが心の中では、この空気に感謝していた。
血と鉄に満ちた世界で、こんな温かく、単純な時間は、何よりも貴重だ。
湯気を上げる鍋、小さな部屋に積まれた古道具、窓から差し込む夕陽が柔らかな黄金色を髪に落とす――それは黒き炎と血の臭い、冷えた死体が転がる戦場とはあまりにも対照的な光景だった。
しかし、戦場の記憶は容易に消えない。
アコウはゾアに、ブラウンとフェリックスの死を語ったことがある。
帰還の飛行機の中で、目を閉じるだけで、ゾアの脳裏にはその光景が鮮明に蘇った。
涙は流さなかったが、その瞳に刻まれた痛みは、誰の目にも明らかだった。
試験が終わってから二週間が過ぎた。
時間は心の傷を少しずつ癒してくれる――そうは言っても、この平穏が一時的なものであることを、全員が理解していた。
いずれ、新たな任務がやってくる。
「……時間が止まればいいのに。」
ゾアは胸の内でそう呟いた。
その夜、丸い月が高く昇った。
それはまるで、夜空に吊るされた巨大な銀の鏡。
月光は波一つない湖面に降り注ぎ、薄い絹のように揺らめきながら輝いている。
夜風はひんやりと肌を撫で、老いた木々の葉をざわめかせ、昼間の喧噪を吹き消す。
この場所では滅多に訪れない静寂が広がっていた。
ゾアは寝付けず、外へ出た。
湿り気を帯びた夜気が全身を包み、頭上には星々が散りばめられた深い闇。
月光が湖面に帯のように伸び、心をゆっくりと解きほぐしていく。
湖の向こう岸には、古い木製の椅子に腰掛けたアコウの姿。
傍らのランタンが温かな金色の光を放ち、地面に長い影を落としている。
手にしている本のページを指先でめくるたび、紙の擦れる音が風の音に混じった。
ゾアが近づくと、アコウは顔を上げ、珍しく柔らかな笑みを見せる。
「寝るより、本を読みながらこの景色を味わいたいんだ。」
彼は風と混じるような静かな声で言った。
ゾアも隣に腰を下ろす。
木漏れ日のような月明かりが、二人の顔にまだらな陰影を落とす。
話題は軽口ではなく、重い記憶へと移った。
戦場で散った仲間たち、牙を剥いた敵、そして絶望の淵で呼び覚ました、自分すら知らなかった力のこと――。
会話は夜更けまで続き、木々のざわめきと小さな波の音に溶けていった。
月が山影に隠れた頃、二人は立ち上がり、それぞれの部屋へと戻った。
その胸には、夜が与えてくれた束の間の静けさが残っていた。
翌朝、窓から差し込む陽光が部屋を柔らかな金色に染める。
学園内には珍しいほどの温もりが漂っていた――外の騒乱など、まだ遠くにあるかのように。
浴室の扉を叩くアユミの声が響く。
アコウがまた本を持ち込み、長湯していることに苛立っているのだ。
中から返ってくる声は、彼女の存在など意に介さない淡々としたもの。
ゾアは机に座り、湯気を立てるコーヒーを口にする。
ほろ苦さと香ばしさが脳を覚醒させ、目の前の分厚い本――伝説の剣士たちの伝記――の文字が、静かに心へ染み込んでいく。
窓の外では、朝の鳥の声が、廊下を抜ける風の音に交じっていた。
あまりにも平凡で、外の戦乱を忘れそうになるほどだった。
――だが、その平穏はすぐに破られた。
作戦室の任務掲示板が震え、赤い光が点滅して新しい情報が届いたことを告げる。
ゾアはカップを置き、瞼を伏せる。
「来たか……」
長い溜息を吐くその姿は、夏休みの終わりを悟った子供のようだった。
温もりは消え、残ったのは儚い余韻だけ。
ゾアは、それを再び味わえるのはずっと先のことだと理解していた。
三人は画面を囲み、任務内容に目を通す。
沈黙を破ったのはアコウだった。
「今回は二人で行け。俺は出ない。」
「はぁ? 私もあんたみたいに留守番したいんだけど。」
アユミが眉をひそめる。
「自分の数値を見ろ。お前は13,000だ。俺は一年のトップクラス。わざわざ出る必要はない。」
「数値が高いからって偉そうに! この本の虫!」
二人は再び口論を始めたが、やがて任務の話に戻った。
一つの任務につき最大四人――遅れれば枠は埋まってしまう。
アコウはあくまで不参加を貫き、ゼイクの研究室に行くと告げる。
アユミとゾアが選んだのは、S級任務。
タツマキ地下鉄駅を占拠する自由NG集団の掃討だ。
彼らは安全圏外で生まれ育ち、国籍も法律も持たず、原始的な本能で生き延びてきた者たち。
他のメンバーはセシリアと、ゼファー・ヴァルモントという見知らぬ学生。
残り二枠はアユミとゾアで即座に埋まった。
学園からの承認が下り、迎えの飛行機まで二日の準備期間が与えられる。
制限時間は三か月。任務放棄は許されず、定期的な状況報告と正当な理由がある場合のみ延長が認められる。
二人はすぐに準備を始めた。
――その夜、アコウは教室から姿を消し、冷たい照明に照らされた戦略室の奥へと進む。
トップオペレーターの席が並ぶ中、彼の足音だけが響く。
「俺を呼び出したのは……何の用だ?」
天国のあとに残った灰 @Kirisaki2503
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